「カールおじさん」や「パピプペンギンズ」などの生みの親、ひこねのりおさん。ほのぼのとした世界観を作り上げてきた背景には、妻まふみさんとの二人三脚がありました。(全2回中の2回)

突然の病気で仕事が激減

── お仕事が絶好調だった時期に、病気をされたと伺いました。

 

のりおさん:1992年のことです。僕はパソコンがまるでダメだから、「時代に乗り遅れないように」と思ってパソコン教室へ行ったんですけどね、1日中閉じ込められて、習っても全然わからない。帰ってきたら熱が出て、翌日になっても全然下がらない。結局、病院でウィルス性髄膜炎だと診断されて、20日間入院しました。

 

「髄膜炎になったのはパソコン教室のせいだ」なんてふざけてよく言うんです。


まふみさん:最初は家族で「知恵熱だね」なんて笑っていたんですけどね。退院してからも手が震えて、お味噌汁を口元まで持っていくうちに中味がなくなってしまうほどだったんです。リハビリをして、普通に生活できるようになるまで半年くらいかかりました。

 

「かわいい…!」妻まふみさんと自分をイラスト化

── のりおさんの突然のご病気で、まふみさんも大変でしたね。

 

まふみさん:退院後は仕事が激減しました。マネージメントしてもらっていた会社も辞めてこれからどうしていったら良いか途方にくれました。

 

いろいろ考えて、女性向けのビジネススクールに通うことにしました。おかげで、自分はそれまで何も知らなかったんだということに気づけて。新しい世界を知れてよかったです。

「悪役もいい子になっちゃう」ひこねワールド

── 具体的にはどんなことを学ばれましたか?

 

まふみさん:たとえば企画の作り方もイチから習いました。授業で何か企画を出さなきゃいけなくて、「この人に新しい作品を描いてもらおう」と思って、提案をしました。

 

のりおさん:「リハビリのために、好きなものを描きなさい」と言われて、オリジナルで作ったアニメーションが『パニポニ』です。この人と一緒に設定やストーリーを考えてね。この人は、キャラクターの名前を考えるのが好きなんだよね。

 

『パニポニ』は、NHKの5分番組で、50話やらせてもらいました。「悪い子も出さなきゃ話がもたないだろう」って、悪いキャラクターも作ったんだけど、感情移入できないから難しい。いつの間にか、みんないい子になっちゃってね。なんだかお人よしばっかりの話になってきたものだから、声優さんが途中で「刺激がほしいー!」って叫んだんですよ。あれはおかしかったね(笑)。

 

オリジナルアニメ作品『パニポニ』は、のりおさんの仕事が激減した頃、夫婦二人三脚で生まれた

── おふたりのご様子を伺っていると、たしかに悪役を生み出すイメージがわきません。

 

まふみさん:悪役は難しいですね。顔だけ悪くしてもダメだものね。でも、お話に出てくる悪い怪獣も、よく考えるとどうして悪いのかわからなくなっちゃう。

 

のりおさん:「どうして悪いのか」という背景まで考えて描かないといけないからね。たとえば『カチカチ山』のタヌキは、おばあさんを殺してしまうんだから、どう考えても悪い。でも、どうしてウサギがタヌキに復讐をして命まで奪うのか。説得力を持たせるのは難しいですよね。

 

そう考えると、「ムーミン」はすごいです。悪役が出てこないのに話の展開が深くて。最初に「ムーミン」がアニメーションのシリーズになったときに原画を描いたんです。それで原作を読んだら、シュールな話なんですよね。ああいう世界はいいなぁと思って、影響を受けましたね。

結婚式の2週間前に夫は会社を辞めた

── おふたりの出会いを聞かせてください。

 

のりおさん:虫プロ(虫プロダクション)で知り合ったんです。

 

大学を出て、東映動画(現東映アニメーション)に入って長編アニメーションをやっていた頃は楽しかったんだけど、テレビの短編アニメの仕事が増えたら、あまりにも忙しくなってしまった。虫プロにいた友達に誘われて見学に行ったら楽しそうだったんで、虫プロに移りました。そのとき、この人も女子美(女子美術大学)を出て、虫プロにいたんです。結局、僕は1年くらいで虫プロも辞めて、フリーランスになりました。

 

── 会社を辞めたのが、結婚式の2週間前だったと聞きました。

 

まふみさん:そうなんです。友達には心配されましたけど、「まあ、貧乏でもいいや」と思って(笑)。

 

結婚式には、社長の手塚治虫先生も来てくださいました。結婚してしばらくは勤めを続けていましたけど、生活リズムが合わないので私も退社して、この人の仕事を手伝うようになったんです。色塗りをしたり、背景を描いたり。2人の子どもが小さいうちは、寝かしつけてから夜中に作業をしていました。起きているときは、子どもを払いのけながらやっていましたね。

 

今はパソコンで色をつけますけれど、当時は手作業でしたね。

 

── 二人三脚でやってこられたのですね。

 

のりおさん:今もパソコンでの作業は、この人が全部やってくれています。一緒に仕事をやっていて楽しかったのは、仕事がらみで日本のあちこちに行けたことです。

 

特に思い出に残っているのが、10年ちょっと前になりますが、石垣島に行ったこと。

 

徳村菓子店という大きなお菓子屋さんがあって、社長がカールおじさんが大好きとおっしゃってくださる方で、お店の前に巨大おじさん像を作ってくれました。ミンサー織りのシャツを着ているんですよ。

 

虫プロで出会い結婚したのりおさんとまふみさん「一緒に仕事をしてきて楽しかったのは、仕事がらみで日本のあちこちに行けたこと」

── 20年前から「G9+1」というアニメーターグループの活動もされています。どういった内容ですか。

 

のりおさん:短いアニメーションを作っているんです。鈴木伸一という、「ラーメン小池さん」のモデルになった「トキワ荘」の生き残りが声をかけてくれてね。「G9」っていうのは、じいさんのGのつもりが、ばあさんも一人いるから「グランドファザー・グランドマザー」のGってことにして。まとめ役で若い人が一人いるから「+1」です。

 

たとえば「穴」みたいに、同じテーマでみんなそれぞれにアニメーションを作るんです。それぞれ作風が違うし、歳をとってみんな丸くなったから、けんかもしないでもう20年続いています。

 

2~3分の短い作品ですけど、キャラクターからストーリーまで自分で作れるから楽しいですね。今の時代は、パソコンがあれば一人で全部作れますからね。僕はパソコンができないけど、この人がいるからやれるんです。

 

京都とか岡山とか金沢とか、ときどき地方の映画祭で上映するから、旅行がてらみんなで行って、みんなでお酒を飲んだりしてね。

 

お金にはなりませんけど、楽しいです。今はこの活動が生きがいですね。

 

PROFILE ひこねのりおさん

1936年生まれ。東映動画(現東映アニメーション)、虫プロダクションを経てフリーランスに。妻のまふみさん、スタッフ2名と「ひこねスタジオ」を運営する。著書に『ひこねのりお キャラクターあれこれ図鑑』(平凡社)。Xは「ひこねのりおのHANSUU」@hikonenorio10

 

取材・文/林優子 画像提供/ひこねスタジオ