能動的に涙を流すことでストレスを解消するという「涙活」。「手紙」を用いての涙活の普及に努める橋本昌人さんは、会社員を経てお笑い専門の放送作家として活躍した時期も。「笑いと涙は表裏一体」と話す橋本さんに今までの経緯と今後の目標を伺いました。(全3回中の3回)
会社勤めをしながらシナリオセンター通い…吉本の専属作家に
── 橋本さんは、お笑いの放送作家としてのキャリアが長いそうですね。
橋本さん:もともとコピーライターになりたくて、大阪芸術大学を卒業したのですが、一般企業に就職して営業マンをしていたので、いわゆる脱サラ組なんです。
お笑いが好きだったので、会社員を続けながらシナリオセンターに通い、落語やコントなどのネタの書き方を学びました。そこで出会った作家の故・藤本義一さんに声をかけていただき、漫才の作家集団に入ったのを機に、放送作家への道を踏み出しました。その後、大学時代の先輩に誘われ、吉本興業の専属作家に転身しました。
── 吉本では、どんなお仕事をされていたのですか?
橋本さん:心斎橋筋2丁目劇場(1999年に閉館)というところで、ネタを書いたり、イベントや番組を作っていました。当時、2丁目劇場はダウンタウンのお二人が活躍していたのですが、彼らが東京に進出してお客さんが急減し、閑散としていた時期でした。そこで新しいスターを生み出すべく、テコ入れのために声をかけられたわけです。
その頃、よく一緒に仕事をしていたのが、駆け出しだった千原兄弟の二人でした。弟の笑いのセンスを見込んだ吉本のプロデューサーから紹介されたのですが、兄貴はガサツだし(笑)、弟は人呼んでジャックナイフ(笑)。当時は、とんがっていて人見知りでした。今は押しも押されもせぬ大物芸人ですね。彼らのコントを書いていたことを誇りに思います。
ほかにも、当時の2丁目劇場には、大阪NSC(吉本興業の芸人養成所)の11期生だった中川家、陣内智則やケンドーコバヤシ、たむらけんじ、そして今やコメンテーターとしても売れっ子の野々村友紀子などがいました。
── 今や第一線で活躍している芸人さんばかりですね。
橋本さん:ひとつの期でブレイクできるのは、せいぜい1~2組ですが、NSC11期は、スターがたくさん出た豊作期でした。今は他の事務所に移籍したハリウッドザコシショウも11期で。彼らと一緒に仕事をして、最終的には大阪城ホールで1万人のお笑いライブを開催できたんです。
それを節目に吉本専属を卒業させていただき、フリーとして放送作家の事務所を立ち上げました。その後、担当していたラジオ番組で、感謝の手紙を朗読するというコーナーをやっていたのですが、手紙を読んで涙を流した後に気持ちがすっきりした経験から、手紙の持つ癒やしの効果に着目。涙活講師としてスタートをきり、今に至ります。
笑いと涙は表裏一体「涙活を始めてやっとお笑いに向き合えた」
── ずっとお笑いを突き詰めてきた橋本さんが、涙活を始めたことで、笑いに対する向き合い方に変化はありましたか?
橋本さん:ありました。涙活を始めてからのほうが、ちゃんとお笑いに向き合えるようになった気がします。
笑いと涙というのは、表裏一体です。吉本新喜劇も、あれだけボケ倒すのに、最後にちょっとだけホロッとさせる場面を必ず作ってきますよね。涙の要素があるからこそ、その後の笑いがより深く、濃くなるんです。涙活をやり始めたことで、そんな笑いの力にあらためて気づかされました。
── 現在、涙活講師として、企業や病院、介護施設、吉本のお笑い養成所であるNSCのほか、警察や刑務所など、多岐にわたる場所で活動されています。
橋本さん:一番多いのが、企業研修での涙活ですね。涙活は、場所と時間をみんなで共有するので、連帯感が湧いてチーム力が高まるという効果もあるようです。
── 刑務所の涙活では、どんなことを?
橋本さん:受刑者に向けて涙活を行いました。「人間というのはそんなに悪いものではないんだよ」「今までの自分もゆるしてあげなさい」といったメッセージを伝えたいという思いから、刑務官の方が依頼してくださったようですね。
なかでも印象に残っている出来事があります。そのときは、無期懲役の受刑者の方もいました。その方は表情ひとつ変えず、こちらを睨むような表情をされていたのですが、ある手紙を読んだとき、タガが外れたように号泣されたことがありました。刑務官の方もびっくりされていましたね。
── どういう内容の手紙だったのでしょうか?
橋本さん:実はこのときは、受刑者の方々にも手紙を書いてもらい、それを私が朗読するというスタイルでした。その方が号泣したのは、ご自身の手紙を読みあげたときです。
きっと親御さんに迷惑かけたという思いが強かったのでしょう。お父さんに向けて書かれた手紙でした。そこには一生、償うこともできないお父さんへの贖罪の思いが綴られていました。
何があってもずっと自分のことを信じてくれていたお父さんを裏切ってしまった。そんな自分のことを今でもお父さんは信じてくれている。こんな息子で本当にごめん。親孝行をしたいけど、俺は一生ここを出られない。そんな思いが切々と綴られ、朗読している私も思わず泣きそうになり、涙をこらえながら読みました。
── 警視庁でも涙活の講演をされています。どういう経緯で依頼がきたのでしょうか。
橋本さん:小山薫堂さんがパーソナリティを務める「SUNDAY'S POST」(TOKYO FM)という番組に出演させていただいたときに、涙活の話をしたのですが、それをたまたま視聴していた警視庁の方から講演依頼をいただきました。「涙活を通じて人間の素晴らしさに触れることで、警察官としての取り組み方も違ってくるのではないか」というお考えがあったようです。
当日は、交通部の方を対象に涙活講演をさせていただいたので、交通事故で奥さんを亡くした方の手紙や特攻隊の方が出撃前にご両親に書かれた手紙などを紹介させていただきました。
NSCの最後の授業に「涙活」が採用され
── 吉本のお笑い養成所では、1年を締めくくる最後の授業として、涙活を取り入れているそうですね。
橋本さん:以前は、特別講師として不定期で涙活授業を行っていましたが、2年前からは1年の最後の授業として毎年開催しています。
授業が始まる前は、「お笑いを勉強しにきているのに、最後の授業が涙活ってなんやねん」と怪訝な表情をしている子も少なくないんです。まあ、気持ちはわかります。ですからまずは、ネタや雑談をして気持ちをほぐしてから、徐々に涙活に入ります。
もともとお笑い芸人を目指す子たちは感受性が強いので、手紙を読み進むにつれ、泣きだす子が増えていくんです。実際に彼らにも書いてもらい、朗読もします。短い時間ながら、みんな心のこもった本音の手紙ができ上がるんです。途中から、「ここは泣いてもいい場なんだ」とわかると安心した表情で、前のめりになって聞いてくれますね。
── 人の心をより深く知ることは、ネタ作りにも役立ちそうですね。
橋本さん:共感力を磨くことは、お笑いをやるうえで重要です。フィクションを作るうえでは、たくさんのノンフィクションに触れておくことも、とても意味があると思います。
── 今後の活動や目標を教えてください。
橋本さん:いろんな場でいろんな人に涙活の講演をさせていただきたいですね。ひとりで行う涙活もいいものですが、場所と時間、感情をみんなで共有して一緒に泣くことで、一体感を味わえますし、その場にいる人たちと心の距離も縮まります。ちまたでは、みんなで泣いて連帯感が強まることを「涙友」と言うらしいです。
一人でも多くの方に涙活体験をしてもらい、手紙の持つ力も実感してもらえると嬉しいなと思っています。
PROFILE 橋本昌人さん
涙活講師。1965年生まれ。大阪府出身。大阪芸術大学芸術学部放送学科卒業。放送作家として数々の企画や番組などに携わる。吉本興業のお笑い芸人オーディション審査員の仕事を通じて多数の芸人を輩出。「笑い」を学術的に研究・調査する全国組織「日本笑い学会」理事。これまで延べ1 万人以上に涙活の講義を実施。著書に『なみだのラブレター』(ヨシモトブックス)。
取材・文/西尾英子 写真提供/橋本昌人