著書『発達障害で「ぐちゃぐちゃな私」が最高に輝く方法』で発達障害を公表した、声優・ナレーターの中村郁さん。生きづらさを克服して、好きな仕事に出会うまでのお話を聞きました。
アルバイトも人間関係もうまくいかず、生きづらさを抱えていた大学時代
── ご自身が「発達障害」と知ったのはいつ頃ですか。
中村さん:5年前です。30代後半になって初めて病院へ行きました。ただ、ずいぶん前から「自分は普通の人とは違うな」と気づいていて、ぼんやりと「発達障害なのかな」とは思っていました。
きっかけは、仕事で知り合った人が、「お付き合いしている彼女から『検査を受けてみたら?』と言われて受診した」と話してくれたことです。「私も病院へ行ってみよう」と思いました。
検査の結果、ADHD(注意欠如・多動症)とASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。私の場合は、診断がおりてラクになりました。それまでほかの人ができることができなくて、「なんで自分はこんなにぐちゃぐちゃになってしまうんだろう」と思っていたので。
大学時代、どんなアルバイトをしてもうまくいきませんでした。何をやってもすぐにクビになったり、つらくて行けなくなったりして、続かないんです。周りの人はすぐに仕事を覚えて上達していくのに、私はどんなにがんばってもできなくて、「おまえは社会不適合者や!」と怒られたこともありました。
── どんなアルバイトをされていたのですか。
中村さん:ハンバーガーショップ、喫茶店、イベントのお手伝い、いろいろやりました。
たとえば、洗い物を始めるとひたすら集中してしまって、お客さまが入ってきても「いらっしゃいませ」と言うことすらできなくなってしまう。マルチタスクがまったくできないし、そもそも優先順位がつけられないんです。ほかの人は、ひとつの指示から派生した作業を自分で判断してできるのに、私の場合は言われたことしかできない。だから呆れられて「できない人」だと言われて、ますます自信がなくなっていきました。アルバイトもうまくいかないし、人と接することも苦手で、大学時代は特に生きづらかったです。
高校までは教室に自分の席があって、クラスメートも固定されているから、なんとかやり過ごせていました。でも、大学という大海原へ出ると、友達って自分からコミュニケーションをとらないとできないんですよね。
初対面の人に会うと頭痛がして、大学にはほとんど行けませんでした。がんばって受験勉強をして夢見ていた大学に入れたのに、なじめなくて、アルバイトもできなくて、「なんでこんなことができひんのやろ」と思うと苦しくて、ずっと寝ていた時期もありました。
── 小さい頃に診断されていればよかったと思われますか。
中村さん:小さい頃にわかっていたほうがよかったと思います。私は苦しんだ時期が長かったので。子どもの頃から集中力はすごくあって、勉強は好きでした。特にそろばんが得意で、近畿大会で優勝したこともあります。でも、わからないと癇癪を起こしたりパニックになったりしていました。
私は親に育児放棄という形で手放されて、祖母に育ててもらいました。いつも眉間にしわを寄せているかんしゃく持ちの子で、育てにくかったと思うんですけど、祖母が「あなたは大丈夫、あなたならできる」と認めてくれたおかげで、なんとかやってこられました。「のんびりした環境で過ごすほうがいいだろう」と、中高一貫の女子校を薦めてくれたのも祖母です。
子どもの場合は、早めに発達障害だとわかれば親御さんの声がけも変わると思いますし、苦手なことをやらせるのではなくて、環境を工夫して好きなことを伸ばしてあげられると思います。
「好きなことが見つかると、人はこんなに変わるんだ」と実感
── 大学卒業後、すぐに声優の道へ進まれたのですね。
中村さん:アルバイトもできないのに就職は無理だと思って、あきらめていたんです。
歌手になるのが夢で作曲を習っていたんですが、その先生から声の仕事を勧められて、「そういう仕事があるんだ」と知りました。
アルバイトでは、集中しすぎて周りが見えなくなるのが欠点でしたが、声優の仕事では人よりも高い集中力を評価していただいて、お仕事を続けることができています。この仕事を始めて20年以上になりますけど、産休以外で一度も休んだことはありません。それまでは、すぐに熱を出したり疲れやすかったりして、学校もアルバイトも休みがちだったのに、今は仕事がある日はぜったいに風邪をひきません。
遅刻もしなくなりました。時間管理が苦手なうえに、忘れ物をとりに帰ることも多いし、道に迷いやすいから、遅刻ぐせがあったんです。
でも、この仕事は一度遅刻をしたら二度と呼んでもらえなくなります。「どうしたら遅刻をしなくなるだろう」と考えて、約束の時間の1時間前に着くようにしたり、乗換案内で調べた電車の3本前に乗るようにしたりしました。好きなことが見つかると、人はこんなに変わるんだということを実感しています。
── 好きな仕事が見つかったことで、苦手なことも克服できたのですね。
中村さん:もちろん今でも、できないことはたくさんあります。事務所の人に「ナレーションはちゃんとできるのに、提出物はめっちゃ遅いなあ」とよく言われますし。スタジオにしょっちゅう物を忘れそうになって、スタッフに「また忘れてますよ~」と声をかけてもらったり、機械が苦手で、コピー機の前で頭をかきむしっていると、誰かが助けてくれたり。
仕事にも得意不得意はあって、集中力が求められるナレーションは得意ですが、周りを見て臨機応変に対応する司会は苦手です。
「とりあえずやってみる」というのが私のモットーなので、声をかけてもらったことは、とりあえず何でもやってみるようにしています。やってみて、がんばってもできないことなら、それは手放せばいいと思っています。
PROFILE 中村郁さん
声優・ナレーター。多彩な声と集中力を生かして活躍中。著書に『発達障害で「ぐちゃぐちゃ」な私が最高に輝く方法』(秀和システム)。
取材・文/林優子 画像提供/中村郁