81歳でスマートフォン向けのゲームアプリを開発し、アップル社CEOティム・クック氏から「世界最高齢のアプリ開発者」と称され、今年89歳を迎える若宮正子さんにお話を伺いました。
生きるのに精一杯だった戦時中を経て
── 幼少時代はどんなお子さんでしたか。
若宮さん:小さい頃から好奇心旺盛でおもしろがりやでした。新しいものを発見するのが好きなのは、持って生まれた性格ですね。ただ、物心ついた頃は戦争中で、自分がどう生きるかとか、将来の抱負とかを考える余裕はありませんでした。いま被災地にいらっしゃる方もそうだと思いますが、自分が生きることで精一杯。今日1日、お腹をすかさずに生きられればいい、そういう時代でした。
戦争が終わったのは、私が10歳のときです。それまでは「右向け右!」と言われたら右を向かないといけない時代でしたから、子どもなりに自分の思いをセーブしていたと思います。戦争が終わって自由な時代になって、おおいに羽を伸ばせるようになりました。
小さい頃から、どこかへ出かけるのが好きで、いつか海外へも行ってみたいと思っていました。戦後、住んでいた兵庫県から初めて東京へ行ったとき、まだ焼け野原だった東京で真っ先に向かったのが、有楽町にあった三信ビルでした。ビルに入っている旅行会社や航空会社に置いてある、海外旅行のパンフレットをたくさんもらってきたんです。当時は国内旅行をするのも大変な時代だったのにね。いま思うとあきれてしまうんですけれど。
自由に海外へ出かけられるようになったのは、40代後半になってから。それからは、北欧諸国をはじめ、あちこちへ旅をしました。
基本的にはひとり旅です。おもしろいものを見つけるとどこへでも行っちゃう私がパックツアーに参加したら、ガイドさん、お腹が痛くなってしまうんじゃないかと思って(笑)。
── お仕事は何をされていたのですか。
若宮さん:高校を卒業して、18歳で銀行に就職しました。特別な職業に就く人以外、女性が大学へ行くことは当時はまれでした。
当時、銀行ではそろばんで計算をして指でお札を数えていましたから、不器用な私はあまり役に立ちませんでした。どちらかというと私は、あちこちにアンテナを張って情報を取り入れて、新しいことを考えるのが好きだったんです。機械化が進んでからは、私の出番が増えました。企画開発部でいち早く管理職にしていただいて、新商品開発グループにも席を置かせてもらいました。
上司にも恵まれたおかげで、ありがたいことにいろいろな仕事をさせてもらいました。銀行を退職したあとも、出向というかたちで62歳まで勤めを続けました。
── 若宮さんは、80代でスマートフォン向けゲームアプリを開発されて、国内外で注目されています。パソコンはいつ頃始められたのですか。
若宮さん:自分でパソコンを買ったのは58歳のときです。「どうしてそれまで買わなかったんですか」とよく聞かれるんですけど、それまで家庭用のパソコンがなかったんですよ。
真っ先にやりたかったのは、パソコン通信、今でいうSNSです。人と交流したかったんですね。自宅にいながら、料理や旅行のコミュニティに参加して、住んでいる場所も年代もさまざまな人と交流するのが楽しみになりました。
1999年には、発起人の一人として、インターネットでシニア同士が交流できる「メロウ倶楽部」を立ち上げました。オンライン上に、手作りの作品や写真を投稿できる部屋、俳句や川柳を投稿できる部屋、旅行記を投稿できる部屋などを作って、会員同士で交流することができるようにしました。わからないことは「ITよろず相談室」に質問すれば、詳しい方がすぐに教えてくれるんですよ。
60代になって、同居していた母の介護が始まりましたが、それに伴ってますますパソコンやネット世界に熱中するようになりました。私は「不良介護人」でしたね。好きなことに夢中になって、おばあちゃんにおやつをあげるのを忘れることもありました。介護ばかりに時間を使うのではなく、趣味の旅行も楽しみました。旅行のときは、ショートステイにお願いしていました。自分の楽しみを犠牲にしてまで、親にサービスはしないようにしていました。
だって、もし自分が家族に介護される立場になったとして、「私はおばあちゃんを天国へお届けするまで、旅行も我慢してがんばります!」なんていわれたら、早く死ななきゃ悪いような気になっちゃうでしょう。
「おかまいしませんけど、どうぞ好きなだけいてください」くらいが気楽でいいですよね。「お茶漬け介護」とでもいいましょうか。
ノウハウよりも生み出す力を大事にしたい
── 70代で「ExcelArt(エクセルアート)」、80代でスマートフォン向けゲームアプリ「hinadan(ヒナダン)」を開発されました。
若宮さん:どちらも、高齢者にもパソコンやスマホに親しんでもらうきっかけになればと思って作りました。母が亡くなったあと、自宅で同世代の方たちに向けてパソコン教室を開いたのですが、エクセルの使い方をお教えしても、なかなか興味を持ってもらえませんでした。そこで、セルを塗りつぶして図案を作ってみたらおもしろいんじゃないかと思ったんです。
私は、お友達に恵まれているんです。エクセルを使って絵を描く「エクセルアート」にしても、エクセルを使って図案を作ることを思いついたのは私ですが、その図案を布地に印刷する業者さん、それを洋服に仕立てる職人さんを紹介してくださったお友達がいてくれたから、洋服や小物などの新しいものができたんです。いま着ているシャツもそうなんですよ。
そのうちにスマートフォンが普及したのですが、お年寄りはなかなか使いこなせない。同世代の方たちに「どうして使わないの?」と聞いたら、「おもしろいものがないから」とおっしゃる。だったら、高齢者が使っておもしろいアプリがあればいいのに、と思ったんです。
「作ってくださいよ」と知り合いのプログラマーにお願いしたら、「高齢者が何を求めているかをいちばんよくわかっているのだから、ご自分で作ったらどうですか」と言われてね。
それで、お年寄りにもなじみがある「ひな壇」をモチーフにしたゲームアプリを作りました。高齢になると指先が乾いて、スワイプはやりにくいので、タップだけで操作できるようにしました。
わからないことは詳しい人に教えてもらったり、お友達に協力してもらったりして、完成させました。
──「hinadan」をリリースされて、反響はいかがでしたか。
若宮さん:81歳でアプリを開発したということで、新聞にも取り上げられましたし、海外のテレビ局のニュースサイトでも紹介していただきました。アメリカのアップル社のカンファレンス(開発者会議)にも招待されて、「最高齢のアプリ開発者」として、CEOのティム・クックさんにもお会いしました。
メディアでは「世界最高齢のプログラマー」と紹介されることが多いのですが、私はプログラミングが好きなわけではないんです。たまたまやってみましたけれど、あまり性に合わないですね(笑)。「hinadan」と「nanakusa(ナナクサ)」の二作品を作って、やめてしまいました。
プログラミングの操作手順は、AIが取って代われることですよね。肝心なのは、「誰のために、何を作りたいか」を考えて、新しいものを作り出すことです。これからの子どもたちを育てる先生や親御さんには、ノウハウだけでなくて、何かを作り出す力を大事にしてあげてほしいと思います。
PROFILE 若宮正子さん
1935年生まれ。高校卒業後、当時の三菱銀行に就職。定年後、高齢者も楽しめるゲームアプリを開発する。現在は一般社団法人メロウ倶楽部の理事などを務めるほか、首相が主催する「デジタル田園都市国家構想実現会議」内閣府の「高齢社会対策大綱の策定検討会」など、政府関係の仕事にも携わる。著書に『昨日までと違う自分になる』(KADOKAWA)『88歳、しあわせデジタル生活 もっと仲良くなるヒント、教えます』(中央公論新社)ほか。
取材・文/林優子 画像提供/若宮正子