1980年代、人気アイドルグループ・おニャン子クラブの衣裳として一大ブームを巻き起こしたアパレルブランド「SAILORS(セーラーズ)」。その人気ぶりは凄まじく、あらゆる伝説を残してきました。社長兼デザイナーの三浦静加さんに当時のお話を伺いました。
テレビ番組「夕やけニャンニャン」からの衣装依頼が転機に
──「セーラーズ」と言えば水兵さんのキャラクターが知られています。あのキャラクターはどのように生まれたのでしょうか?
三浦さん:下北沢の小道具屋さんをのぞいたときに、お店に飾られていたプレートに水兵が描かれていて、そこからインスピレーションを得て、自分でイラストを描き、デザインしました。当時は江古田でジーパンを売るお店をやっていたんですが、そのデザインをトレーナーにして販売したところすぐに売り切れたんです。そこからセーラーズのキャラクターでブランドを始めようとなりました。
── セーラーズの服は、テレビ番組「夕やけニャンニャン」でアイドルグループのおニャン子クラブの衣装で一気に人気に火がつき、一大ブームとなりましたよね。
三浦さん:その頃は渋谷のNHKの近くにお店がありました。口コミが広がり、芸能人も服を買いに来てくれるようなお店になっていました。ある日、店の噂を聞きつけたテレビ局のディレクターさんから番組で生まれたアイドルグループ「おニャン子クラブ」の衣装としてセーラーズを使わせてほしいと連絡が来たんです。びっくりしました。
「予算1人1万円で月に2ポーズを隔週で着せる」と言われて。メンバーが20人以上もいるんですよ。そんな数を準備することが最初はできないって思ったんです。予算的にはお揃いのものをオリジナルで新たに作るのは難しいから。
でも事前に見せてもらったVTRで彼女たちが黒い服を着ていたのが気になって。若い女の子たちがかわいく見えるような服を着せたいという気持ちが湧いてきて、お受けすることに。最初は店頭にあるものからセレクトして準備しました。デビュー時に彼女たちが着ていたショートパンツは実は男性用のトランクスだったんですよ。
── え!そうだったんですね、さわやかな色のコーディネートで誰も気づいてなかったんじゃないでしょうか?
三浦さん:薄いストライプにセーラーズのマークが入ったものでしたが、誰も気づいてなかったみたい(笑)。トップスも袖なしのパーカーを赤・オレンジ・緑・青と色を変えカラフルにしました。そんな彼女たちのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」という曲が大ヒットして人気が増すにつれ、セーラーズも注目を集めることになりました。
── 曲のヒットとともにファンの方が「同じものを着たい!」と殺到したんですね。
三浦さん:そう、もうびっくりしました。お店は、渋谷の公園通りから一歩路地を入ったところにあったのですが、ある日の出勤途中、男の子たちが歩道からあふれていて。「今日は何かあるの?」って聞いたら「セーラーズに並んでます」って。開店待ちしてるんですよ。慌ててお店に向かいました(笑)。そこからどんどん人が増え、店の前の公園にも人だかりができるようになって。
休日なんかは地方からのお客さんたちも増え、近所の交番には「セーラーズはどこですか?」と1日に何十人もたずねてきて、仕事にならないからお店の地図持ってきて、って言われて。渋谷のハチ公前交番と二又交番には配布用の地図を置いてもらってました。
── 9坪のお店で大勢のお客さんの対応をするのはパニックになりそうですね。売れ行きもすごかったのではないでしょうか。
三浦さん:連日整理券を出しましたが1日2000人が限界でしたね。40人ずつ入れて、入店時間は一人15分、15歳未満は保護者同伴、お買い物は一人15万円までというルールをつくったんですが、品出ししているそばから売切れていく状態で。レジ打ちするアルバイトの子たちもみんな腱鞘炎になるほど。売上金はレジに収まらず、段ボール箱の中にどんどん入れていくんですよ。
夜に銀行の人が売上金を回収に来るんだけど、フタが閉まらない。そんな状態でした。この頃の年商が28億円。当時、税理士さんに「テレ東と納税額同じですよ」って言われたのを覚えてます(笑)。この頃の長者番付で発表される芸能人の方が納税額3億とか4億とかっていう時代に、7億3000万円納税していたんです。今考えると、すごいですよね。
マイケル・ジャクソンから「ジャンパーを作ってほしい」
── 数字を見ても、時代を動かす勢いがありましたね。多くの著名人にも愛されたブランドとしても知られています。あのマイケル・ジャクソンも着ていたとか。
三浦さん:そう。でも私、実はマイケル・ジャクソンを知らなかったんですよ。九州に出張していたとき東京にいる店長から電話がかかってきて「マイケル・ジャクソンがセーラーズのジャンパー欲しいって、連絡が来た!」って言うんですよ。「マイケル・ジャクソンって誰?」って言うと、店長に「帰ってから話しましょう」って。帰宅して状況を把握しました(笑)。
当時幼児の誘拐事件があって、マイケルが捜査の力になりたいと、じゃあ若者に人気のセーラーズのジャンパーにメッセージを入れて滞在中に着ようとなったそうで。動物愛護精神のあるマイケルからは「レザーやウールを使用しないで作ってほしい」とリクエストもあって、素材選びも慎重にしました。なんと納期は3日だったんですけど、職人もフル稼働させ、間に合わせました。
── マイケルのお人柄が伺えるエピソードですね。その後も数々の世界的な著名人がセーラーズを着たそうですね。
三浦さん:そうですね、スティービー・ワンダー、ホイットニー・ヒューストン、アーノルド・シュワルツェネッガー、ジャッキー・チェン、シルベスタ・スタローン…多くのスターが買って着てくれましたね。
あと、こんなこともありました。ある日、千代さん(元大相撲力士・千代の富士)に、完成したジャンパーを届けに行くところで、友人の小錦(元大相撲力士)から電話が来て「しーちゃん、高砂部屋に今すぐおいで」って呼ばれたんですよ。行ってみるとマイク・タイソン(元プロボクサー)がいたんです。奥さんと。
私が着ていたセーラーズのジャンパーを見て「それ欲しい!」って言うから、私が着てたのを奥さんに、千代さんに届けるジャンパーを急きょ、マイク・タイソンにあげちゃったことがありました。サイズが同じだったので。千代さんにはもちろんあとで謝りましたけどね(笑)。
セーラーズの服を世界のセレブが気に入ってくれて、私服で着てくれている様子を雑誌なんかで見たときは本当に嬉しかったですね。
PROFILE 三浦静加さん
「セーラーズ」社長兼デザイナー。19歳で起業し、東京・江古田でジーンズショップをスタート。1984年、渋谷に「セーラーズ」をオープン。人気アイドルグループ・おニャン子クラブの衣装としてセーラーズが採用され、一大ブームに。1999年に出産。ハンディキャップを持つ娘との生活に専念するべく2000年に閉店。近年根強いファンの声もあり復活を遂げ、現在はオンラインサイト『BASE』で不定期に商品を販売している。
取材・文/加藤文惠 画像提供/三浦静加