「歌声がお父さんとそっくり」と言われるのは、父・尾崎豊と同じシンガーソングライターになった尾崎裕哉さん。怒りや愛を歌声にのせた父とは違う、自分らしい歌い手としての覚悟を聞きました。(全3回中の3回)
「声がそっくり」と言われるのは嬉しいけれど…
── 父・尾崎豊さんの楽曲を真剣に聴き始めたのは10歳のころだそうですが、音楽を仕事にしようと考えたのはいつですか?
尾崎さん:5歳くらいから「音楽をやりたい」「当然やっていくもの」と思っていました。音楽が好きだからというよりは、父親の跡をついでミュージシャンになる、に近い感覚かな。
その思いをずっと持ち続けて、いまに至ります。幸いにも、父に関係のある人がいまも音楽業界にいたので、仕事の進め方などを他の人より見ていました。楽曲を作るプロセス、レコーディングってどういうふうにやるのかとか。
── デビュー前から、尾崎豊さんのトリビュートアルバムにポエムリーディングで参加しましたね。その後、初めて人前で歌ったときの反応は?
尾崎さん: 「(お父さんと)声がそっくり!」と、泣き出す人もいました。自分の声に対する自信はあったんですよ、父と似ているという点でも。でも、声が良くても売れるとは限らないし、やっぱり楽曲があってこその世界ですよね。
── 豊さんは26歳で亡くなり、裕哉さんは27歳でデビューしましたが、何を感じましたか?
尾崎さん:父は短い生涯にあれだけいろんなことを成し遂げたんだ!と驚いたのが正直な感想です。26歳といえば、僕は大学院を卒業して1年少し働いてようやく地に足がついた時期なのに、父は10代でデビューを勝ちとって、そこから嵐のように世の中を席巻して亡くなりました。その生きる力、人生の短さを改めて考えました。
── 豊さんと同じ、シンガーソングライターの道を選んだことについては?
尾崎さん: 父が自分で作詞・作曲していたので、自分で作るのが当たり前だと思っています。自分がどういう曲を書きたいかは他人が関われない領域で、完全に自分との勝負であり生きざまの話です。自分のがんばり次第なので、まだまだがんばらないといけない立場です。
── お父さんに声が似ていると言われるのはどう感じていますか?
尾崎さん:「声がそっくり」と言われるとやはり嬉しいんですけど、その先に何もなく終わっちゃうのは、けっこうもったいないと感じます。
もっと聴いてみたいと思ってもらうには、自分自身がアーティストや表現する側として世の中に知られないといけない。あるいは、力をつけてもっと人を巻き込める活動をしないと、父親の曲をさらに広げていくのも実現しづらいでしょうね。
やはり、自身のアーティスト活動っていうのをしっかりやっていかないと、ただ声が似ている人って言うだけで終わっちゃうのはどうかという危惧はありますね。
── ひとりのアーティストとして、尾崎豊の楽曲と向き合っていく覚悟なんですね。シンガーソングライターとして、裕哉さんはご自身をどのように位置づけていますか?
尾崎さん: “尾崎豊の続きをやっている”感覚です。ある種の呪縛というか、そういう育ち方なんだと思います。だから、音楽の道を選ぶ、歌うのは当たり前のこと。
──「尾崎豊の息子」であることがスタートだったと。声も似ていて、裕哉さんにお父さんの面影を追う人が多いのは事実です。
尾崎さん:僕の場合は、最初から名前やバックグラウンドを隠さず活動しています。2代目、3代目であることを明かしたくない人も多いですが、そういう人たちは親がまだ元気ですよね。存命だと比べられてしまいますが、僕の父はもう亡くなっているので、リアルタイムで比べられる相手がいない。
すぐに曲が売れるかより大事にしていることがある
── 豊さんは世の中への疑問や怒り、孤独や愛をテーマにした楽曲が多かった印象です。裕哉さんは、どんな歌を歌いたいのですか?
尾崎さん:父と比べて、僕は何かのルールに縛られているわけではありません。経済的にも困らず普通の暮らしをしているなかで、何を歌えばいいんだろうと迷い、考えあぐねたことはたくさんありました。いまもつねに、何を歌うべきか探し続けています。
いきついたのは、自分が歌で伝えたいのは、「人に幸せになってほしい」ということ。音楽を聴いてそのとき気持ちが楽になればいいじゃなく、もっと根源的な部分での幸せ。そう考えながらデビュー時に『サムデイ・スマイル』を書きました。
── この曲では♪僕らはいつの日か かならず幸せになれる その途中の今日を生きてる♪と歌われていますが、裕哉さんにとって、深い意味での「幸せ」とは?
尾崎さん:自立ですね。依存しないこと。それは、自分に自信を持つということ。人はいいときも悪いときもあり、恥ずかしいこともするだろうけど、どんなことがあっても自分を嫌いにならない、生きていてよかったと思えるのが究極の幸せだと思っています。でも、そう考えられる人って意外と少ないと、大人になって気づきました。
── 裕哉さんから見ると、幸せではない人が多いように思えるんでしょうか?
尾崎さん:自己承認欲求が強い人や、何かがたりないと感じている人がけっこういるように思えます。具体的に何がたりないのかがわからない人もいて…。それが何か、もしかしたらそれを言葉にするのが、僕のめざしている理想なのかもしれないです。
── 競争の激しい世界にいますが、裕哉さんご自身はいま幸せですか?
尾崎さん:承認欲求で苦しむところからは抜け出しました。以前は自尊心が低かったんですが、うまく折り合いがついているのかな。いまも「俺はこんなにすごいんだぜ」って、すごく自信をもっているわけではないんですけど。
人気商売なので、曲がどれくらい売れるかもっと気にしないといけないんでしょうが、僕の幸せはその先にはたぶんないです。儲かる、競争に勝つというのはある意味幸せなことかもしれませんが、競争の先に安らぎはない。こんなふうに言うと、ハングリー精神がないと言われるかもしれないですが…。
自分の使命は「父を超えること」ではなくて
── 以前は自尊心が低かったとおっしゃいましたが、変化のきっかけは?
尾崎さん:自分に使命ができたと思えた瞬間があったからです。大学で学びながら、音楽を介した社会貢献など、「音楽を使って世の中をもっとハッピーな場所にできるかもしれない、これが自分の使命だ」と考えたんです。自分が好きなこと、もしかしたら自分にしかでないことがあるかもしれないと没頭しているとき、人間は幸せなんですよね。
── 大学から社会人にかけて大きく変わったんですね。この時期、裕哉さんに影響を及ぼしたできごとは他にありますか?
尾崎さん:親からの自立が大きいですよね。経済的に親に依存しているのをひけめに感じる部分がありましたが、大学院卒業後、投資銀行でパートタイマーとして働きだして自分で稼いで食べていけるんだって。
あと、母親も人間なんだ、親って言うことの半分以上間違っているかもしれないと客観的に判断できるようになり、人間として自立してきたと感じました。
客観的に物事をみる点では、大学で非営利組織の経営について学ぶなど、ロジカルな考え方を初めて理解したのが大きかったです。これをきっかけにいろんな物事に説明がつくようになり、世の中を客観的に見られるようになりました。
──最後に、ひとりのアーティストとして、これから“尾崎豊”とどう向き合っていきたいですか?大きな存在なので重荷に感じるときもあるのではと想像しますが。
尾崎さん:父親には感謝しており、けっして重荷とは思いません。アメリカにいたころ、全寮制の学校の同級生が、歴史ある大企業などもっと大きなものを背負っているのを目のあたりにしました。
父・尾崎豊は本当にすごい。でも2代目として舵を切るのは自分です。僕には尾崎豊の楽曲を歌い継ぎ、広げる役割があります。僕が歌うことで、当時の尾崎豊を知るファンも若い人たちも一緒に手をとれたらと思います。
PROFILE 尾崎裕哉さん
1989年東京都生まれ。父はシンガーソングライターの尾崎豊。5歳からの10年間をアメリカ・ボストンで過ごす。慶應義塾大学大学院卒。2016年、TBSテレビ系「音楽の日」で初のテレビ生出演、『始まりの街』でメジャーデビュー。2023年10月からは、全国11か所を巡る弾き語りワンマンツアー「ONE MAN STAND 2023 AUTUMN」スタート。
取材・文/岡本聡子 写真提供/株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ