宝塚歌劇団を主席で卒業し、その後転じた芸能界では数々のヒット曲をリリースした歌手の小柳ルミ子さん。長く活躍する背景には、仕事への真摯な姿勢と周囲への感謝がありました。(全4回中の4回)

宝塚主席卒業、朝ドラ出演、デビュー曲は大ヒット

── ルミ子さんは、宝塚歌劇団の出身でいらっしゃいますね。子どもの頃から、タカラジェンヌへの憧れがあったのですか?

 

小柳さん:実は、まったくそうではなかったんです。ただ、歌って踊れるエンターテイナーになりたかったので、総合芸術を勉強することが目的でした。宝塚音楽学校に入れば、自分の今のレベルがどれくらいなのか分かるだろうと思ったんですね。ですから、私にとって宝塚は、あくまでもプロの歌手になるための通過点だと考えていました。

 

── 2年後に宝塚音楽学校を首席卒業し、初舞台を踏んだ後、芸能界に転身されました。最初は、歌ではなく、NHKの朝ドラで女優としてのデビューだったそうですね。

 

小柳さん:まずは名前と顔を全国の皆さんに覚えていただいてから、歌手としてデビューするという会社の戦略だったんです。NHK連続テレビ小説『虹』で、女優としてデビューをした後、翌1971年に「わたしの城下町」で歌手デビューしました。おかげさまでデビュー曲が160万枚の大ヒットになり、日本レコード大賞最優秀新人賞もいただくことができました。その後も、「瀬戸の花嫁」、「お久しぶりね」「今さらジロー」など、次々とヒット曲に恵まれました。

 

「立ち姿の美しさはこの頃から!」宝塚音楽学校の制服姿

── その後、「歌と華麗なダンスで魅せる」という独自のスタイルが確立されていくわけですが、転機となった出来事はありましたか?

 

小柳さん:紅白歌合戦で男性のバックダンサーを従え、歌いながらダンスをするというステージが私にとっての転機になりました。それによって、「小柳ルミ子は、歌って踊る人なんだ」と広く認知され、歌とダンスで自分の個性を表現するステージが中心になっていきましたね。

「瀬戸の花嫁」は19歳の時のキーで歌いたい

── 「瀬戸の花嫁」「お久しぶりね」など、当時の歌をステージで披露される時に、こだわっていることはありますか?

 

小柳さん:キーを下げたりせずに、当時のオリジナルキーで歌うことです。これって実は、かなり大変なんですね。「瀬戸の花嫁」なんて、19歳の時の歌ですし、他の曲もキーが高くて音域が広いものが多い。本当は半音下げるとかなりラクなんですけどね。

 

── あえて、それをしない理由はなんでしょう?

 

小柳さん:皆さんの思い出の中には、当時のオリジナルキーの音色がありますから、それを壊したくないという気持ちがあります。しかも、キーを下げることで、「瀬戸の花嫁」がどんより暗い雰囲気になってしまったり、「お久しぶりね」が、すごく地味に聞こえてしまうんです。

 

それに私自身、キーを下げるのは、なんだか自分に負けるみたいで嫌なんです。まだまだ諦めたくないので、このまま歌のトレーニングを続けて、どこまで抵抗できるのか、限界までやってみるつもりです。下げることはいつでもできますからね。

 

ボイストレーニングは欠かさない

ただ、50年以上歌い続けていると、どうしても歌い方に変な癖がついたり、逃げやごまかしといった「垢」がついてしまう。ですから、歌う時は、毎回その垢を綺麗にそぎ落として、新たな気持ちで向き合うように心掛けていますね。

 

── 歌への向き合い方が、ものすごくストイックですね。

 

小柳さん:自分を律してコントロールしていかないと、「慣れ」が生じてしまいますから、「自分の足元を改めて見つめる」気持ちを忘れないことが大事だと思っています。

 

長く歌ってきましたが、いまだに「よし、完璧に歌えた!」と思えたことは、一度もないんです。私たち歌手は、肉体だけで音を奏でるわけですから、その日のコンディションや、会場の環境など、さまざまな要素が合わさって、その日の「生の歌」ができ上がります。ですから、毎回同じように歌えるということはないですし、今でもステージに立つときは緊張しますね。

 

ライブリハーサル中のルミ子さん
── これまで数えきれないほどのステージをやってきたルミ子さんでも、いまだに緊張されるものなのですね。

 

小柳さん:でも、緊張はしたほうがいいと思っているんです。集中力のない状態でステージに立つと、必ず何かしら失敗しますから。襟を正すという意味でも、緊張感はとても大事です。

 

私はいつもステージが近づくと、イメージトレーニングをするようにしています。衣装を着て舞台で歌う自分の姿を思い浮かべながら、ステージの上をどんなふうに動くか、どこで誰と何をしゃべるのか。お客さんの様子も想像しながら、イメージをどんどん膨らませていきます。そうすることで、仮に本番で想定外のアクシデントが起きても、慌てずに対応できるんです。

仕事をいただけるのは有難いこと

── 18歳でデビューして、今年で芸能生活53年です。仕事に向き合う気持ちを教えてください。

 

小柳さん:当時からずっと持ち続けているのは、感謝の気持ちです。仕事をいただけることがどれだけありがたいことか、人から求められることがどれだけ幸せなことか。それを実感しているので、「疲れた」「早く帰りたい」「やりたくない」などの不満は口にしたことがないんです。

 

── ネガティブな気持ちを抱くことはないのですか?

 

小柳さん:仕事がいただけることに「ありがたい」という感謝の気持ちが先に立つので、ネガティブに傾いてしまうことはないですね。そもそも本当に嫌ならやらないという選択肢だってあるわけですし、無理なものは「できません」と言えばいい。でも、自分でやると決めたのなら、文句を言うのは違うと思うんです。携わってくださる人たちにも失礼ですしね。

 

ステージでは観客を魅了するパフォーマンスを披露

── 人生100年時代の今、これからやってみたいことや力をいれていきたいことはありますか?

 

小柳さん:まずは、自分の体が元気なうちに、もっともっとステージをやりたいですね。日本全国の方に、私の歌やダンスのパフォーマンスを見てもらいたいなというのが、一番の夢であり、目標です。

 

もうひとつは、これまでの人生経験で得たものをフィードバックして、皆さんに元気を与えるような発信をしたいです。人生をポジティブに楽しむことだったり、体づくりや美容だったり。それこそ離婚や人生のどん底も経験してきているので、どうやって逆境を乗り越えるかなど、話せるテーマはたくさんあります。もちろんサッカーも、もっと観たい!やり遂げたいことがまだまだたくさんあるので、休んでいられませんね(笑)。

 

PROFILE 小柳ルミ子さん

1952年、福岡県出身。1970年に宝塚音楽学校を首席で卒業後、NHK連続テレビ小説『虹』で女優デビュー。翌年、「わたしの城下町」で歌手デビュー。160万枚を超す大ヒットとなり、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。その他、「瀬戸の花嫁」「お久しぶりね」など数々のヒット曲を持つ。女優としても、数々の賞を受賞。サッカーファン歴は19年。年間2000試合を鑑賞。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/小柳ルミ子