アイドルからドラマのヒロイン役をつかむなど順調だったキャリアが一転、まったく仕事がなくなったいとうまい子さん。吹っ切れたのは「犬」の存在でした。(全5回中の1回)
「写真集なんて聞いていない」ムリと思って事務所を退所
── 少年マガジン初代グランプリに輝き、18歳で芸能界入り。アイドル・伊藤麻衣子として、テレビドラマでも数々のヒロインを演じたころはどんな日々でしたか?
いとうさん:アイドルとしてデビューしましたが、役者として認めてもらいたいと、ずっと道を模索していました。
── やがてドラマ『不良少女とよばれて』のヒロインの不良少女役が評判になりました。これをきっかけに本格的に役者の道へ?
いとうさん:それがなかなかうまくいきませんでした。デビュー4年目に主演した映画で、私の意思に反して事前承諾なく脱ぐことになりました。さらに、写真集でも同様の話が進んでおり、もうムリだと思い事務所をやめました。
いまは事務所をやめる人も珍しくありませんが、当時は事務所をやめたらこの世界で生きていけなくなる、と言われました。
── 事務所をやめた後はどんな日々だったのでしょうか?
いとうさん:やはり『伊藤を使うな』みたいな雰囲気になり、一気に仕事がなくなりました。“地獄に落ちた”ように思えました。20代後半で、大人の女性を演じる時期にさしかかっていたのですが、まわりから「童顔で背が低いのは、子どもっぽくてダメ、役に合わない」とも言われ続けました。
── それは傷つきますねぇ。
いとうさん:当時の芸能界って、いちタレントの努力ではどうにもならない世界でした。圧力、キャスティングの権限、いろいろ。童顔や背の低さも、いまなら個性として認めてもらえるかもしれませんね。
── 八方ふさがりの局面をどうのりこえたのですか?
いとうさん:とにかく、役が欲しくて。何かの役を演じれば誰かが見てくれて、「次、この役どうだろう?」と声がかかるかもしれませんが、そもそも演じる機会がなければ次はないわけです。
だから、役をもらおうとプロデューサーや監督に好かれようと必死でした。好きでもない服を着て、自分らしくない髪型やメイクをして、大人っぽく見せようと必死。ようやくプロデューサーが役をくれても、監督が「もっと大人っぽい役者がいい」と口をきいてくれない。自分を見失い、疲れはてた暗い20代を過ごしました。
兄夫婦から譲り受けた犬との出会いが人生を変えた
── 想像できないくらいの不遇の20代を過ごされたんですね。1995年、30歳で芸名を「いとうまい子」に変更。何がきっかけで、心機一転されたのでしょうか?
いとうさん:このころ、兄夫婦から犬(アトム)を譲り受けて、生活も考え方も一変しました。それまで私は周囲の目を気にして、自分が自分でなくなっていました。でも、アトムは私に気にいられようと自分を変えることもせず、そのままの姿で私と向き合ってくれる。そのままの、生き物としての存在がすばらしいなぁと感じました。
あぁ、私も生きているだけでいいんじゃないかって。人に好かれようとムリしてきたことを全部やめたんですよ。そして、名前も変えました。これで、もし仕事がなくなったとしても、やめちゃえばいいって思えたんです。はじめて呪縛から解放されました。
── 犬との出会いが大きな転機になったのですね。
いとうさん:ものの見え方、人に対してや世の中の見方すべてが変わりました。小さい話ですけど、アトムの散歩で公園を歩いていたら、石の上で甲羅干ししている亀を見つけたんです。
そこでハッと気づいたのは、亀は誰からも春だよって教えられないのに、気温や水温にあわせて冬眠から目覚めます。私なら1か月もカレンダーを見なければ、今日が何日なのかわからないし、季節の移り変わりなんてほとんど気にもとめません。「うわー、亀ってすごいな!」って、感動(笑)。
役が欲しいと必死でまわりに好かれようとしていたころは、桜がきれいだなんて考えたことがなかったです。心がすさんでいたから、いろんなことに対して素直に感動できなかった。でも、アトムのおかげで、小さな日常の変化にも心を配れるようになりました。
アトムに出会ってなければいまだに、かつての自分に縛られていたかもしれません。あれは人生のターニングポイントでした。
PROFILE いとうまい子さん
1983年アイドルデビュー。女優として活躍しながら、2010年早稲田大学入学。修士課程では高齢者のための医療・福祉ロボットの研究に携わる。博士課程進学後は基礎老化学を研究。現在は早稲田大学大学院に研究生として抗老化学を研究中。自身で会社経営も行う。2021年より内閣府の教育未来創造会議構成員。2021年(株)タスキ、2022年(株)リソー教育の社外取締役に選任。
取材・文/岡本聡子 写真提供/いとうまい子、株式会社マイカンパニー