人気バンド「THE BOOM」のボーカリストとして『島唄』『風になりたい』など誰もが口ずさめる名曲を世に送り出した宮沢和史さん。2016年に体調不良により歌手活動を休業したのち2018年に再開しました。当時はどのような心境だったのでしょうか。(全4回中の1回)

バンドも事務所もやめて「身も心も転生した」

── 2016年に頸椎ヘルニアの悪化で歌手活動を休業し、2018年に再開、現在は精力的に活動されています。音楽の現場を長く離れてから復帰して、何か変わったことはありますか?

 

宮沢さん:休業したときにバンドもやめて事務所もやめてひとりになったのですが、身も心ももう一度“転生した”ような感じです。自分がやりたい仕事、やるべき仕事を自分で判断して活動のペースを組み立てています。

 

宮沢和史さん

── 休業されるころは、どのような状況だったのですか?

 

宮沢さん:2006〜2007年ころから、首の痛みの発作が出ると1か月くらい何もできないような状況がありました。その前からだんだん精神と身体が不安定になってきて、自分でもいい歌が歌えないなと思いながらTHE BOOMのメンバーやファンのみなさんにも隠して、やれる限りでやっていたんです。

 

でも、ヘルニアが悪化して完全にもう歌えない、このままだとバンドにも迷惑がかかるなとなったとき、メンバーに事情を話して2014年に解散しました。そのあと、ひとりなら首が痛くてもやり方があるかなと思いやってみたんですがダメで、事務所もやめさせてもらったのが2016年ですね。

音楽にもギターにも触れなかった2年間

── 苦渋の決断だったんですね。休業してからはどんなふうに過ごしていましたか?

 

宮沢さん:2年間くらいは図書館に通ったりして過ごしていました。今までは音楽の世界の中にいたのに、離れるとあんまり音楽って聞こえてこないんだなと。むかしはどこに行っても音楽って聞こえてくるなと思っていたんですが、音楽がなくても生活は進んでいくんだと気づいて、ちょっと寂しさを感じました。

 

歌は引退したつもりでいたので聴きもしなかったし、ギターも弾きませんでした。中学のころから歌を歌っていたので、そういう経験ははじめてでしたね。でも悲しいわけじゃなく、サッパリした気持ちで。以前からやりたいと思っていた沖縄民謡の保全に関する仕事や別のプロジェクトのために、図書館に行って勉強したりしていました。

デビュー当時の宮沢和史さん
デビュー当時の宮沢さん

── 2017年には、ときどき歌の活動をされていましたね。

 

宮沢さん:お世話になった人から仙台での東日本大震災の復興支援ライブに誘われたので何曲か歌ったのですが、声は出ないし歌の出来はひどかったんです。ああ、俺もこんなになっちゃったかと思ったんですけど、歌い終わると拍手がすごいんですね。ああ、こうやって拍手もらってたな、ここに俺、いたんだよなって。

 

とはいえ、一回リングから降りると、もう一回上がるのが怖いんです。上がってライトがバッと当たってお客さんの期待がこっちに向いていて、さぁ決めろっていう状況に置かれるのがすごく怖くて。もうここに復帰することはないだろうなと思いながらも、今度は長崎県の対馬から声がかかって。島の人に拍手をもらったりしてるうちにだんだん心地よくなってきて、少しずつ歌おうという気持ちになっていきました。

一度立ち止まって自分を追い込んでいたことに気づいた

── 一度立ち止まってゆっくり休んだことが功を奏したんでしょうね。

 

宮沢さん:休業してから、首の発作は一度もないんです。常に腕と手がしびれてるし、100%の力が入らないんだけど、ひどいときに比べたら天国みたい。重いヘルニアになったのもただ身体を壊したわけじゃなくて、精神の問題だったんでしょうね。精神的にも肉体的にも自分を追い込んでどん詰まりになって、身体が悲鳴を上げてもう(そんな生活は)やめろっていうことだったんだなと思います。

 

ブラジル・サンパウロでの宮沢和史さん
ブラジル・サンパウロで沖縄県人会の集まりに参加した時の一枚

── 宮沢さんの作る曲は『島唄』のような強い思いを込めたメッセージソングが多いですし、若いころからとてもストイックな印象があります。

 

宮沢さん: たしかにほとんどがメッセージソングですね。『島唄』のような広く遠くへ届けるように作った曲も気に入っていますが、話題にさえ上がらない、ライブでやる機会も少ない、とてもパーソナルな歌のなかにも本当に好きなものがあったりします。心のジッパーを広げて心をさらけ出して、両手で持ってみるような曲というか。

 

ブラジル・リオデジャネイロを訪れた宮沢和史さん
ブラジル・リオデジャネイロの伝説のコンサートホール『カネコン』でのコンサートの直前の一枚。看板にある「ガンガ・ズンバ」は2006年に始動した宮沢さん中心のバンド

── 例えば、どの曲ですか?

 

宮沢さん:『極東サンバ』というアルバムに入っている『poeta』っていう詩人の独白みたいな曲とか。あとは『四重奏』の中に入っている『オロカモノの歌』。ただ部屋の中でブツブツ言ってるだけなんですけど、そういうのが実は本音だったりして。あまり大きな声では言えませんが、歌詞にすることで、そこを克服していこうっていうところもあります。

 

ファイティングポーズで何でもかかってこい!みたいな曲も、部屋でパンツ一丁でゴロゴロしてるような曲も両方自分なんですね。そうやっていろんな自分を歌にするようにして、無理が来ないようにバランスを取ろうとしてきたんでしょうね。

 

PROFILE 宮沢和史さん

1966年生まれ。山梨県出身。1989年、THE BOOMのボーカリストとしてデビュー。国内外を旅し、様々な音楽のエッセンスを取り入れた独自の音楽を創造し続けている。著書に『沖縄のことを聞かせてください』(双葉社)他多数。

 

取材・文/原田早知 写真提供/宮沢和史