人気バンド「THE BOOM」のボーカリストとして『島唄』『風になりたい』など誰もが口ずさめる名曲を世に送り出した宮沢和史さん。二男一女の父でもあり、長男・氷魚さんは俳優・モデルとして大活躍しています。そんな宮沢さんですが、子育てで「後悔している」ことがあるそうで…。(全4回中の3回)

わが子が小さい頃から「家では料理男子」

── 宮沢さんは以前から料理が得意だそうですね。

 

宮沢さん:ここは誤解しないでほしいんですが、得意じゃないんです。大学時代、レストランのコックのバイトをしていたので作るのは好きなんですが、あんまりセンスがなくて。音楽を聴いてもらうのと一緒で、お客さんが美味しそうに食べているとやったー!って思う。でも、創作料理が苦手で、見たもの、食べたものしか作れないんです。

 

宮沢和史さん
自らプロデュースをしている沖縄のカフェ『みやんちStudio&Coffee』で演奏する宮沢さん。着ているTシャツの柄(イリオモテヤマネコ)はご本人作の版画

── それで十分だと思います。ご家族に作ってあげたりもしますか?

 

宮沢さん:子どもが小さいころから、家にいるときは必ず作っています。ツアーなどで家を空けることが多いので、それはちゃんとやろうと。曲作りでこもっているときなどはできませんが、家にいるときは必ず自分で食材を買いに行って、自分で作っていました。今日も作りますよ。

 

── ちなみに何を作るんですか?

 

宮沢さん:九条ネギをこれでもかというくらいつゆに入れて、蕎麦を食べます。

 

── 美味しそうですね!

 

宮沢さん:シンプルだけど、美味しいんですよ。

 

宮沢和史さんの手料理
宮沢さんの手料理

── お子さんが小さいころはどんなものを作ってあげましたか?

 

宮沢さん:ハンバーグとか肉じゃがとか、本当に普通のものです。今は子どもたちもみんな大人になったので、旅で出会った面白いもの、美味しかったものも作ります。沖縄料理やブラジル料理のような変化球も作ります。

父親として「本当に後悔していること」

── 3人のお子さんが、これまで宮沢さんにしてくれたことで嬉しかったことは何ですか?

 

宮沢さん:父親としては本当に後悔が多くてですね…、親が子どもにしてあげなきゃいけないようなことをみんな母親にまかせちゃったので。

 

上の2人は男なんですが、大学までずっと野球を夢中になってやっていたんですね。試合とか練習はいつも土日祝日なんですが、僕はたいてい家にいないので、あまりつき合えなかったんですよね。都合がつくときは試合を見に行ったり、練習を手伝ったりしましたが、他の親御さんに比べたらぜんぜんできなくて。それはすごく後悔しています。

 

子どもって自分が頑張っている姿や活躍している姿を、親に見てほしいでしょう。僕も子どものころ、そうだった。「すげえな、お前」とか「頑張ったな」とか何かひと言、言ってほしい。そういうことを言う機会が少なかったですね。それなのに健康で大病することもなく3人とも社会人になったっていう、そのこと自体が嬉しいです。

長男と次男をインターナショナルスクールに通わせた理由

── 氷魚さんはインターナショナルスクールで学んだそうですが、ご本人の意向でしたか?

 

宮沢さん:そこは親の考えですね。上の2人は小さい頃から高校までインターナショナルスクールに行っていたんですが、アメリカンスクールじゃなくて、いろんな国の人たちがいるところにしました。日本人、韓国人、アメリカ人、ヨーロッパ人、インド人もいるような。なぜそこへ入れたかと言うと、世界中にはいろんな人がいるっていうことを、子どもの頃から見てほしいと思ったんです。

 

身体の大きい人も小さい人もいるし、さまざまな宗教の人がいるし、歴史や文化、習慣が違う人もいる。僕は子どものころ、甲府市立の小中学校に通って、同じような生活水準の普通に横並びのところで育ちました。それはそれでとてもよかったと思うんですが、いろんな人がいると感じたのは東京に出てきてからなんです。彼らには子どものころからそういうことを体感してもらえば、きっと差別する心を植えつけられないんじゃないかと思ったんですね。

 

宮沢和史さん
若かりし頃からバイクが大好きな宮沢さん

── すごい!そこまで見越していたんですね。

 

宮沢さん:最近になって子どもに話を聞くと、そうはいっても大変だったと。英語ができるようになったのは良かったけれど、いろんな人がいるからぶつかることもあったし、アイデンティティに悩むときもあったりと、大変ではあったと言っていました。でも、彼らと話をしていると、誰かに対する憎しみを口にしたり、差別心を出したり、上からものを言ったりすることがいっさいない。そういうとき、ああ入れてよかったなと思いますね。

 

── それも宮沢さんが早くからいろんな国を旅して、得たものがあったからですよね。

 

宮沢さん:ただ、僕が育ったような地方の学校も体験してほしかったので、母校の小学校の校長先生に頼んで体験入学させてもらったこともあります。1〜2週間程度ですが、ふたりとも他の生徒と同じように机に向かって勉強して給食を食べて。それは彼らにとってものすごく非日常で、やっぱり大変だったみたいなんですけど。両方見せられたのはよかったかなと思います。

今は自分から助言することはないから

── 素晴らしい子育てだと思います。お子さんたちがちゃんと願ったように成長されています。

 

宮沢さん:どうでしょうね。自分のダメなところは自分がよくわかっているので、自分がこうありたかったなという方向に仕向けるというか。手は差し伸べないんですが、自分がなりたくてもなれなかったものになるように願っていたふしはありますね。

 

今の子どもたちを見ていると、人間力とか生産性とかキャパシティとか、そういうものはとっくに僕を超えてるなと思う瞬間がよくあります。もう僕の役目は終わったんだな、じゃあ自分の人生を行こうって。

 

宮沢和史さん
今やライフワークとなっている釣りを楽しむ宮沢さん

── もう安心して見ていられますか?

 

宮沢さん:いや、いずれ失敗したり道から外れたりすることもあるでしょうから、そのときは助けるつもりです。今、僕が助言することはないから、自由にやってくれという気持ちですね。

 

PROFILE 宮沢和史さん

1966年生まれ。山梨県出身。1989年、THE BOOMのボーカリストとしてデビュー。国内外を旅し、様々な音楽のエッセンスを取り入れた独自の音楽を創造し続けている。著書に『沖縄のことを聞かせてください』(双葉社)他多数。

 

取材・文/原田早知 写真提供/宮沢和史