子どもに対しては、スパルタでもないし、友だちでもない。元フジテレビの木佐彩子さんが目指したのは、自立した人間に育てること。急死したママ友からも人生を考えさせられたそうです。(全4回中の3回)
「エアコンのような存在に」周囲を心地よくしたい
── 木佐さんはいろんな番組や取材を経験されていますが、ふだんからどんなことを考えて生活していますか?
木佐さん:夫や子どもに対しても、仕事でも心地よい空気が流れる“エアコン”みたいな存在でいたいです。
番組の雰囲気が重たいときは自分でも意識して、みなさんが自由に話せる雰囲気をつくったり、逆に、スタジオが盛り上がりすぎて視聴者が置いていかれそうと判断したら少しブレーキをかけたり。気を遣うというより自然に、です。放送後、ゲストの方々に「楽しかった」「またこの番組に出たい」と言ってもらえるのが一番です。
── ちょっと難しいなと感じる場面では?
木佐さん:何度も同じことを聞かれて飽きている方へのインタビューでしょうか。でも、新しいことを聞き出せるようがんばるときもあります。インタビューって生き物みたいで難しいし、一本勝負のところもありますが、「木佐さんだけにはこの話をしちゃった」となれば嬉しいですね。
── インタビューは生き物。木佐さんが心がけているコツはありますか。
木佐さん:基本的に人間と人間なので、テクニックではないです。やはり、どれだけ相手に興味を持って、しっかり準備をするか、カメラがまわるまでの間に相手にとって居心地のよい雰囲気にできるか、です。
本当に「聞きたくて質問しているのか」、それとも、会社から「聞いておいて」と言われて聞きにきているかは、相手にも伝わりますから。
インタビューが難しく、本音が引き出せないタイプの方でも、熱意や温度をのせて一生懸命聞けば、人間だから思いは通じて、「ついこんなエピソードまで披露しちゃった」ということもあります。司会進行もやりがいはありますが、インタビューは本当におもしろいので極めていきたいです。
出産して感じたのは「かわいい」より「親の責任感」
── 家族にとっても「エアコンのような存在でいたい」とおっしゃいましたが、子育てはどんな方針でしょうか?
木佐さん:うちはスパルタではないけど、友だち親子でもなくて。親と子の間に一線をひいて分けています。もちろん、私は友だち親子を否定するつもりはまったくないです。
ほめられることをすればほめますが、ほめるところを探してまではほめません。子育ての目的って、「自分で生き抜けるようにすること」だと考えているので、ときには怒られたり、小さな壁を乗り越えていってもらいたいなと。
息子の場合、小学校のときに忘れ物をするとノートに忘れ物スタンプが押され、スタンプがたまると主任や校長先生に呼び出される仕組みでした。
「かわいそうだから」と、忘れ物を学校に届けたり、一緒に確認する家庭もありますが、私は「忘れて恥をかくのもいい。次から忘れないから」と静観しました。
── 私はつい忘れ物を届けてしまいそうです。木佐さんの静観、なかなかできることではないですね。
木佐さん:私は出産したときに「子どもの愛情やかわいさ」よりも、「親としての責任」をより感じたんです。子どもを育てるってこんなに重みのあることなんだ、って。
まわりによく助けてもらいましたが、わが家はほとんどワンオペだったこともあり、よけい責任を感じました。親が人前に出る仕事だと、子どもも厳しめにみられるかもしれないので、しっかり育てなきゃという気持ちは強いです。
── 子育ての重み、共感します。お父さんと同じように、息子さんも野球を?
木佐さん:息子は高校で野球をしていましたが、もともとそんなに好きじゃないみたいで。小さいころから、夫が出ている試合を観ていても、夜7時になるとチャンネルをアニメに替えたがっていました(笑)。
夫も「野球選手になるもんじゃない」と、ムリ強いすることもありませんでした。子どもは「私たちのもの」ではないので、本人の自主性や個性を尊重しています。
子育ても、やはり私の幼少期に過ごしたアメリカでの経験が原点となり、息子もひとりの個人として見ています。「親の希望」で、何かをやらせたい気持ちはありませんね。
── 息子さんの個性にあわせてっていいですね。
木佐さん:昔は夫との会話で、「仕事で宇宙飛行士とかいいんじゃない?」って、サンタさんを利用してちゃんとした望遠鏡をプレゼントしたこともあるんですよ。これをきっかけに宇宙に目覚めたらいいのになぁって。でも1ミリも響かなかった(笑)。そういうこともあって、今にいたります。
急死したママ友から「子育ての意味」に気づかされた
── 子育てもアメリカでの経験が原点になっているそうですが、ご自身の経験からほかに息子さんに伝えたいことは?
木佐さん:私がいろんな場面で「なんとかなる」と思えるようになったのは、幼少期のアメリカでの経験で神経が図太くなったからです。自分が子育てして改めて思いますが、いまとなっては親に感謝です。
致命的な危険な経験はダメですが、私が経験したようなサバイバルは、そのときは子どもに恨まれるかもしれませんが、最終的には「生き抜く力」になると思います。だから、自分の経験から私は息子に対して厳しめなんです。
── もしかして、息子さんにもサバイバルな経験をさせたんですか?
木佐さん:息子は幼稚園の前半までアメリカでしたが、それ以降は日本で育っています。だから少しは海外に行かせたくて、あまり英語ができないまま英語だけのキャンプや合宿に行かせてみたこともあります。
中学生のとき、日本人のいない海外のゴルフ合宿に2週間くらい入れたら、「高校生に目をつけられている」って、SOSの電話が2回かかってきました。でも、私はそこで「帰ってきていいよ」とは言いませんでした。結局、リタイアせずに2週間乗りきり、ひと回り大きくなったように思えました。
この経験がすぐには役に立たなくてもいいんです。これからの時代、予測不可能なことがたくさん起きるなかで何かの力になったらいいな、くらいの気持ちです。
── 息子さんも成人し、子育てもひと段落つきましたか。
木佐さん:うーん、息子が20歳を超えるともっとホッとできると考えていたのですが…。私の母が生前「子育てなんて、死ぬまで一生続く」と言っていたので、それならドーンと構えて気長にいこうと考えています。とくに心配なこともないですが、石井家の家訓として基本的に「心と身体が元気だったらよしとしよう」と。
── いい家訓ですね。木佐さんが子育てをとおしてほかに考えたことはありますか?
木佐さん:息子と同い年のお子さんのママですごくパワフルな人がいましたが、お子さんが中2のときに急死したんです。息子さんはそれは悲しかったと思いますが、しゃんとして立派で、お母さんから教えられたことが身についていました。「あぁ、あのママはちゃんと息子にいろいろ教えていたんだな」って。彼は今、医学部で勉強中です。
究極の子育てとは、自分がいなくなっても残された子どもが生きていけるようにすることだって、このママから教えられた気がするんです。日本はとくに、親が子どもの面倒をよくみるじゃないですか。
やってあげるのが愛情と思えるところもありますが、あえて手を差しのべないのが本当の愛情だったりします。難しいですけど…。息子には言わなくても、今、私がいなくなったらこの子は生きていけるんだろうかと、考えながら接しています。
PROFILE 木佐彩子さん
1971年、東京都出身。アメリカ・LAにて小学校2年~中学校2年までを過ごす。1994年、フジTVに入社、「プロ野球ニュース」「FNNスーパーニュース」「めざましテレビ」等多数の番組を担当。2000年、当時ヤクルトスワローズ所属の石井一久氏と結婚。男子出産を機にフリーになり、2002~2006年、夫のメジャーリーグ移籍に伴い渡米。2006年に帰国しフリーアナウンサーとして復帰。
取材・文/岡本聡子 写真提供/木彩子、株式会社AEGIS