ダウン症の俳優として活躍する吉田葵さん(16)。小学校は通常学級から支援学級に転学しましたが、ダウン症を告知したタイミングや葵さんの反応は。(全2回中の2回)

この先を考えて不安しかなかった

── 息子の葵さんを出産した直後に、医師からダウン症の疑いがあると言われたそうですね。

 

吉田さん母:出産直後に先生が「もしかしたらお子さんはダウン症かもしれません」と私にポロっと言ったんです。予想だにしない言葉を聞いて「うそでしょ?聞かなかったことにしよう」とパニックになりましたね。

 

── その後、心雑音もあって大きな病院に転院されたそうですね。そこで正式にダウン症と診断されたとのこと。

 

吉田さん母:この先を考えて不安で仕方なかったです。

 

その後、生後6か月の頃に心臓手術を受けました。体に管が入った状態で必死に頑張っている姿を見て、息子の生命力の強さを感じました。私が泣いてる場合じゃない。一緒に生きようという気持ちが芽生えました。

 

── ダウン症と知って、旦那さんやご両親の反応はいかがでしたか?

 

吉田さん母:「頑張って産まれてきたんだから、みんなでかわいがってあげよう」と、すぐに受け入れてくれました。おかげで私自身すごく救われました。長男は、出産直後から私がずっと泣いていて、すごく不安だったと思います。長男のためにも早く気持ちを落ち着かせたいと思いました。

 

── ご家族以外のまわりの人には伝えましたか?

 

吉田さん母:はじめはごく親しい人だけに息子のダウン症を伝えました。その後、夫の転勤ですぐに引っ越したことで、ネガティブなことばかり考えるよりもっと前向きに生きようと思い、気持ちをリセットできました。

通常学級の生活に「やっていけそう」と思った瞬間

吉田葵

── その後、幼稚園に入園されました。

 

吉田さん母:幼稚園では、友達がたくさんできてとても楽しく過ごしていたようです。友達との交流で言葉が増え、入園当初は滑れなかった滑り台にも挑戦し、自分で滑ることができるようになるなど、良い影響を受けました。

 

卒園後の進路は支援学級も考えましたが、幼稚園の同級生たちが息子に同じ小学校に行こうと誘ってくれたため、地元の小学校の校長に相談に行きました。校長先生には、幼稚園での息子のがんばりや成長を伝え、低学年の間だけこのまま友達みんなと同じ小学校に通いたいと願いを伝えました。校長先生から「まずはやってみなきゃわからないからやりましょう」と応援の言葉をいただいて、地元の小学校に通うことを決めました。

 

また、ダメ元で地域のボランティアセンターで、小学校の生活をサポートしてくれる人がいるかどうか相談してみたんです。すると、たまたまそこで葵と同じ小学校を卒業した方がいることがわかり、その方を中心に交代で息子のサポートをしてくれるようになりました。

 

とても心強かったです。私も仕事をしていなかったため、息子に何かあれば、すぐに行きますと校長先生に伝えました。

 

── すごい縁ですね!学校生活が始まると、いかがでしたか?

 

吉田葵さん:小学校は楽しかったです。

 

吉田さん母:小学校に入学してしばらくたったある日、息子が下駄箱で他の児童に押されて、ランドセルごと吹っ飛ばされる出来事がありました。葵が玄関口を防いでしまって、その子が外に出られなかった。その子も葵を押したことに対して悪気がなかったでしょうし、息子がダウン症だということを知らなかったと思います。私は少し離れた場所で見守っていたのですが、息子はその子の元へ行き、ランドセルを引っ張り返しました。それがいいかどうかは別として、その姿を見てなんとか小学校でもやっていけるかなと、ちょっと安心したことを覚えています。

 

── 小学3年生からは支援学級に移られたんですね。

 

吉田さん母:長男の時の経験から、3、4年生になると、子どもたちの成長が顕著になるのと同時に、勉強内容も難しくなり、サポートが必要な場面がより増えてきます。3年生になって、得意な分野を伸ばし、苦手な分野をサポートしてくれる支援学級に転学することにしました。

 

── 通常学級の小学校から支援学級に転学してから何か変わりました?

 

吉田さん母:最初は、支援学級に移ると急にまわりとの会話が途絶えてしまうんじゃないかと心配でしたが、軽度の障害のお子さんが多かったことや学級人数も比較的多かったため、前と変わらず、いろんな子とコミュニケーションを取れました。また支援学級になったことで、担任の先生が息子の得意なところを活かし、苦手なところを手厚くサポートしてくれたため、ゆっくりですが理解できることも増えてきました。葵は視覚優位の特性があるので、教室に大きな時計やタイムスケジュール表が置いてあると目で見て理解して動けるので、学校生活もしやすくなったと思います。

きっかけは「どうして僕はかけっこで1位になれないの?」

吉田葵

── 葵さん本人には、いつダウン症のことを伝えたのでしょうか?

 

吉田さん母:小学校の5年生のときに伝えました。体育祭の徒競走で、息子は1位になりたくて練習したものの、筋力が弱いと言われるダウン症の息子は、どうしても勝てなかったんです。これは体の作りの違いについて教えてあげないとかわいそうだなと思い、息子自身がダウン症であること。そのため筋肉が弱く、速く走れないと説明しました。同時に、筋力は弱いかもしれないけど、バレエやダンスは得意だよね。ダウン症でもできることはたくさんあるよと伝えたら納得したみたいで、そこからは1位にこだわらなくなりましたね。

 

── 葵さんは、リレーで勝てなくて悔しかった時のことは、覚えていますか?

 

吉田葵さん:覚えてます。自分はどうしても1位になりたくて筋肉痛になるくらい一生懸命走ったんですけど、相手が速すぎて抜かせなかったんです。結果は3位でしたが、1人は抜かせたので、それはすごく嬉しかったです。

 

── 息子さんを育ててきたなかで、お母さん自身変わったなと思うことはありますか?

 

吉田さん母:自分と価値観が違う人がいても、いろんな人がいると受け入れられるようになりました。葵が生まれてからはいい意味で自分の価値観が崩されていった感じです。もう1つは、チャンスがあったらやってみる。今回、息子はNHKドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』で初めて演技に挑戦しましたが、やってみたらすごく成長できたし、私自身、新しい世界も見せてもらえました。

 

今回のドラマでエキストラを募集した際に、初めて障害のある方々からの応募があったと現場の方が喜んで教えてくれました。息子が出演していることで、自分にもできるのではないか!と応募してくださったとのこと。このドラマがひとつのきっかけとなり、今後日本のエンタメ界でも障害のある方々が活躍できる場が増えていくことを心から願っています。

 

PROFILE 吉田葵さん

2007年1月生まれ、東京出身。2023年、NHKBSP『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』草太役で出演。

 

取材・文/間野由利子