生徒がほぼ20代のなか、つねにオレンジ色の服で教室の中央最前列に座り、授業を受けていた40歳のエド・はるみさん。吉本の養成所時代には同期生からのヤジを受けながら、貫き通した信念がありました。(全4回中の2回)

 

役者時代に台本や演出などすべてを手がけた一人芝居の様子

「オレンジ色のシャツで最前列に座り」記憶に残ろうと

── 20年以上の女優人生を経て、お笑いの世界に転じ、40歳でNSC(吉本総合芸能学院)に入ったエドさん。同期は何人くらいですか?

 

エドさん:東京NSCだけでも当時、同期は500〜600人くらいでした。すごい数ですよね。その中から少しでも先生方の記憶に残らないと、と考えていました。

 

── 先生に覚えてもらうためのアピールや工夫は?

 

エドさん:企業カラーのように自分のイメージカラーをオレンジに決めて、毎朝、オレンジ色のシャツに着替えて授業に出ていました。40歳というだけでも面白がられましたが、それだけでなく「いつもオレンジ色の服で一番前にいる妙齢のあいつやろ」と、覚えてもらうためです。

 

とにかく、本当に人生最後のチャンスだと思って入学しているので、すべてを捨ててきた気迫は相当なもので、当時の先生が、私のデビュー後のインタビューで“印象に残っている生徒”として、私の名前を出してくださっていました。

 

── 同期が500~600人いるなかで、先生の印象に残るとはすごいですね。

 

エドさん:頭がいい人は、何か未知の世界に挑戦するとき、まず確率を考えたりしますよね。たとえばこの養成所なら、この人数から売れる1~2組に入れるか?といった確率を。

 

しかし、するとその答えには絶望しかない。なので、私は一切そういうことを考えないようにしようと決めました。確率論ではなく、とにかく目の前のことに集中しようと。そしてそれは、他人との競争ではなく、自分との戦いになります。

 

授業はほぼ毎日、朝から晩まで。先生にネタを見てもらえるのは毎回数組だけです。そのわずかなチャンスをつかむために、積極的な人は毎回早朝から学校に行き、申請箱に自分たちのコンビ名を入れます。

 

そして先輩がその中から当選者をクジのように引いて決めるのですが、そのくじに当たる運もまた必要になります。当時から頑張っていた人たちは、やはり売れていますね。シソンヌやチョコレートプラネット、パンサーの向井君も同期ですよ。

「おいババァ!」のあおりから名ギャグが誕生

── 同期のほとんどが20歳前後。年齢差で苦労したことはありませんか?

 

エドさん:養成所に入る前から、イヤな思いをするだろうな、と覚悟はしていました。周りは皆10代、20代ですから。でも、600人近くいるなかで、ほとんどは素晴らしい若者でしたよ、ホントに。でも残念ながらどこに行っても2、3人くらいは心ない人たちはいるんですよね。

 

ある若者からは「おいババァ!おまえ、女終わってんだろ!?」と絡まれました。まぁ、いま思うと彼らなりに絡みたかったんだと思いますが、当時はどうしたものかと。

 

どうやって返そうかなと考えているうちに、あるとき、「そうか!年齢を理由に相手が上から言ってくるのなら、こちらはさらに上から言えばいいんだ!」と気づいて。で、「あら〜そんなこと言ってお子ちゃまね〜、おっぱい飲みたいの〜〜?」というあのギャグが生まれました。

 

── そこからギャグがうまれるとは。相手の反応は?

 

エドさん:相手は驚いてビビっていました。恥ずかしそうにしながら「もういいよ」と。マイナスがプラスに変わった瞬間でしたね。

「汚い環境だと心がすさむ」校内を掃除する日々

── マイナスをプラスに変える!ほかに心がけた点はありますか?

 

エドさん:そうですね、駅から養成所までの道や学校の廊下、トイレなんかを掃除していました。ふと見ると、教室や階段の埃がすごいな、トイレも汚いなと。放っておけませんでした。

 

環境はとても大切だと思います。汚い場所では心がすさみますし、才能もきれいな場所で花開くと思うんです。なので、勝手に100円ショップでお掃除セットをそろえて、人がいなくなった夕方に、さきほどお話しした場所をササっと掃除していましたね。

 

── ひとりで掃除はなかなかできることではありませんが、まわりはどんなふうに?

 

エドさん:まあ、「いい格好して」と思っている人もいたんですかね?でも、そんなふうに悪く思う人がいても、私はみんなのお母さんほどの年齢で、そんなこともちろん気にしませんし、いる場所がキレイになるなら良いじゃない?と思っていましたね。

 

── 環境をよくしたい一心で続けられたんですね。先生からのネタの評価については?

 

エドさん:自分で言うのもなんですが、成績別のクラスではつねに一番上のクラスで、卒業時のオーディションではトップ枠で卒業できたので、ルミネ舞台でのデビューを果たせました。

 

また、その卒業前から「エンタの神様」のディレクターさんにお声をかけていただき、卒業後すぐに「木村陽子」というニュースキャスターのキャラクターで出していただきました。それからオーディションで、ナインティナインさんや明石家さんまさんの番組に続けて出していただける幸運にも恵まれました。

 

PROFILE エド・はるみさん

17歳で映画デビュー後、約20年間女優として活動。2005年に笑いの道に転じ吉本興業の養成所へ。2008年持ちネタの「グー!」で流行語大賞を受賞。2016年4月慶應義塾大学大学院の修士課程入学。今春、筑波大学大学院博士課程に合格し、現在は、研究中心の生活を送る。    

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/エド・はるみ、吉本興業株式会社