お笑いの仕事をしながらゴミ清掃員として働く芸人・マシンガンズの滝沢秀一さん。ゴミ清掃員が発信するリアルな投稿が話題になり、X(旧Twitter)では24万人のフォロワーがつくほどに。そんな滝沢さんがゴミ清掃員として働くきっかけはなんと出産だったそう。妻の友紀さんに、詳しく伺いました。(全2回中の2回)

 

滝沢友紀さん。2人目の出産後、産後うつになり…
滝沢友紀さん。2人目の出産後、産後うつになり…

有吉さんのリツイートが夫の仕事の転機に

── そもそも秀一さんがゴミ清掃員として働き始めたのはなぜだったんですか?

 

友紀さん:私たちが結婚したのは、私が37歳、夫が32歳のときでした。その時期、私は父の介護で忙しく、父が亡くなったのは40歳。そこから不妊治療をして42歳で長男を出産しました。

 

その当時、夫は芸人の仕事が多くはありませんでした。でも、それまでは二人だけだったし、私も歯科クリニックの受付で働いていたので生活はできていたんですね。でも私が妊娠し、出産で働けなくなるため、夫も芸人以外の仕事を探すことになりました。

 

年齢も年齢ですし、面接は軒並みで落ち続けてしまい、厳しかったですね。そのときに元芸人仲間が紹介してくれたのが、ゴミ清掃員の仕事でした。

 

── 子どもが生まれるし、切羽詰まって始められたんですね。ゴミ清掃員の仕事を始めた当初は慣れない仕事で大変だったのでは? 

 

友紀さん:最初は1日中走るのがとにかく大変だったみたいです。本当にやりたい仕事はお笑いなわけですし、気持ちが腐りかけたこともあったそうですが、せっかくやっているのならこれをお笑いの仕事にも活かしたいという気持ちになっていったようです。

 

ゴミ清掃員として働く芸人・マシンガンズの滝沢秀一さん
ゴミ清掃員として働く芸人・マシンガンズの滝沢秀一さん

── ゴミ清掃員の仕事を本気で取り組もうと思ったきっかけはあったのでしょうか。

 

友紀さん:夫はゴミ清掃員の仕事を始めて、「食品ロス」の多さに驚いたそうです。たとえば米が1袋やメロンがまったく手をつけない状態で丸ごと捨ててある。実際にその様子を目の当たりにして、とてもショックを受けたんだと思います。現在では食品ロスを減らすための活動や講演会、配信なども行っています。

 

昔から夫はお笑いのことをずっと考えてきたのですが、今では同じくらいゴミのことも考えていると思います。SNSでゴミ清掃員の日常やゴミについての知識を発信していたところ、事務所の先輩である有吉さんがリツイートしてくれるように。それがバズり、芸人としての知名度も一気に上がりました。本人も発信することで人の役に立つことに喜びを感じているようで、生きがいのひとつになっています。きっとゴミ清掃員の仕事が、本人に合っていたんでしょうね。

産後うつ病を発症「キッチンで座って料理を作っていた」

── 42歳で初めての出産、その4年後の46歳で二人目のお子さんを出産されました。ゴミ清掃員として、芸人としても仕事が増え、ひと安心されたのでは…?

 

友紀さん:収入が増えたことはもちろん嬉しかったですが、夫がとにかく忙しくなってしまい…。日中はゴミ清掃員の仕事、夜はお笑いライブで家にいる時間がほとんどない状態で、ほぼワンオペ育児になってしまいました。

 

加えて高齢出産だったので、体への負担も大きかったです。一人目の長男は産後すぐにNICUへの入院が必要だったため、まだ体を休めることができました。当時は高齢の母も元気だったので助けてくれて、高齢出産でも何とか乗り越えられました。

 

でも、46歳で長女を出産した後は、無理でしたね。二人の子どもの面倒を一人でこなさなければならなくなり、少しの時間も休むことができませんでした。体がきつくてキッチンで座りながら料理を作るようなありさまで、立ち上がることができない。ヘルパーさんなども利用したのですが、産後うつを発症してしまいました。

 

46歳で長女を出産した直後
46歳で長女を出産した直後

── それはツラい体験ですね。そこからどうされたのですか?

 

友紀さん:私の場合は入院しないと回復しないとの診断で、結果的に約2か月間入院しました。きっと、育児しながら少しでも休みが取れていたらよかったんですね。入院してみるみる体調は回復してきました。

 

── その間、お子さんたちはどうしたのですか?

 

友紀さん:長男は夫の実家に預かってもらいましたが、私の父は亡くなっていて、母も高齢で頼れず、長女は乳児院に預かってもらうことになりました。実は退院してから長女がわが家に戻ってくるまでには、6か月もの時間がかかりました。産後うつではひどい人だと亡くなる方もいるので、お母さんといっしょに暮らせるように、きちんとした段階を経て、徐々に慣らしていこうという児童相談所の判断でした。

 

そのため、最初に会えたのは退院の約10日後。最初は短時間だけ会う面談をして、慣れてきたら児童相談所の先生も加わって散歩ができるようになり、その後、二人だけで散歩ができるようになり、自宅への外泊などを経て、半年後にようやく帰ってきました。その間、自分の子どもなのに人の子どもになってしまった気がして悲しくて…。でも乳児院のお食い初めで笑顔の長女を見て、愛情を持って育ててもらっているとわかり、私もメソメソするのはやめようと思えました。

 

── 退院後、秀一さんの意識に変化はありましたか?

 

友紀さん:それ以前に比べて、率先して家事をしてくれるようになりました。夫の努力もあったからこそ悪化せずに回復しましたが、やっぱり高齢出産は大変。若い頃より体力がないのはもちろん、両親も高齢で頼れないなどの問題も起こるのだと実感しました。私だけでなく誰にでも起こりうることなので、悩んでいる人には無理をしないでほしいなと思います。

 

PROFILE 滝沢友紀さん

お笑い芸人・マシンガンズの滝沢秀一の妻で、二児の母。48歳でイラストや漫画の仕事を始め、コミック『ゴミ清掃員の日常』や『ゴミ清掃員の日常 ミライ編 あたらしい時代で、しあわせになるゴミ出し術』(共に講談社)で、漫画を担当している。

取材・文/酒井明子 画像提供/滝沢友紀