人気バンド「THE BOOM」のボーカリストとして『島唄』『風になりたい』など誰もが口ずさめる名曲を世に送り出した宮沢和史さん。沖縄に縁が深いのかと思いきや、実は山梨県の出身。体が弱く内気だったという宮沢少年は、どのように音楽に目覚めていったのでしょうか。(全4回中の2回)

弱虫だった幼少期…変わったきっかけは「釣りと野球」

── 小さいころはどんな子でしたか?

 

宮沢さん:幼稚園から小学校に入るあたりまでは身体が弱くてよく風邪を引いていて、自分に自信のない内気な子どもでした。小学校半ばくらいのころ、近所の友だちが僕のことを気にかけて釣りに誘ってくれたんです。そこで魚との出会いや自然を駆け回る喜びを体験して、釣りが好きになりました。彼のおかげで積極的になれてスポーツをするようになって、野球や陸上をやっていくうちに、どんどん身体も強くなって心も強くなっていったんです。そういう意味では、彼は恩人ですね。

 

小学校時代は野球少年だった宮沢和史さん(前列右から4番目)
小学校時代は野球少年でした(前列右から4番目)

── 出身地の山梨県甲府市は自然も美しいところですよね。

 

宮沢さん:山梨は空気が綺麗なので、夜空もすごく綺麗なんです。特に秋から冬にかけて、星や月が手が届きそうなくらい近く感じるんですね。子どものころはそれが当たり前だと思っていたんですが、違う地域ではそう見えないこともある。山梨に帰って来て見ると、やっぱり感動します。

 

月を見ているときって、ただぼんやり眺めてるわけじゃなくて、何かを考えている。月をずっと飽きずに見ながら考え事をしている時間は、人生においてとても大事だと思います。僕の曲は月が出てくることが多いんですが、自然とそういうときをスケッチして歌に書いているんでしょうね。

好きだった女の子がノートに書いていた衝撃の言葉

── 宮沢さんの書く歌詞は視点や比喩表現が詩的で素晴らしいですが、言葉の面白さに気づいたのはいつごろですか?

 

宮沢さん:今でも僕はボキャブラリーが多いわけじゃないし、文学的に書こうという意識もなくて、思ったことそのまま書いているだけなんですが、子どものころから詩は好きでした。小学校5年生のとき、クラスにすごく好きな女の子がいて。綺麗で勉強も出来ておしとやかでみんなから慕われていて、でも前に出るタイプじゃなくて。完璧な人だなと思って憧れていたんです。彼女が放課後に大学ノートに向かっていたので見たら、自分で書いた詩を読んでいた。そのタイトルが『悪魔になりたかった私』っていう…。

 

── それは衝撃的です!

 

宮沢さん:そのギャップにびっくりして。完璧な女性だと思っていたのに、心の中は違うんだなと。自分が思ってる自分、人が見ている自分、こうありたいという理想の自分は実はみんなかけ離れていて、そこをどうにか寄せ合い、まとめているのが人間なんだなと思ったし、言葉ってすごいなと思いましたね。それから国語の詩の時間がすごく楽しみになりました。

 

中学生の頃の宮沢和史さん
中学生の頃の宮沢さん

── 言葉だけじゃなく、人間の多面性に着目するきっかけにもなったんですね。

 

宮沢さん:そうですね。僕は「明日もがんばろう」とか「楽しくやろう」ということも書きますが、あまり見せたくない自分とか、心の中のドロドロしたものも歌詞にする。どちらか片方だけじゃなく、両方歌にするようしています。

中2から「ラブソング」を作り始めて

── そういう体験を経て、音楽を志すようになったんですね。

 

宮沢さん:僕が中学のころはフォークソングブームだったんですが、中2から作曲めいたことをやり始めました。それで学園祭に出たりして…高校でもそんな感じでしたね。でも、自分らしいオリジナル曲はまだ作れなくて、コンプレックスの穴を埋めるような作業でした。基本的にはラブソングなんですが、それを何回も家で歌うことで克服していく、みたいな。自分に言い聞かせるような歌だったと思います。あんまり今、聴きたくないですね(笑)。

 

高校時代の宮沢和史さん
人前で歌うことの醍醐味を知った高校生の頃

── 学園祭以外の初ライブは喫茶店だったとか。

 

宮沢さん:高3の進路を決めなきゃいけないギリギリのときに、友達が弾き語りライブをお膳立てしてくれたんです。行きつけの喫茶店を貸し切りにして、チケット作って売ってくれたりして。お客さんは20人くらい集まりました。緊張して上手く歌えなかったけれど、お客さんが拍手してくれたのが嬉しかったですね。

 

歌手というのは拍手をもらうために歌う、シンプルに言うとそういう仕事だと思います。もちろんメッセージを感じ取ってもらったり、生活のためのお金を得るとかそういう面もあります。でも究極は歌ったあとに拍手やアンコールをいただいたとき、自分は期待されている、ああ、俺は生きているんだって感じられる。そういうことを連続させたいから続けている気がします。

 

ホコ天で精力的にライブ活動をしていた頃のTHE BOOM
ホコ天で精力的にライブ活動をしていた頃

── やりたいことを仕事にできて、さらに人に喜んでもらえるって最高です。

 

宮沢さん:最近、故郷の山梨県甲府市の小学校に行って特別授業をすることが多いんですけど、「自分の夢は口に出したほうがいいよ」とよく話すんです。夢って達成したときに人に言いたくなるものですが、口に出すことによって周りが応援してくれたり、手を貸してくれたりする。そうするとみんなの夢になるので、大きい力になって推進力が出る。子どものころ釣りに誘ってくれた友達や、ライブを開いてくれた友達のことを思い返すと、そうだよなと実感しますね。

 

PROFILE 宮沢和史さん

1966年生まれ。山梨県出身。1989年、THE BOOMのボーカリストとしてデビュー。国内外を旅し、様々な‘音楽のエッセンスを取り入れた独自の音楽を創造し続けている。著書に『沖縄のことを聞かせてください』(双葉社)他多数。

 

取材・文/原田早知 写真提供/宮沢和史