ダウン症のモデルとして注目される菜桜さん。娘と二人三脚で夢を追う、お母さんの齊藤由美さんですが、娘さんを受け入れるには長い時間を要したそうです。
9歳でモデルデビュー「菜桜の存在が光になれたら」
── 菜桜さんがモデル活動を始められたきっかけを教えてください。
由美さん:日本ダウン症協会のイベントで、ファッションショーに出演するモデルの募集があって、私が応募したのがきっかけです。菜桜が9歳のときです。
人前で歩くのは初めての経験だったのに、菜桜は物おじせずに楽しんでいました。そのときは、「こんな経験は最初で最後だろうな」と思っていましたが、14歳のとき、もう一度障がい者のファッションショーに出演する機会があったんです。そのときもとても楽しそうにランウェイを歩いて、ポーズをとっていました。見ていた人に「菜桜ちゃん、ウォーキングレッスンを受けているの?」と聞かれるほど、堂々としていましたね。小さい頃から、幼稚園や学校のお友達にかわいがってもらって、輪の中心にいることに慣れていたせいかもしれません。
その姿を見て、ウォーキングレッスンを始めることにしました。当時は教室まで車で片道1時間かかったので、学校からそのまま高速に乗り、サービスエリアで着替えとメイクをして、月2回通っていました。
── お母さまのサポートがあってこそですね。
由美さん:大変なこともありますけど、菜桜が「やりたい!」と言っているので、私もがんばれています。モデルといっても、ファッションショーに出られるのは年に1〜2回ですし、交通費や参加費用は自前です。菜桜は普段は週5日、作業所で仕事をしていますが、収入は決して多くはありません。菜桜の活動のために、私が仕事を増やしています。
あとは、最新のメイクに追いつくのが大変ですね。YouTubeでメイク動画を見て研究しています。「涙袋って何?」と言いながら(笑)。
── 菜桜さんがモデルをしていてよかったと思われるのは、どんなときですか。
由美さん:できなかったことができるようになったときですね。覚えなきゃいけないことが10あっても、菜桜は1つか2つしか覚えられません。それでも、積み重ねていくことで少しずつ成長してきました。
たとえば、ダウン症の子は猫背になりがちで、どうしても歩くときに前のめりになってしまいます。体幹が弱いからヒールを履いて歩くだけでも大変で、何度注意されてもなかなかできないし、練習ではできても本番になるとできなくなってしまう。それでも、足にマメを作って泣きながら何度も練習して、最近ようやくまっすぐ歩けるようになりました。
それに何より、菜桜を見て「励まされる」「元気になれる」と言ってもらえることですね。SNSのコメントもそうですし、東京へ行くと、必ず菜桜を知っている方に声をかけてもらえるんです。最近は、菜桜と同世代の方たちから「菜桜ちゃんもがんばっているから、私もがんばる」と言ってもらえるのがありがたいですね。
2年ほど前に取材してもらった記事がYahoo!ニュースのトップ記事になって以来、SNSのフォロワーも増えましたが、いわゆるアンチコメントも届くようになりました。それでも、ダウン症の子どもを持つ親御さんから「菜桜ちゃんの存在が希望になります」と言ってもらえると、発信を続けてよかったと思います。
私自身も菜桜が産まれたとき、すぐに「ダウン症」を検索しましたから。当時はネガティブな情報ばかりが流れてきて絶望してしまったんですけど…。今検索したら、菜桜の情報が目に留まると思います。菜桜の存在が「光」になれたら、こんなに嬉しいことはないですよね。
生後2か月半まで、写真を1枚も撮れなかった
── 菜桜ちゃんが産まれたときのことを聞かせていただけますか。
由美さん:この子が産まれたとき、今思うとひどい話なんですが、私は「この子とは生きていけない」と思ってしまったんです。
菜桜は先天的に食道と胃がつながっていなかったので、胃ろう造設手術が必要でした。でも、私は手術を拒否してしまった。先生に説得されて手術を受けて、成功したと聞いたときも「なんで成功しちゃったの」という思いで泣いていました。
当時はダウン症の情報も少なかったし、検索しても悲観的なものばかりで、明るい未来はないと思っていました。「この子のお兄ちゃんお姉ちゃんまでつらい思いをするんじゃないか」と絶望していました。
菜桜には生後2か月半までの写真が1枚もないんです。当時、菜桜は入院していて、私は2、3日に一度くらい面会に行って、保育器に入っている菜桜をぼんやり見ているだけ。看護師さんに「触っていいよ」と言われても「いいです」と断っていました。当時お世話になった看護師さんには、「今だから言えるけど、ひどかったよね」と言われます。でも、当時はそれで精一杯でした。
あるとき面会に行ったら、菜桜が私の顔を見て「にこーっ」と笑ったんです。そのとき「なんてかわいいんだろう」と思って、初めて「抱っこしていいですか」と言いました。
「ママ、わたしここにいるよ。ちゃんとわたしを見て」と菜桜に言われているように感じて、「ごめんね」と。今でも涙が出ます。その日から写真を撮り始めて、面会にも行くようになりました。
3か月半のときに退院して家で過ごすようになると、かわいさが増していきました。2歳上のお兄ちゃんも10歳上のお姉ちゃんも、すごくかわいがってくれて。姉は今看護師になっていて、兄も同じ道を目指しています。ある意味、菜桜の存在が二人の人生を変えたといえるかもしれませんね。
それでも、私が「ダウン症」を受け入れるまでにはさらに時間がかかりました。「ダウン症の菜桜がかわいいんだ。生まれ変わっても、ダウン症の菜桜を産みたいな」と心から思えたのは、菜桜が小学校高学年の頃です。
だから今、ダウン症のお子さんを産んで「受け入れられない」と悩むお母さんから相談されたときは、「時間が解決してくれるよ」と伝えています。
40回以上の手術を乗り越えて「いつか海外で」
── 今の姿を、当時のご自分に見せてあげたいですね。
由美さん:ほんとうに。きっと信じられないと思います。この子がモデルになって、私までいろいろな経験をさせてもらえるなんて、想像もできませんでした。
上の二人ももちろんかわいいんですけど、菜桜にはまた違うかわいさがあるんです。成長がゆっくりだから抱っこできる期間も長いし、いつまでも甘えてくれる。親孝行ですよね。
大学で講演をさせてもらったとき、「ダウン症の子を育てるのは大変ですか」と聞かれたんですが、「大変だけど、あなたたちを育てたご両親も大変よ」と答えました。私も、お姉ちゃんとお兄ちゃんを育てるほうがある意味大変でした。選択肢が多いぶん、迷うことも多いし、お金もかかるし、反抗期もあるし(笑)。
菜桜はいまだに「よしよしして」と頭を寄せてくるし、寂しいときは「ひりぽちです(ひとりぼっちです)」とLINEをくれる。こんなにかわいい19歳、いないですよね。
── 菜桜さんは、何度も手術を受けられているそうですね。
由美さん:菜桜は、食道以外にも心臓、のど、目などに合併症があったんです。メスを使った手術は17回受けました。全身麻酔で食道を拡張する処置を含めると40回以上、よくがんばってきたと思います。今もしょっちゅう食べたものが詰まってもどしてしまうので、定期的に食道拡張術を受けないといけないんです。
ほかにも首の骨がずれていて、転んだりむち打ちになったりしたら危険だと言われていますし、体中に爆弾を抱えている状態です。だからこそ、大事にするばかりではなくて、本人がやりたいことをやらせてあげたいと思っています。
── これからの目標はありますか。
由美さん:今はとにかく、次のファッションショーを菜桜も楽しみにしています。
海外では、ハイブランドのショーでダウン症のモデルが活躍しています。いつか海外のショーに出るという夢をかなえるのは難しいかもしれませんが、あきらめずに夢を持ち続けたいですね。子どもの夢を一緒に追えるのは、障がい者の親だからこそですよね。もちろん大変なこともありますけど、菜桜のおかげでこんなに濃い19年間を過ごさせてもらえて、私は幸せです。
PROFILE 齊藤由美さん
3児の母。ダウン症のモデル菜桜さんの活動をサポートし、SNSで発信している。
取材・文/林優子 画像提供/齊藤由美