好きになって結婚した男性がプロ野球選手。その相手がメジャーリーグまで経験し、帰国後、GMや監督にも就任します。夫のプロ野球人生を支えた、木佐彩子さんの寄り添い方を聞きました。(全4回中の2回)

 

大谷翔平選手がつける「ドジャースの17番」を選手時代につけていた夫の石井一久さんと木佐さんファミリー

選手時代は彼の性格に合わせて過ごしていた

── 木佐さんはフジテレビのアナウンサーとして、夜のプロ野球ニュースを担当していたとき、ヤクルトスワローズの石井一久選手と結婚。それまで超多忙でしたが、結婚後はどんな生活に?

 

木佐さん:そのまま夜のプロ野球ニュースを担当していてもよかったのですが、ヤクルトスワローズの選手の身内が他球団のことを扱うとなるとちょっと、という雰囲気もあり、4月の番組改編で新しく始まる夕方の帯のニュース番組に異動しました。

 

プロ野球のオフシーズンの3月末に結婚したのですが、改編で報道のことも勉強しなきゃいけないし、結婚式どころではなくなりました。

 

担当の番組が夜7時には終わるので、8時前に会社を出て、スーパーに寄って買い物をして、家で夕飯作り。夫が帰ってくるのは夜10時台なので家で一緒にご飯を食べて、仕事と家庭の両立はしていました。

 

── プロ野球選手の妻として心がけていたことはありますか?

 

木佐さん:私は料理をするのがわりと好きな方なので、食事や栄養管理はしっかりしていました。試合が遠征先だと遅くまで開いているお店はだいたいが焼肉店だったりするので(笑)、家にいるときはこういう食事内容がいい、というのは把握していました。

 

食事も大事ですが、夫の性格にあわせた接し方を大切にしていました。うちの場合は、あんまり「今日の俺のピッチングはどうだった?」と聞いてくるタイプではないんです。

 

恒例、ハワイで一家そろって年越し。現役時代のご主人と

なかには、帰宅後にもう一回試合を全部見返しながら、夫婦で一緒に分析して「前に重心がかかってない」と奥様が指摘するお宅もあるそうですが、うちはまったくそういうことがありませんでした。

 

わが家に来ていただければわかるのですが、野球選手の家だとわからないくらい野球に関するものを飾っていません。玄関を開けたら「野球の博物館」みたいなおうちも多いのですが、選手の性格によりますね。

 

── 選手によってまったく違うんですね。

 

木佐さん:夫は野球を“仕事”だと考えており、オンオフをはっきり分けたい人です。私が野球のことを聞かなければ、家では話題にならないくらい。

 

もちろん、聞いても嫌がったりしないし、今日はどうだったか教えてくれます。でも、聞いたところで私がわかるのは、球速と審判が手をあげたらストライク、くらい(笑)。知識的なことにはあまり詳しくなくて。

アメリカで専業主婦に「家事の計画性を痛感」

── 2002年にご主人が、メジャーリーグへ。木佐さんが幼少期を過ごしたロサンゼルスに一家で移り住みました。

 

木佐さん:2001年に同時多発テロが起きて、一時は「メジャーへの移籍をやめよう」「やっぱり行こう」と揺れました。

 

結婚後、2000年に子どもにめぐまれたこともあり、妊娠中もぎりぎりまでテレビの仕事をして降板し、出産後そのまま渡米しました。アメリカに行ったら、テレビは戦争のことばかりでした。

 

── 乳幼児連れで渡米したんですね。アメリカではどんな生活を?

 

木佐さん: この3~4年間が私の人生において、唯一の「専業主婦」期間です。みなさんにけっこう驚かれるのですが、当時あまり先の目標がなかったんです。

 

もし夫がずっとアメリカにいれば、日本に戻らなかったでしょうし、自分のキャリアどうこうという感じではありませんでした。人生でいろんな選択肢が出てきたときにすべては選べませんから。

 

フジテレビをやめた後、いろいろなオファーもありましたが、CMの仕事だけ少しして、他はいっさいやめました。「このままテレビの世界に戻らないかも」って。それすら考えずに子どもを連れてアメリカに行きました。

 

── 思いきって専業主婦生活を選んだわけですが、どう感じましたか?

 

木佐さん:自分が3、4年間経験して、専業主婦の方は本当に大変だと思いました。私は自分にすごく甘いのでやっていくのは難しいですね。いつ洗濯してもいいなら今じゃなくていい、となっちゃいます。明日仕事なら、いま片づけちゃおうと思えますが、迫られないとやらないタイプなんです。

 

現地では当時、いろんな新聞社やテレビ局が夫に専属の担当記者つけていたので、ドジャースのホームゲームで皆さんがロサンゼルスに集まるときは、試合後にお刺身やとんかつなど、人数分の日本食をよく用意していました。自宅にも来てもらって、番記者の方とはチームみたいな感じですね。

 

── それは喜ばれたでしょうね。メジャー時代、石井さんの野球人生を左右するようなできごとがあったそうですが。

 

木佐さん:ある試合で夫の額に、打者が打ったボールが直撃したんです。珍しく夕方4時スタートの試合で、西日がまぶしくて見えなかったらしくて。

 

医師には、もう1ミリずれてたら出血死していたかもしれないと言われました。結局、頭蓋骨の亀裂骨折と診断され、6時間の大手術を受けました。

 

夫のマネージャーさんは、「石井が戦っているんだから」と手術中の6時間ずっと立ちっぱなしでしたが、私は、立っていても座っていても結果は変わらないし、病院で「ハンバーガー食べてもいいですか」なんて聞いてました。

 

手術後、夫と少し話せたとき「ケガするスポーツだけど、命を落とすほど危ないスポーツだとは思わなかった」と言われました。もう野球やらなくていいよ、やめるんだろうなって思いました。

 

翌日、私が病院に行ったら、ベッドの横に「点滴は右手にお願いします」って看護師さん向けに貼り紙をしてたんです。夫は左ききです。点滴を左に入れないってことは、野球をやめないと決めたんだ、と理解しました。

 

日本から問い合わせの電話もたくさんかかってきますし、私もこんな緊迫した場面は初めてでしたけど、いろんなことが起きてもなんとかなるんですよね。

監督になってから食事中もスマホを手放せない夫

── 石井さんは帰国後も2013年まで現役選手として活躍。その後、東北楽天ゴールデンイーグルスの取締役GM、監督を務めました。GMや監督になると、木佐さんの接し方も変わるものでしょうか?

 

木佐さん:選手と監督はまったく違いますね。選手のときは、オンオフを分けるタイプだったので、家で努力はそんなに見たことがなかったのですが、監督になってからは私が思っていた以上に、緻密で仕事にかける人、仕事人間だと気づきました。

 

夫は、いっけんポーカーフェイスで、のほほんとしたイメージを世の中から持たれているようですが、それだけでは野球はできません。

 

── 選手時代は家ではオンオフを分けていたご主人がどんなふうに変わったのですか?

 

木佐さん:寝言が100%野球のことばかり(笑)。ご飯を食べていても、スマホ片手に電話や連絡をしたり、その日の試合のレポートをまとめたりしてました。

 

私は作った料理を前菜から順に出していくのですが、夫はずっとスマホを片手に持ったまま。子どもなら怒られますよ(笑)。この5年半は食事中の会話はほとんどしてませんね。

 

負けたら監督の責任。それだけの重圧と責任を背負って戦っていたんです。GMを引き受けてからの5年半、私の知らなかった夫の姿を知りました。

 

PROFILE 木佐彩子さん

1971年、東京都出身。アメリカ・LAにて小学校2年~中学校2年までを過ごす。1994年、フジTVに入社、「プロ野球ニュース」「FNNスーパーニュース」「めざましテレビ」等多数の番組を担当。2000年、当時ヤクルトスワローズ所属の石井一久氏と結婚。男子出産を機にフリーになり、2002~2006年、夫のメジャーリーグ移籍に伴い渡米。2006年に帰国しフリーアナウンサーとして復帰。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/木佐彩子、株式会社AEGIS