1980年代、人気アイドルグループ・おニャン子クラブの衣装として一大ブームを巻き起こしたアパレルブランド『SAILORS(セーラーズ)』。2000年に突如閉店した理由とは。
当時の私には「娘のために生きる」1択しかなかった
── 2000年に突如閉店した「セーラーズ」ですがこのとき、何があったのでしょうか?
三浦さん:45歳のとき、腰に激痛が走って救急車で病院に運ばれまして、検査したら妊娠していることがわかりました。当初「大きな病気になってしまった」とばかり思い込んでいたので、「えーーー!?」ってめちゃくちゃ驚いたんですが。喜んだのもつかの間、高齢出産のリスクとも向き合わなければならない事態で。妊娠中も絶対安静を言い渡され、ずっと入院していました。
そして私が46歳のときに娘が生まれました。前置胎盤で早く生まれてきたので、体重は1773gと小さかったんですけど、6か月を過ぎたあたりから様子がおかしいなとなって、1歳の頃に脳性まひが判明したんです。これはもう娘のために生きようって。それが閉店した理由です。
── 三浦さんのご著書『叶うなら娘より1秒長く生きたい!!』でも、娘さんのことを書いていらっしゃいましたね。
三浦さん:本を書くにあたり当時のことを思い出そうとしたんですけど、思い出せないんですよね。それくらい必死だったんだと思います。あとからいろんな資料を見て、こうしたんだったなって思い出していったんですけど。娘のこと1択しかなかった。
事実婚だった娘の父親とは別の道を歩むことになり、シングルマザーとして娘を育ててきたんですけど、当時仕事をやめることに迷いはありませんでした。私の性格上、両立は難しいなと思ったので。あっという間に23年がたち、私も70歳になりますけど、娘のことに無我夢中で走り続けてきた感じですね。今でも欠かすことなく毎日3時間娘のマッサージとリハビリを続けています。
私が生きている間は全力で娘に愛情を注ぎ続けたくて。愛情を注ぐことでみんなにかわいがってもらえる大人に育ってくれたらなって思うんです。娘より1秒長く生きられたらという思いはありますけど、将来的にいつかは娘が施設に入ることになるでしょうから、そのときのためにも、と。今も変わらず頑張っています。
── 娘さんを育てるなかでご苦労もあったのではないでしょうか。
三浦さん:学校に通ったり、娘の成長とともにいろんな問題にも直面してきました。行政の補助の必要性を感じたり、娘を育てることで知った不便さや暮らしにくさなどにも気づけましたね。これは私が選挙に2度も出馬した理由でもあります。
── 今現在、高齢のお母様とも同居していらっしゃるとのこと。
三浦さん:今一緒に暮らしている私の母が92歳で認知症なんですね。目が離せない場面も多々あって、人の助けも借りないといけなかったりして。正直大変ではあるんですけど、ポジティブにいくしかないですよね!ネガティブでいても、何もいいことないんですよ。娘のことも母のことも、手助けを借りながら一人で抱え込まないようにしています。
14年ほど前、母は脳梗塞を発症したことがあって。それ以降、定期的に検査を受けているんですけど、私も母に合わせて一緒にいろいろと検査をするようになりました。そういう意味では母のおかげで早くから自分の健康に目を向けてメンテナンスすることができましたね。みなさんにいつも元気だねって言ってもらうんですけど、若さの秘訣はそれかな?健康第一です。
誰かが喜んでくれることが原動力 大学での講義にも挑戦
── 令和に復活したセーラーズの運営にも精力的でいらっしゃいますよね。
三浦さん:私、思うんですけど、誰かが喜んでくれることが間違いなく私の原動力なんです。セーラーズを愛してくださる方から力をもらって、どんどんこうしてあげたいって気持ちがふくらんで、何かできないかなってアイデアが湧いてくるんですよ。そんなワクワク、ドキドキする機会をもらって感謝しています。
── 三浦さんのご活躍はとどまることなく、大学の講義をすることにもなられたそうですね。
三浦さん:そうなんです。国士舘大学経営学部で起業家教育講座の講義をすることになりまして。10代で起業した話をしてほしいということで、お話をいただきました。1週間前に学生に資料を渡したら、セーラーズを知っている世代の親御さんから質問を預かってきた、なんて子もいましたね(笑)。
仕事で成功したいという若者に私が教えたいことは、「同じレベルのことをやっていても同じかそれ以下にしかならない」ということ。どう他と違うことをやれるか、そこのセンスの磨き方を学んでほしいですね。今どきの若者を退屈させない話ができるか心配ですけど、いろんな工夫をしていきたいなと思っています。
PROFILE 三浦静加さん
「セーラーズ」社長兼デザイナー。19歳で起業し、東京・江古田でジーンズショップをスタート。1984年、渋谷に「セーラーズ」をオープン。人気アイドルグループ・おニャン子クラブの衣装としてセーラーズが採用され一大ブームに。1999年5月誕生した娘が脳性まひと診断されてからは、みずからの人生を娘に捧げると決意しセーラーズを閉店。現在は要介護4の母とハンディキャップを持つ娘とともに生活しながら復活したセーラーズの運営や社会問題にも目を向けさまざまな場面で活躍中。
取材・文/加藤文惠 画像提供/三浦静加