「自分ならどうするだろう」。経営者の夫がなくなり、「どうします?」と問われたら。そんな現実を突きつけられた、「世界の山ちゃん」創業者の妻・山本久美さん。専業主婦の久美さんが下した決断の裏には、深い愛がありました(全3回中の1回)。
お寿司屋でのふるまいに「自分のまわりにいない人だな」と結婚
── 山本さんは、2000年に「世界の山ちゃん」などを運営する株式会社エスワイフードの創業者であり、代表取締役会長だった山本重雄さんとご結婚されました。なれそめを教えてください。
山本さん:夫とは共通の知人の紹介で知り合ったのですが、これまで会ったことのないタイプの人でした。
たとえば、新しくできたお寿司屋さんに一緒に食事に行ったとき、カウンターの角の部分がとがっていて、夫は角にひじをぶつけてケガをしてしまいました。
すると彼は「角がこんなにとがっていたら、他のお客様もケガするかもしれない。細かいところまで気を配らないとダメだ」と、他人のお店だということも忘れて、お客様のことを思いやって怒る人でした。
── 自分のことよりも、まずお客様のことを一番に考える人だったんですね。
山本さん:店員さんも、最初は夫が何に対して怒っているのかわからず、ビックリしていました。夫は心配する店員さんに「金づち持ってきて」と。何をするかと思ったら「こうしたら角が丸くなるんだよ」と、角の部分を金づちで叩きだしたんです。
── それはびっくりしますね!
山本さん:カウンターの角を叩いて丸くするのは「世界の山ちゃん」で新店をオープンするときの慣例だったんです。でも、他人のお店でその方法を実践するのはびっくりしますよね。夫は「ほら、こうしたら他のお客様はケガをしない」と満足気で。店員さんたちもお客様第一の夫の姿勢に圧倒されつつも、呆気にとられていました。
そんな変わったところも魅力的で、2000年に出会って半年で結婚しました。私は教員として働いていましたが、結婚を機に退職。専業主婦になり、子どもを3人授かりました。
── 結婚後、山本さんは夫の重雄さんの仕事を手伝っていなかったのですか?
山本さん:いっさい関わっていません。夫は家庭に仕事を持ち込まないタイプだったので、私は経営についても店舗の運営についても、何も知りませんでした。
会社に関わる私の仕事といえば、毎月発行している「てばさ記」の編集だけでした。お店に来てくださったお客様に楽しんでもらう手書きのかわら版のことです。
夫の急死「誰が経営を継ぐ?」「私?ムリムリ…」
── 2016年、重雄さんは59歳で突然帰らぬ人になってしまったそうですね。
山本さん:前日までは元気そのものでした。8月21日の朝、家族の誰よりも早起きして、そのままリビングで倒れたようです。
私たちが起きたとき、夫は横になっていて…。最初は「お父さん、いつもは私たちに“二度寝したらダメ”って言っているのに、どうして今日は寝てるの?」なんて言っていたんです。
でも、何か様子がおかしいと気づき、急いで救急車を呼んだのですが、残念ながら間に合いませんでした。解離性大動脈瘤でした。
── 突然の別れに、悲しみでいっぱいだったと思います。
山本さん:夫が急にいなくなり、その事実を受け入れられず頭が真っ白でした。当時、子どもは中学3年生、中学1年生、小学2年生。会社も後継者が決まっていなくて、夫はこれから跡継ぎを育てていこうと考えていたようです。
亡くなった当日、取引先の方も病院を訪れてくれました。すると、亡くなった夫がまだベッドに横たわっている枕元で「会長のポリシーを一番理解しているのは久美さんだ。だから、あなたが会社を継ぐのが一番いいと思う」と言われました。
でも、私は経営にも携わっていなかったし、家庭が大事だったのでお断りしたんです。
── その状態では、会社のことまでは考えられないと思います。とはいえ、後継者も決まっていない状態だと、周囲も「会社はどうなる?」と心配だったのではないでしょうか。
山本さん:以前からM&Aの話はありました。夫が亡くなったときも、外部の方に経営をお願いする案もあったんです。でも、当社の従業員はみんな、創業者である夫のカリスマ性やアットホームな社風に惹かれて働いていました。
もし経営者が外部の人に変わったら、社風が変わり、当社のよさがなくなってしまいます。でも、代案はなくて…。先がまったく見えませんでした。
夫が亡くなって気づいた「会社への思い」そして決断
── 一度は断った山本さんが、改めて会社を継ごうと思ったのはなぜでしょうか?
山本さん:きっかけはかわら版「てばさ記」の編集でした。毎月20日ころから10日間くらいかけて書いていたのですが、夫が亡くなったのは8月21日でした。
葬儀を執り行い、取引先の方やコンサル会社の方が毎日、自宅にいらっしゃって…。バタバタで、夫が亡くなったことを悲しむ余裕もないくらいでした。
だから、会社の担当者が気をつかって「今月の『てばさ記』はお休みしましょう」と電話をくれたんです。でも、そのときになぜか私は「それはお客様への配慮ですか?それとも私への配慮ですか?」と聞いていました。
そうしたら、担当者は「もちろん久美さんへの配慮です。いまは記事を書く状態じゃないですよね?」と言ってくれました。自然と「お客様への配慮ではないのなら、書きます」という言葉が口から出たんです。
── つらい時期だったと思うのですが、なぜ書こうと思ったのでしょうか?
山本さん:これまでも「てばさ記」を書くことを通し、夫がお店やお客様へどれだけ熱い思いを抱いているかを感じることができました。だから、夫が亡くなったことや彼の思いを「てばさ記」で、お客様に伝えることが使命ではないかと考えたんです。
記事を書いているうちに、自分で思っている以上に、会社に対する愛情があると気づきました。次の社長候補が決まるまでの間だけでも、私が代表取締役になるべきではないかと気持ちが固まりました。
── これまで経営に関わっていなかったのに、思いきった決断だと思います。
山本さん:前職が公務員だったこともあり、経営について何も知らないことが強みになったんだと思います。事前に大変さがわかっていたら、しり込みしていたかもしれません。
まさか、自分が代表取締役になるとは想像さえしていなかったのですが、そのときは「夫の思いを伝えたい」一念で、思いきった決断ができました。
PROFILE 山本久美さん
やまもと・くみ。株式会社エスワイフード代表取締役。中学時代、バスケットボールで全国優勝を果たす。愛知県教育大学卒業後、小学校教諭を務めるかたわら、小学生男子ミニバスケットボールクラブチームの監督としても活躍、指導者としてもチームを全国大会優勝に導く。2000年「世界の山ちゃん」創業者の山本重雄氏と結婚し、専業主婦に。2016年8月、重雄氏の急逝によって代表取締役に就任。
取材・文/齋田多恵 写真提供/株式会社エスワイフード