アフリカの生地を使用したバッグや洋服を販売している仲本千津さん(38歳)。起業パートナーとして選んだのは、友人でも元同僚でもなく、実の母でした。(全2回中の1回)

 

「この色の組み合わせはユニーク!」色鮮やかなアフリカンプリントの商品など

魅了されたアフリカンプリントで起業の芽を見つけ

── アフリカの生地を使用したバッグを販売している「RICCI EVERYDAY」ですが、千津さんが起業しようと思ったきっかけを教えてください。

 

千津さん:大学院生のころからアフリカの政治を研究していました。30歳までにアフリカで起業しようと目標設定をしたんです。2年半の銀行勤務を経て、アフリカに関わる国際農業NGOに参画し、2014年、29歳でウガンダの首都カンパラに駐在することになりました。

 

ただ、起業は考えていても、自分に何ができるかわかりませんでした。あるとき、ウガンダのマーケットを歩いていたときに、ぱっと目に飛びこんできたのが「アフリカンプリント」と呼ばれる生地だったんです。

 

── アフリカンプリントの生地はカラフルで遊び心にあふれ、とても可愛いですね。

 

千津さん:私もひと目で魅了されました。当時、日本ではアフリカンプリントの生地はあまり見かけませんでした。「この生地でバッグを作り、日本で販売したらビジネスになるかもしれない」とひらめいたんです。とはいえ、私自身は裁縫もデザインもできません。

 

そのころ、現地の女性を紹介されました。彼女は4人の子どものシングルマザーで、ウガンダの平均月収よりはるかに低い収入しか得られていませんでした。「子どもに教育を受けさせたい」と強い意思を持つ彼女や、他の仲間と一緒に小さいバッグの工房を立ち上げました。バッグを日本で販売することで、彼女たちの収入につながるといいなという思いもあったんです。

人を雇うお金がないなかで「あ、母がいる!」

── 現地で実際に布を使った商品を作り始めてから、日本で販売するようになったきっかけは?

 

千津さん: バッグがどんどん仕上がり、日本で売る準備が整っていきました。でも、当時は小さなプロジェクトベースで動いていましたし、私はNGOで働いていて副業もできないし、お金もなくて人を雇うこともできません。そのときに「母だったらお願いできるかも」と気づき、仲間に入ってもらおうと思いました。

 

── どのような流れで、現在のようにお母様が仕事のパートナーになったのですか?

 

千津さん:最初はそんなに大がかりなことを考えていませんでした。母を代表とした会社を立ち上げて、地元・静岡市のハンドメイドイベントなどでバッグを販売できたらいいなというくらいの軽い気持ちでした。

 

母もずっと専業主婦でほとんど働いたことがなかったので、あんまり責任を負わせるのも申し訳なくて。ところが、母は初めからプロフェッショナルな働きぶりだったんです!

 

たとえば、アフリカから商品を母に送ると「ちゃんと検品しないとダメじゃない」と、全部検品し、お店に納品するときは納品書を作って、売り場をきれいにディスプレイしてくれて。商品を販売するときの具体的なイメージができていなかった私とは対照的に、自分で仕事をどんどん見つけて実行していくんです。みずから営業して、百貨店でポップアップショップを開催してくれたこともありました。

 

── ひとりで営業までこなすとは、これまで働いた経験がなかったとは思えない行動力ですね。

 

千津さん:これだけ頼りになる母とだったら一緒に仕事ができると思い、当時勤めていたNGOを退職し、母の会社の共同代表になりました。

 

母と私の会社は、もともとは静岡市に登記していたのですが、2019年に東京(代官山)にお店を構えることになりました。それを機に東京に来てもらうことにしました。ずっと一緒に暮らしていた祖母も施設に入ったころで、父は単身赴任中。弟や妹全員が進学や就職で静岡県以外に住むことになり、ひとり実家に残って暮らすよりはよかったかもしれません。

 

── お母様は、ビジネス経験がなかったのに、なぜ最初から仕事をバリバリとこなせたのだと思いますか?

 

千津さん:私は4人きょうだいの長女で、末っ子とは13歳離れています。専業主婦時代の母は、朝から晩まで4人の子どもの世話をしていました。しかも父方の祖母とも同居し、父はずっと単身赴任。

 

PTA会長も経験し、育児、子育て、地域活動のマルチタスクを30年近くこなしていたんです。それらの経験が底力になり、ビジネス面でも発揮されたのではないかと思います。

「年に1回は爆発する」母の不満な気持ちもわかる

── 千津さんにとってお母さんはどんな存在でしたか?

 

千津さん:子どものころは、めちゃくちゃ怖かったです(笑)。母は教育熱心だったし、きちんと子育てしなくてはという思いもあったんだと思います。でも、私が子どものころから、母はとてもしっかりしていましたし、私がやりたいことをいつも応援してくれて、信頼できる存在でした。

 

── 親子で一緒に事業を行うと、遠慮がなくなる部分もあるかもしれません。おふたりの関係はどんな様子でしょうか?

 

千津さん:私はもともと自立した性格で、母に甘えることはあまりありませんでした。だから、幼少時からわりとさっぱりとした親子関係だった気がします。一緒に仕事をするようになってからは、完全にビジネスパートナー感覚。私はウガンダの生産担当、母は日本の販売担当と役割分担も自然にできていました。

 

ときどきぶつかることもありますが、ふだんは客観的にお互いを見ています。ただ、1年に1回くらい、母が私への不満で爆発することがあるんです。ふだんからものすごい量の仕事をしてくれているうえに、お盆やお正月は静岡に帰って親戚のおもてなしなど家庭の仕事もあって忙しく、それはしかたないと私も受け止めています。

 

逆に、私も母に言いすぎてしまうことがあるのですが、「あなた、それは私が母親だから言ってるでしょ?他のスタッフに同じこと言える?」と冷静に言われ、そこには甘えがあったとハッとします。スタッフは若い人が多いのですが、歳の離れた母がいることで、社内でも「頼れるお母さん」的な存在になっていると思います。

 

私と母は共同代表ではあるのですが、母には「千津の会社を手伝っている」という感覚ではいてほしくないんです。あくまで自分の会社だと思ってほしいし、事業を継続して、ふたりで新しい世界を見たいと思っています。

 

PROFILE 仲本千津さん

1984年静岡県生まれ。2009年大学院卒業後、銀行勤務、NGO参画を経て、2015年ウガンダでシングルマザーなどの女性が働けるアフリカンプリントを使用したバッグ工房を立ち上げる。母・仲本律枝さんと静岡市葵区に「株式会社RICCI EVERYDAY」を設立。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/仲本千津