家族でご飯を食べに行ったり、遊園地で遊んだり。そんな記憶がほとんどない子どももいます。根津甚八夫妻の長男に対する教育観から成長までを、根津仁香さんに聞きました。(全3回中の3回)
毎朝「小学受験」の勉強をさせてから幼稚園へ
── 夫の根津甚八さんとともに、お子さんが小さいころから、教育には熱心に取り組まれてきたそうですね。
根津さん:振り返ると、かなりの教育ママだったと思います。少し厳しくしすぎたかもと、いまになって少し反省しているところもありますね。小学校のお受験では、幼稚園に行く前にペーパー50枚くらいの課題をやるのを見届けてから、送りだしていました。当時はまだ、夫も体調がそこまで悪化していなかったので、夫婦で一緒に子どもの教育に取り組んでいましたね。
── 毎朝50枚の課題というのはすごいですね…。どういう思いがあったのでしょう?
根津さん:「子どもの好きなことを自由にやらせる」方針も素晴らしいと思います。ただ、私の考えとしては「好きなことを選んでやりなさい」と言っても、子どもですから、まだ判断基準も持っていないし、よくわからないと思うんです。ですから、最初にどんな環境を与え、どんなレールを敷くかは、ある程度、親が判断して頑張る部分かなと思ってやってきました。
もちろん、その後は本人がいろんな人と関わるなかで、やりたいことが出てくれば、そちらに進めばいいと思うんです。そのあたりの調整は本人に任せますが、最初の段階では子どもの可能性を広げておいたほうが、後の選択肢も広がるのではないかという考えから、教育に力をいれてきましたね。
「文句ひとつ言わない夫」を見て育った長男は医療の道へ
── 今年で27歳になるお子さんは医学の道に進まれ、現在は研修医として働いていらっしゃるとか。お父様の闘病を近くで見てきた影響もあったのでしょうか?
根津さん:それはあったと思います。物心ついたころから、自分の父親がずっと病気に悩まされてきた姿を間近に見てきただけに、病気で苦しむ人を救いたい気持ちが芽生えたようです。
家族3人での旅行はもちろん、食事に行ったこともありません。甘えたい盛りにそれができなかったのは、少しかわいそうだったかなと思いますね。ただ、息子も夫の状況を察していたようで、わがままを言って困らせたことは一度もありませんでした。
甚八さんは寡黙で我慢強い人で、ケガや病気で大変なときもグチや文句をいうことがなかったのですが、息子も夫のそういう性格を引き継いでいるみたいです。じつは、夫としては息子を俳優にしたい気持ちがあったようですが、私はできれば芸能界には進んでほしくなかったんです。
── それはどうしてですか?
根津さん:やっぱり、どうしたって親と比べられてしまう。できて当たり前、できなければ叩かれてしまいます。2世だからといって成功できるわけではなく、むしろ世間の目は厳しいですよね。
努力だけで成功できる世界でもないので、私としては、なるべくそちらに興味が向かないように、「俳優って大変らしいよ?」と、さりげなく誘導したりしていました(笑)。ただ、思春期のときは周りから「やってみたら?」と言われたり、クラスメートが芸能界に入ったりして、ちょっと揺らいだ時期もあったみたいです。
悩みに向き合うとき「逃げ場や頼れる人が多いほうがいい」
── これまでいろいろな人生経験を積んできた仁香さんですが、いま、悩みを抱える人にアドバイスするとしたら、どんな言葉をかけますか?
根津さん:悩みを抱えている方に伝えたいのは、自分の「逃げ場」はなるべくたくさん持っておいたほうがいいということです。それは、仕事でも趣味でもボランティアでもなんでもいいと思うんです。
いろんな場所でいろんな年代や属性の人と接しているほうが、たくさんの考え方を知ることができて、発想の転換もしやすいし、行き詰まらずに済みます。
相談できる相手や頼れる先もなるべく多いほうがいいですよね。誰かひとりに頼りきってしまうと、相手も負担になりますし、良い人間関係を保てなくなる。そういう人が周りにいないときは、カウンセラーなどの専門家に頼るのも有効です。
そして、ネガティブなことを言ったり、自分を下げてくるような人のそばには近づかないこと。そんな人と一緒にいるくらいなら、ひとりでいたほうがいい。誰と一緒にいるかは、自分自身で選択できることですから。
不安なことばかり考えていると、不安の迷路に入り込んで、抜け出せなくなってしまいます。ですから、あまり先のことを考えすぎず、いまの自分にできること、目の前のできごとにひとつずつ懸命に向き合っていくことが、大事なんじゃないかなと思っています。
PROFILE 根津仁香さん
ねづ・じんか。ファッションジュエリープロデューサー。武蔵野美術大学で空間演出デザインを学んだ後、海外アパレルブランドに就職。2010年、パーソナルセレクトブランド 「Jinka Nezu」を立ち上げ、アクセサリープロデューサーとして活動を開始。著者に『根津甚八』(講談社)。
取材・文/西尾英子 画像提供/シーオージャパン株式会社