数多くの名作を生みだした漫画家・手塚治虫さんの長女であり、手塚作品をもとにしたイベントのプロデュースや企画を手がける手塚るみ子さん。2017年に結婚した漫画家の夫・桐木憲一さんとの暮らしはどんな感じなのでしょう。(全5回中の5回)

愚痴を漫画に描ける夫がうらやましい

── プライベートでは、漫画家の桐木憲一さんと結婚されました。どんなふうに知り合ったのかが気になります(笑)。

 

るみ子さん:知り合ったきっかけは、テレビ番組の取材です。『トキワ荘共同プロジェクト』という企画に漫画家として彼が関わっていて、私が番組の取材で彼にインタビューに行ったのが初対面。そこから友人関係を繋いでいった感じです。でも当時は私も別の人と結婚していましたし、年も離れていたので、彼との結婚は考えませんでした。

 

手塚るみ子さん
二度目の結婚した当時、るみ子さんは55歳、桐木さんは43歳だったそう

── ご自身のなかで、結婚して変わったと感じることはありますか?

 

るみ子さん:自分自身では自覚がないのですが、最初の結婚時には、仕事関係の知り合いからは「変わった」って言われたことがあります。それまでは少しエキセントリックな部分も持ち合わせていたようで。それが結婚したら「落ち着いたね」と。

 

── どういう部分が落ち着いたと思いますか?

 

るみ子さん:もとより「自分の家が欲しい」という思いが子どものころからずっとあって、ようやく居場所ができたという安心感ですかね。

 

── 結婚されてから、同じように漫画家の妻だったお母様のことを思い出したりされますか?

 

るみ子さん:振り返ってみると、母があんなふうに私に厳しく言っていた理由とか、なぜあんな態度をとったのだろうっていうのが、年齢を重ねて理解できるようになりました。やっぱり家庭を持ったことで生じる面倒なこととか、漫画家と結婚することの大変さもわかったので(笑)。

 

私と母の苦労では段違いだけれど、同じ境遇という意味では母の気持ちもわからなくないなと。結婚して違う家庭で育った人と共同生活することによって、家庭に対する感覚の違いが明確になるだけに、自分は母親にきちんとしつけられてきたのだなって今さらながら感じますね。

 

手塚治虫さんとその家族
多忙でほとんど家にいなかった夫と家族を支えたるみ子さんのお母様(写真一番右)

── 桐木さんは「note」で『手塚家の日々』というエッセイ漫画を描かれています。漫画の中でもほのぼのとした日常ですが、実際はどうですか。

 

るみ子さん:全然ほのぼのとしていないですよ(笑)。彼が『手塚家の日々』を描き始めたのは、愚痴を聞いてほしいところもあったと思います。そうしたら出版社から、“るみ子さんのキャラクターが面白い”、”手塚家は特殊な家庭“というので連載しませんか?って声をかけられたようです。でも、あまりにもリアリティを出すと、私のプライバシーにもかかわってきますから…。

 

それにしても漫画家って、家庭内の愚痴をうまく漫画で面白く描くのが本当に上手ですよね。文章で書くとギスギスするけれど、漫画にすると“へえ~!あるある!”って笑える。漫画にできてうらましいって思います。

 

── 最近は、SNSでも気軽に育児や日常を描いたエッセイ漫画の投稿を目にします。

 

るみ子さん:確かに今はいろんな方がご自身のことを漫画で描いていますよね。なかなかシビアなプライベートを描いているものもありますが、そのあたりのさじ加減って難しい。たとえば、子どものことを描いているものも多いですが、描かれた当初は知らなくても、後々になって本人が知ってショックを受けたり傷ついたりすることもあるでしょうから。家庭に漫画家がいるのは困ったことにもなりますね。

 

── お父様の漫画に、ご自身のことが描かれたときはどのようなお気持ちでしたか?

 

るみ子さん:育児をテーマにした『マコとルミとチイ』(1979年)という作品を読んだ方から、「るみ子さんってあんな感じだったんですね」と言われたりします。漫画になった時点でデフォルメされているんですが、仕方ないなと思うようにしています。それに意外と父の場合は事実に則していることもあって。むしろあれだけ家にいなかったくせに、よく子どもの様子を見てたなぁってちょっと感心したりもします。

 

── 子どもならではの葛藤があるのですね。

 

るみ子さん:もちろん「漫画に描かれて恥ずかしかった」というのは二世会でも話題にあがるのですが、この年齢になると「むしろよく観察していたよね」って言って笑えるようになりました。とはいえ、私の子ども時代はまだデフォルメでパロディのような内容だったけれど、最近のエッセイ漫画はリアリティがあるので、すごくセンシティブな問題になるなと感じます。

手塚治虫ですら「順風満帆じゃない人生」だった

── るみ子さんにとって人生の転機って、いつだったと思いますか?

 

るみ子さん:私の場合は、やはり父が亡くなったのがすごく大きかった。もしもあのまま父が長生きしていたら、今の自分じゃなかっただろうと思いますし、父の作品を世に伝えることにまい進する道に進んだかもわからないので。

 

2017年に開催された手塚治虫文化祭『キチムシ』の様子
2017年に開催された手塚治虫文化祭『キチムシ』の様子

── 今の若い世代もそうですが、30〜40代の働く女性からも”やりたいことが見つからない“という声を聞きます。るみ子さんのように好きなことにまい進できるのを、うらやましく感じる人も多そうです。

 

るみ子さん:やりたいことがはっきりしないっていうのは、若いころの私もそうでした。マスコミに就職がしたいから、大学1年から熱心に勉強したり、アルバイト先を興味がある分野にしたりと、先々を見据えて動いている人もいますよね。広く浅くの私は、そういう人には勝てなかった。でもふとしたきっかけで、毎日食べても飽きないような、熱中できる何かに出会うかもしれない。私の場合は、それが父の作品だった、ということです。

 

── マイナスの状況をプラスに変えるには、どうすればいいと思いますか?

 

るみ子さん:大きなショックを受ける出来事って、できれば経験したくないものですが、でもそれによって、見えてこなかったものが見える可能性もある。私の場合はちょっと特殊でしたが、使命感みたいなものはそこから見出せました。

 

若いころから好きなものがはっきりしていて、その道をまい進されている方もいますが、私は決してそういうタイプではなかった。その時々で面白いと思ったことを、ひたすらやってきただけなんです。そのなかにはもちろん失敗したこともあるし、違ったなと思うこともある。経験していくと、たまたま“これは面白いな”と思えることに出会えることがあると思います。

 

── 確かに、視点を変えていろいろなことに挑戦する手もありますよね。

 

るみ子さん:じつは手塚治虫自身も順風満帆で生きてきたわけではなかったんです。医者になろうとしたり、漫画家になろうと思ったり。アニメを始めて失敗もしていますから。でも父自身が「寄り道も悪くない」と言っていたので。広く浅く興味を持つことは全然悪いことではないし、ひとつのことで人生を決める必要もないなと思っています。途中でいくらでも乗り換えしてもいいと思うし、振り返って“寄り道だったかもね”って思うことがあってもいいんじゃないでしょうか。

 

PROFILE 手塚るみ子さん

プランニングプロデューサー、手塚プロダクション取締役、父は漫画家の手塚治虫、兄はヴィジュアリストの手塚眞。夫は漫画家の桐木憲一。大学卒業後、広告代理店に入社。企画・制作に携わった後、独立。手塚作品をもとにした企画やイベントのプロデュースを手がける。

 

取材・文/池守りぜね 写真提供/手塚るみ子