グランドスラム四大大会とパラリンピックを制覇する偉業を成し遂げた、車いすテニス選手の国枝慎吾さん。2023年1月には世界ランキング1位のまま現役を引退しました。「車いすテニス界のレジェンド」とまで呼ばれた彼に、妻の国枝愛さんはどのように伴走してきたのでしょうか。夫婦の出会いから結婚までのお話を聞きました。(全3回中の1回)

「パラリンピックで金メダル」のその先へ チーム国枝で見た最高峰の景色

── パラリンピックの車いすテニス男子で4個の金メダルを獲得し、2023年3月には国民栄誉賞を受賞。レジェンド級のアスリートとなった国枝慎吾さんを、妻として一番近くで見てきたのが愛さんです。現役引退して数か月が過ぎた最近の心境はいかがですか。

 

国枝愛さん:競技生活をしていた頃と比べると、引退後はもうすべてが変わりましたね。6〜7月に久しぶりに2人で海外に出かけたのですが、大会に出場するための緊張感を伴う移動と、そうではない移動では、気持ちも、荷物の数もこんなに違うんだ、と驚きました。選手として大会に出場する際はいつも大荷物でしたから。

 

── 慎吾さんの現役生活のラスト5年間は、愛さんもアスリートフードマイスターの資格を取得し、「チーム国枝」の一員として海外ツアーを回って苦楽を共にされてきたそうですね。引退の決断はいつ聞かされたのでしょう。

 

国枝愛さん:東京パラリンピックで金メダルを獲った後ですから、2021年の年末には本人の中で今年で区切りという意識はあったようです。「来年は遠征に行かない」と口にしていましたから。

 

もちろん最終的に決断するのは彼ですが、「でもまだ優勝できていないウィンブルドンに挑戦しなくて、本当にいいの?2021年で辞めてしまって後悔しない?」といったことは伝えていました。私だけでなく、チーム国枝のみんなも同じでしたね。

 

それで半ば無理やりではないですが、2022年の年明けに全豪オープンに出場したところ、そこで優勝できたことで(2年ぶり11度目)、「もうちょっと続けられるかもしれない」と本人の中でも考えが変わったみたいで。

 

そのままトントン拍子で2022年7月のウィンブルドンでも初優勝を果たし、四大大会(グランドスラム)全制覇とパラリンピック金メダルを合わせた「生涯ゴールデンスラム」を達成したことでようやく「もう十分やりきった。2022年末で引退しよう」と彼の中でも気持ちが固まったようでした。

 

── 慎吾さんを公私に渡って全力でバックアップしてきた愛さんにも、「やりきった」感覚はありましたか。

 

国枝愛さん:それはもちろん。ウィンブルドン優勝が決まった瞬間に「これ以上の喜びはもうこの先に絶対にない」と強く感じました。

 

東京パラリンピックの金メダルと、ウィンブルドンでの優勝。テニス選手の競技生活においてこれ以上の喜びは想像できませんし、あのタイミングで獲れたことは本当に嬉しかったです。私自身も「やりきった」と全力で言いきれます。

 

国枝慎吾さんの引退にあたり、愛さんは「我がサポートに一片の悔いなし!!!」と話した

「目標を掲げて達成する彼の姿勢に驚き」18歳で出会い20歳で交際がスタート

── 愛さんご自身のバックグラウンドについても教えてください。学生時代はどんなタイプでしたか。

 

国枝愛さん:出身は大阪ですが、父の仕事の都合で引っ越しが多い家庭でした。5歳のときに奈良に、小学3年生で埼玉に引っ越したのですが、関西から関東への移住はやっぱりいろんな違いに衝撃を受けていたようです。自分ではすぐに環境に馴染めたつもりでいたのですが、あとから親に聞いたらストレスで円形脱毛症ができていたらしくて。

 

「あの頃はハゲた部分を隠しながら髪を結ぶのが大変だった」と言われて、そうだったのかと驚きました。引っ込み思案な子だったので、あまり自分の思いを言えずにストレスをためていたのかな、と今振り返ると思いますね。

 

笑顔に面影が!妹さんたちとくつろいだ様子の幼少期の愛さん(一番左)

── スポーツは得意でしたか?

 

国枝愛さん:いえ、それが全然苦手でした。マラソン大会でもビリのほうでしたし、運動全般、何をやってもダメでした。かといって勉強が得意というわけでもなく、将来の夢や目標も特になくて。だから大学時代に夫と出会って、「マラソン大会で絶対に優勝したかったから、低学年のときは家の周りを走って練習した」というエピソードを聞いたときはびっくりしました。こういう人って本当にいるんだ、みたいな。「目標を掲げて達成する」といった強い意識を、私はほとんど持ったことがなかったので。

 

── 慎吾さんとは大学の同級生として出会ったそうですね。

 

国枝愛さん:はい、入学してすぐの頃、友達に誘われて入ったテニスサークルで出会いました。当時の彼は車いすテニスの選手として海外遠征にも少しずつ出始めていた頃だったので、サークルは遊び感覚というか、友達を作ることのほうが目的だったのかもしれません。

 

お互い18歳のときに出会って、友達として親しくなり、20歳からつき合い始めた、そんな感じです。

 

── どんなところに惹かれましたか。

 

国枝愛さん:うーん、具体的にここがというわけではなくて、話をしていてなんだか気が合ったんですよ。多分、それはお互いに。性格が似ているとか趣味が同じとかではないんですけど、イヤなこと、嫌いなことは一致していたようにも思います。

 

それに当時の彼は、車いすテニスの選手としてランキングが低かったので、海外のいろんなところを遠征で回らなきゃいけなかったんです。だから大学にもそんなに来られなかったし、今みたいにスマホで連絡できる時代じゃなかったので、会えない期間も結構あったんです。でも、私たちの場合は逆にそれがよかった気もします。

結婚に対する周囲の反応「好きになった人は、車いすユーザーだった。本当にただそれだけ」

── 大学を卒業した後も交際は続き、2011年には結婚。車椅子ユーザーである慎吾さんと結婚することに、覚悟のようなものはありましたか。

 

国枝愛さん:彼と結婚してからそうした質問をよくされるのですが「障がい者と結婚することに躊躇はなかったのか?」という意味であれば、そこはまったくありませんでしたね。お風呂からトイレまで私が彼を介助していると誤解されがちなのですが、彼は日常の基本的なことはほぼすべて自分でできるんです。私が「やってあげなければいけない」場面はいっさいありません。

 

大学生のときに友人として出会い、なんとなくお互いに気が合うなというところからつき合うようになり、数年後に結婚した。好きになった人は、車いすユーザーだった。本当に、ただそれだけなんです。

 

初々しい!結婚式での和装が素敵な国枝慎吾さんと愛さん

── 愛さんのご家族も同じスタンスだったのでしょうか。

 

国枝愛さん:私の家族からの反対も特になかったですね。あ、でも「車いすテニス選手」という彼の職業は、もしかしたら両親は内心では心配していたかもしれません。そんなアスリートの世界で本当にお金を稼げるのか、みたいな。それでも私のなかでは「結婚したいと思った人と、結婚をした」という、やっぱりそれだけの話です。

 

PROFILE 国枝愛さん

大阪府出身。大学時代からの7年の交際期間を経て、27歳のときにプロ車いすテニス選手の国枝慎吾さんと結婚。2013年にアスリートフードマイスター3級を取得。プロの第一線で活躍する夫を公私にわたってサポートし、「チーム国枝」の一員として2021年の東京パラリンピック金メダル獲得、2022年のウィンブルドン選手権初制覇の偉業に貢献する。2024年には夫婦で渡米予定。

 

取材・文/阿部花恵 画像提供/国枝愛