フィギュアスケート選手として、中学生でオリンピックに出場した八木沼さん。その後の人生にどのような影響を及ぼしたのでしょうか?オリンピアンのキャリアチェンジを追います(全3回中の2回)。

 

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オリンピック出場後に一変した世間の目に…

5歳からスケートをはじめ、小学5年生から本格的に選手の自覚を持って試合に臨むようになった八木沼さん。世界ジュニア選手権で2位となり、14歳の若さでカルガリーオリンピックに出場。試合環境のスケールの大きさ、会場の熱気、トップ選手との競技経験…、スケートの奥深さを知る機会になりました。

 

「カルガリーでの結果は14位でした。ジュニアのときのように勢いだけでは勝てません。自分に何が必要か、もう一度考え直そうと思いました。強くなって、もう一度オリンピックに戻ってきたいって。でも、そんなに簡単に変われるわけではなく…」

 

オリンピックに出場したことで、マスコミから“銀盤のゴクミ”とキャッチフレーズがつけられ、メディアに注目される存在になりました。

 

「オリンピックに出たからといって、私自身はすぐに何が変わるわけでもありません。地道な練習と戦いの積み重ねしかない。いきなりテレビや新聞でそんなことを言われたり、期待されても、私はちんぷんかんぷんでした」

 

とまどう八木沼さんに、お母さんは「気にしないでおこう」「ありがたいと思おう」と声をかけてくれました。

 

「オリンピックのことや演技の出来について、テレビや新聞で『なぜできないのか?』ととりあげられても、自分でも理由が本当にわかりませんでした。ライバルと比較され、新聞の見出しにふたりの名前が躍り…。その子の点数が高ければ、その子の名前が上に書かれ、逆転したら私の名前が上に。言い現せない気持ちになりました」

 

カルガリーオリンピック後、八木沼さんは2回ほどオリンピック出場をかけてシーズンに臨みましたが、次点となりオリンピック出場には届きませんでした。

 

「再び出場する機会を逃して、その次も目指してまたがんばりましたが、苦しかったです。オリンピックを忘れてスケートに集中できればよかったのですが、選手引退までオリンピックという鎖が首に巻きついたままでした」

プロスケーターへ転身「出会いで人生が変わった」

八木沼さんは早稲田大学に進み競技生活を続けました。しかし、大学4年生のとき、競技として向きあいつづけたスケートとの距離感をリセット、卒業後はもう一つの夢であったプロスケーターの道を選択。5歳から師事した福原先生も、ショースケーターの経験があり、幼いころからの憧れの職業でもありました。

 

「アマチュアの選手時代と違い、『プロとしてどう魅せるか』に徹底的にこだわりました。ジャンプやスピンの技術だけでなく、お客様の求めるものを見せるエンターテイメント性も重要です」

 

選手時代からスピンの美しさに定評があった八木沼さん。一方、選手時代に比べてプロは採点されず比較もされないからラクかというと、体力面ではそうともいえない部分もあります。ショーは大人数で行いますが、昼間のリンクは一般滑走向けのため大人数の練習では使えないため、ショーの団体練習時間は真夜中しかありません。

 

プロスケーター時代の八木沼さん

「ふだんは夜9時半ころからリンク2階にあるフードコートの空きスペースなどで練習して、深夜11時~朝4時くらいまで氷上で団体練習をします。ショーが近づくと昼公演の時間帯にピークをあわせるために、練習時間を短期間だけ昼にずらします。全国各地から出演者が集まるので、練習期間はホテルに缶詰め状態です」

 

こうして八木沼さんは18年間に渡ってアイスショー『プリンスアイスワールド』に出演。10年間チームリーダーを務め、スケーティングディレクターとして「ショーを作る側」も経験しました。

キャスター経験が指導者として役立ったスキルとは

プロスケーター1年目の1996年、八木沼さんはフジテレビ『スーパータイム』のスポーツコーナーのキャスターに抜擢されました。

 

「氷の上を滑ることしか経験していない人間だったので、野球、大相撲、サッカー、とにかくあらゆるスポーツを、毎日変な汗をかきながら必死に勉強しました」

 

最初は怒られてばかりで泣いたことも。本番後、毎日家に帰ってから、八木沼さんはNHKから民放まであらゆるニュースやスポーツ番組を参考にしながら、声に出して反復練習。こうして平日夕方の帯番組を3年半続けました。このときのテレビでの経験が、じつは意外なところで役立っているそう。

 

BSフジ『フィギュアスケートTV』でキャスターを務める

「『短い言葉で的確に伝える』スキルが、スケートインストラクターとして役立っているように思われます。教えるときは、ずっと横についてつどアドバイスをするのですが、的確でないと相手に伝わらないし、上達にも結びつきません。練習時間は30分間が基本なので、短くて効果的な言葉を選ぶ必要があります」

 

1998年には、長野で冬季オリンピックが開催され、現地レポートを担当。伝える技術を磨き、2010年のバンクーバーオリンピックからは解説者を務めるまでになりました。

 

PROFILE 八木沼純子さん

東京都出身。1988年、世界ジュニア選手権2位、14歳でカルガリー五輪出場。18年間アイスショー「プリンスアイスワールド」に出演。スポーツキャスターとしてオリンピックの解説なども行う。明治神宮外苑アイススケート場でインストラクターとしても活動中。

 

取材・文/岡本聡子 画像・写真提供/八木沼純子、株式会社スポーツビズ