最近はCMでも注目され、「水上の格闘技」と呼ばれるボートレース。小4でボートレーサーに魅せられ、今もママ選手として活躍する佐々木裕美さんは、どのような経緯でプロの世界に飛び込んだのでしょうか。(全3回中の1回)

小4女子が初めて見たボートレースに衝撃を受け

── ボートレーサーを志したきっかけは、なんだったのでしょう?

 

佐々木さん:小4の頃、親戚のおじさんに近所にある徳山ボートレース場に連れていってもらったのが、最初の出会いでした。初めて間近で見るボートの迫力に衝撃を受け、「あのボートに私も乗ってみたい!」と思ったんです。女性もレースに出られると聞いて、将来は絶対にボートレーサーになろうと心に決めました。

 

── 実際にボートレースを間近で見ると、ものすごいスピードとエンジン音、水しぶきの激しさなど、大人でもその迫力に圧倒されます。小4の女の子が「乗ってみたい」と感じたのは、すごいですね。

 

佐々木さん:怖いというより、そのカッコよさに魅了されましたね。小中学校の卒業アルバムにも「競艇選手になりたい」と書いていました。ただ、女性選手はまだ珍しかったし、当時はギャンブルのイメージが強かったので、「ボートレーサーになりたい」と言うと、周りの大人たちから「え?女の子が…?」と驚かれたのを覚えています。

 

── 当時、女性レーサーはどれくらいいたのですか?

 

佐々木さん:徳山ボートレースにはいませんでしたが、全国には160人くらい、レーサー全体の1割程度です。近年は女子レースが盛り上がり、人数も200人くらいに増えました。競艇選手が約1600人なので1割ちょっとですね。

 

── 高校卒業後に、ボートレーサーの研修所に入所されました。3度目のチャレンジで合格されたそうですね。

 

佐々木さん:いまは規定が変わって中卒以上で試験が受けられますが、昔は17歳からでした。私も高校2年生から受け始めたのですが、視力テストで2回続けて落ちてしまって。どうしても諦めきれず、親には、「卒業後はフリーターをしながら受験を続けさせてほしい」と懇願。親も子どもの頃からの夢だと知っていたので、反対はしませんでした。

 

視力テストで落ちるのが怖かったので、レーシック手術を受けようと決意し、費用を貯めるためにアルバイトを始めました。ところが、なぜか直前になって「もう一度だけ裸眼で受けてみよう」とチャレンジしたら、なんと合格。しかも、その年からレーシックが禁止になっていたんです(現在は認められている)。あのとき、もしもレーシックを受けていたら、今の私はいませんでしたね。

 

教習所時代のボートレーサー佐々木裕美さん
本栖研修所時代の佐々木さん(写真中央)

── きっとボートレースと縁があったのでしょうね。

 

佐々木さん:親も泣いて喜んでくれました。同期の女子は3人。倍率は約23倍でした※。当時、山梨県本栖湖に研修所があったので、親元を離れて1年2か月の寮生活をしました。

※85期の応募者数は891人、入所者数は38名、修了者数は30名

女子はたった3人…毎日ピリピリしていた研修所生活

── 狭き門を突破し、いよいよ訓練生に。研修所の生活はいかがでしたか?

 

佐々木さん:ひと言でいえば、二度と戻りたくないです(笑)!

 

── 気持ちがこもっていますが(笑)、それほど大変だったと。

 

佐々木さん:当時はいまと違ってスパルタ全盛でしたから、うまくできないと、「なにやってんだ!下手くそは帰れ!」と怒鳴られるのは日常茶飯事。ただですら、男子と比べて非力なので、女子がいると足手まといになってしまう。男子からは、目の敵にされていましたね。

 

みんなが卒業できるわけではなく、成績下位10%がどんどん振り落とされ、研修所から出ていかなくてはいけないので、緊張感でピリピリしていました。初期訓練テストで男子が数名脱落し、さらに訓練が過酷で自主的に辞めていく人も何人かいました。

 

私はギリギリのところでクビをまぬがれ、なんとか残ることができましたが、女子3人のうち、ひとりは成績がふるわず、途中で脱落してしまいました。

 

ボートレース中の佐々木裕美さん
カッコいい!レース中の佐々木さん

── サバイバル感がありますね…。

 

佐々木さん:つねに気が休まることがなかったですね。でも、いまの子たちに聞くと、「研修所時代はみんな仲がよかったですよ」というので、私たちのころとはずいぶん違うみたいです。

 

でも、それまで「運動だけは男子にも負けない」と絶対的な自信をもっていたのに、ボートがうまく扱えず、なかなか上達しない。あまりに下手すぎて、「お前、運動全然ダメだな!」と言われたのがものすごくショックで、人生で初めての挫折を味わい、メンタルもズタボロ。卒業したときはホッとしました。

デビューするも勝てない…クビ宣告に怯える日々

── プロデビュー戦のことは、覚えていますか?

 

佐々木さん:デビュー戦は、男女混合レースでベテランの先輩もいましたが、訓練中に1度も勝てなかった外側の6コースを走り、2着を取ることができました。ただ、その後はなかなか勝てず、クビにならないように毎回必死でした。

 

── プロになってからも、クビになるのですか?

 

佐々木さん:半年ごとに成績下位の人が数人ほど切られるんです。クビのかかった人たちにとっては人生が変わる一戦なので、ものすごく緊張感があります。

 

── ボートレースの世界は、女性選手が1割という男性社会ですが、そのなかで結果を出していかなくてはいけない大変さやプレッシャーをどのように感じていますか?

 

佐々木さん:勝負の世界なので、基本的には男女関係なく、成績がすべてです。ただ、私が若いころは、業界自体、女性に対する視線が厳しい時代だったので、「女性レーサーに負けるなんてありえない」という風潮があって、「女子は事故が多いからね」などと言われ、悔しい思いもしました。実際は、そんなことないんですけどね。いまは、ボートレース業界もずいぶん変わり、女性が活躍できるようになっているので、本当によかったなと思います。

 

ただ、私の場合、男性よりも同期の女子と比較されることが多く、そちらのプレッシャーのほうがキツかったですね。

 

── たとえばどういう場面でしょう?

 

佐々木さん:彼女は、訓練生時代から本当にうまくて、どれだけ練習しても全然追いつけず、プロになってからも強かったんです。同期の女子は2人だけなので、どうしても比較されてしまって。

 

モヤモヤして悩んだ時期もありましたが、振り返ってみると、比べているうちは成長はなかったなと。「私は私だから、やるべきことをやればいい」と思えるようになってから成績が伸び始めました。

 

ボートレーサーの佐々木裕美さん
「私は私がやるべきことをやればいい」凛々しい表情の佐々木さん

── 吹っ切れたのは、なにかきっかけがあったのですか?

 

佐々木さん:師匠(元ボートレーサーの小林昌敏さん)の言葉が大きかったですね。昔は、ボートで使うプロペラを自分で持ち込む決まりがあったのですが(平成24年に「選手持ちプロペラ制度」は廃止)、プロペラを叩くのは技術と知識が必要なので、新人のころは師匠がやってくれていました。

 

なかなか勝てずに悩む私を見て、「お前が勝てないのは俺のせいだから、気にするな」と言葉をかけてくれたんです。その瞬間、師匠への申し訳なさとともに、自分の未熟さに恥ずかしくなりました。「勝てないのは私のせいなのに、こんなふうに気づかってくれる師匠がいる。いつまでものんきにやっている場合じゃない」と、自分の甘さを反省し、期待に応えたいと思いました。

 

── 師匠の言葉で、心に火がついたのですね。

 

佐々木さん:そこからだんだん成績が上がって、9か月後に初勝利したときは、本当にうれしかったですね。4年目くらいからクビの心配をせずにすむくらいになりました。師匠には、いまでも感謝しています。

 

ボートレーサーとして心がけているのは、自分の感情をコントロールすることです。勝負事ですから勝つときもあれば、負けるときもあります。でも、どれだけ心が波立っても、それを表に出さず、いつも笑顔で颯爽としていたいなと思っているんです。

 

── 落ち込んだときには、どんなふうに感情のコントロールをしているのですか?

 

佐々木さん:嫌なことがあったときは、モノの見方を変えて思考を切り替えます。たとえば、なにかアクシデントがあって自分のレースがなくなるときは、正直モヤモヤするものです。そんなときは、「私も同じことをやってしまうかもしれない。ここはおたがいさまだから、イライラするのは違うな」と考えます。もちろん負けたときは落ち込みますが、ひと通り反省したら、「これ以上考えても仕方ない」と区切りをつけ、次へと意識を向けることで、ネガティブな気持ちを引きずらずにすんでいますね。

 

以前、ある本に「嫌なことがあっても口角を上げていれば、脳が楽しいと錯覚して、幸せに過ごせる」と書かれていたのを読んで以来、意識的に口角を上げるようにしているんです。小さなことですが、意外と効果がある気がします。

 

PROFILE 佐々木裕美さん

1979年生まれ。山口県出身。1999年、下関競艇場でデビュー。2004年に結婚し、2年の産休期間を経て復帰。現在も活躍を続けている。プライベートでは、高校3年生の息子を持つママレーサー。趣味は料理。

 

取材・文/西尾英子 写真提供/佐々木裕美・日本モーターボート競走会