「水上の格闘技」と言われるボートレースの世界で女子ボートレーサーとして活躍する佐々木裕美さん。2007年に、同じくボートレーサーだった夫をレース中の事故で亡くしながらも、8か月後に復帰を果たしました。その当時の思いをお聞きしました。(全3回中の2回)
同業の男性と結婚「育児に専念したいと思ったことも」
── デビューして5年目に結婚し、2004年に出産。2年間の育休期間を経て、復帰されました。レースを離れることに不安はなかったですか?
佐々木さん:授かり婚だったので、そのまま産休・育休に入ったのですが、先輩たちも育休を経て復帰していたので、休むことに不安はありませんでした。でも、出産後あまりに子どもとの時間が充実していたので、「このまま子育てに専念したい」という気持ちになり、勝負の世界に戻りたくないと思ったこともありました。
とはいえ、いったんボートに乗ると、やっぱりこの仕事が好きだと実感して。レーサーとしての人生も大切にしたいと思い、いまに至ります。これは「女性選手あるある」ですが、子どもを産んで戻ってくると、なぜかみんな強くなるんですよね。
── よくそういう話を聞くのですが、なぜでしょうね。
佐々木さん:「子どもに寂しい思いをさせてまでレースに出ているのに、ここで負けるわけにはいかない、すべきことをまっとうしよう」という気持ちがあったようですね。
夫が事故死し「心臓が鷲づかみにされるような感覚」
── 2007年に同じくボートレーサーだった夫の坂谷選手をレース中の事故で亡くされています。当時のことを伺ってもいいでしょうか?
佐々木さん:正直、あまりにショックが強すぎて、当時自分がどんな感情だったか、よく覚えていないんです。
ちょうどその日は、女子の大会の前日検査で徳山レース場にいました。事故の一報を受け、彼のいる大阪の病院に駆けつけましたが、死に目に会うことはできませんでした。
私もレーサーですから、この仕事は命と隣り合わせだとは思っていましたが、結局、どこか他人事だったのでしょうね。まさか自分の身に起こるなんて、夢にも思っていませんでした。よくレーサーが「命がけで走ってます」と言いますが、結局のところ、私は覚悟なんてひとつもできていなかった。それを痛感させられました。
── そうした経験をするとレースに向き合うことが怖くなってしまう気がするのですが、その後復帰を決意されたのは、どういう思いがあったのでしょうか。
佐々木さん:当時は、「レース」とか「事故」という言葉を目にするだけで、心臓がわしづかみにされるような感覚があって、すごく怖かったし、苦しかったです。でも、彼の事故を理由にレースをやめることだけは、どうしてもしたくありませんでした。
── それはなぜでしょうか?
佐々木さん:彼は、私よりもはるかに成績のいいレーサーでしたが、「裕美ならできるよ」といつも前向きな言葉で励ましてくれ、私の一番のファンだと言ってくれました。レースに勝った日は、自分のことのように喜んでくれたし、負けたときは何も言わず、気持ちを分かち合ってくれた。だからこそ、彼の事故を理由にレースをやめるのは、彼に対して申し訳ない気がしたし、きっとそれは望んでいないだろうと思ったんです。
不安だらけのレース復帰「怖い…」と思ったのも束の間
── その8か月後に、レースに復帰されましたね。不安はなかったですか?
佐々木さん:不安だらけでした。「続けたい」という気持ちと、「私は本当に戻れるのだろうか」という気持ちでずっと揺れていて、自分のなかで答えが見つかずにいました。復帰したのは、それを確認するためです。ただ、復帰にあたっては、賛否両論がありました。
── 賛否両論、というのは…?
佐々木さん:「復帰してくれてよかった」「頑張って!」という温かいメッセージが大半でしたが、SNS上には「旦那さんが事故で亡くなった仕事で、よく復帰できるよね」という批判的な意見もありました。
── 心ない言葉を投げかけてくる人がいたのですね。
佐々木さん:でも、「確かに、小さい子どもを置いてまで、危ない仕事に戻るのかと思う人もいるよね」と、意外と冷静に受け止めていました。
復帰後の初レースでヘルメットをかぶった瞬間、「怖い…」という気持ちになりました。でも、いざレースが始まったら、そんな不安はどこかに吹っ飛んで、「やっぱり私にはこれだ」という思いが湧き出てきたんです。「ここが自分の居場所なんだ」と実感でき、もう少し選手を続けられそうだなと。いま思えば、周りの方もすごく気を遣ってくださっていたと思います。静かにそばで見守ってくれた師匠、温かい言葉で励ましてくださったファンの方々に支えられ、再びレースの世界に戻ることができて、本当によかったです。
── いろいろな思いを乗り越えての復帰だったのですね。
佐々木さん:多分あのとき復帰せずにいたら、ずっと後悔が残ったと思います。ただ「彼の死を乗り越えた」というのは、ちょっと違う気がしています。徐々に傷跡のかさぶたが分厚くなって、表に出なくなってきた…という感じでしょうか。毎日、笑う時間が少しずつ増え、楽しいと思える時間が多くなってきました。
傷自体は、まだ奥のほうにあって、時折うずきます。昨年、同期が事故で亡くなったときは、そのかさぶたが剥がれ、どうしようもない感情になってしまいました。大事な人の死というのは、きっとそういうものなのでしょうね。
── シングルマザーとして、育児との両立も大変だったと思います。
佐々木さん:そこは両親がしっかりサポートしてくれたので、本当に助かりました。復帰するかどうかで揺れているときも、「どちらを選んでも、あなたの思いを尊重するよ。もし復帰するなら全面的に協力するから」と言ってくれ、心強かったです。
いったんレースが始まると1週間くらい家を空けなくてはいけませんし、外部との接触が禁じられるので、連絡もできません。ですから、出かけるときは「寂しい思いをさせてごめんね」と、後ろめたい思いがつねにありました。
夫の事故以来、「ケガをせず、絶対に無事に子どもが待つ家に帰ること」をなにより大事にしてきました。ボートレーサーが、「安全運転がモットーです」というと、ちょっと聞こえが悪いかもしれません。正直、場合によっては、レースのなかで甘さが出てしまうこともあるんです。
でも、私の過去を理解し、弱さを知ったうえで応援してくださるファンの方がいる。本当にありがたいことだと思います。その人たちのためにも、これからも自分のできることを精一杯頑張っていきたいです。
PROFILE 佐々木裕美さん
1979年生まれ。山口県出身。1999年、下関競艇場でデビュー。2004年に結婚し、2年の産休期間を経て復帰。現在も活躍を続けている。プライベートでは、高校3年生の息子を持つママレーサー。趣味は料理。
取材・文/西尾英子 写真提供/佐々木裕美・日本モーターボート競走会