フィギュアスケート選手として、14歳で華やかにオリンピックデビューを果たした八木沼純子さん。約17年間、競技を続けられた理由は母親の気づかいにありました(全3回中の1回)。

 

愛らしい!小学生時代の八木沼さん

小4で「スケート中心」の人生を選択した

自宅近くのスケートリンクで、5歳からスケートをはじめた八木沼さん。やがてオリンピックに2度出場した福原美和先生と出会います。転んでは泣き、先生に抱きかかえられて一緒に滑りながらスケートの面白さに目覚めたそうです。

 

「『泣いたままリンクから上がらせない』先生の指導方針のおかげで、最後は恐怖心をこえて楽しく滑ることができました」

 

最初の岐路は小学4年生のとき。自宅から離れた私立小に通っていたため、下校後に眠たい眼をこすりながらリンクで練習する日々が続いていました。その姿を見かねた母親から「スケートと学校どっちを選ぶ?」と聞かれ、八木沼さんは「友だちとはいつでも会えるから、スケートを選ぶ」と答えました。

 

「母はかなり覚悟してたずねたそうですが、私は即答。この時から“選手”としての自覚が芽生えました」

 

ちょうどスケートのバッジテスト(検定)にも順調に合格し、全日本ジュニアのフリーに出場。トリプルルッツを初めて跳べた時期でもありました。

怒られても「やめたい」と思ったことはなかった

転校後は朝練、下校後の練習、夕食後の練習ざんまい。その頃から食生活も注意するように。当時はまだ栄養本があまり出版されておらず、母親が書店で探しまわり、工夫してお弁当を作ってくれました。

 

「ジャンプのために、筋力をつけるたんぱく質をしっかりとりつつ、練習に響かないように消化のいいものが理想でした。母は夜のお弁当を毎日作るのは大変だったはず」

 

また、すべての練習にお母さんが付き添い、リンク脇で見守りました。

 

「福原先生にはいっぱい怒られました。じつはあまりほめない人なんです(笑)。『まぁまぁだね』が最高のほめ言葉。なんだかなぁと思っていると、母が福原先生と話をして『よくできてるよ』『本当はこう思っているみたい』と、間に入ってフォローしてくれました」

 

恩師の福原美和先生とのツーショット

じつは、お母さんは福原先生とは学生時代の先輩・後輩の関係。リンクでの再会は偶然でした。

 

こうして八木沼さんは5歳から大学4年生まで福原先生に師事。年齢とともに練習時間が増え、お母さんと過ごすより福原先生と一緒にいる時間のほうが長くなるほど。反抗期を迎えても、スケートへの情熱が増して八木沼さんは「やめたい」と考えたことは一度もありませんでした。

選手間の「うわさやデマ」に翻弄されなかった訳

小学5年生から厳しい勝負の世界に身を置いた八木沼さん。頭角をあらわすうちに“出る杭は打たれる”体験もしました。お母さんからのアドバイスは「スケート場には友だちを作りにいくものではない、友だちは学校で作りなさい」。

 

ときには、うわさやデマを流すなど親同士のかけひきもありましたが、お母さんはそのつど真偽を確かめ、八木沼さんの耳に余計な話が入らないように守ってくれました。

 

「後から母が教えてくれたのですが、私ともうひとり伸び盛りの子のお母さんと2人で話しあって、『うわさに惑わされないように、お互い確認しよう』と協力していたそうです。おかげで、リンク外の雑音に惑わされることなくスケートに集中できました」

 

「出る杭だから打たれる、出きってしまえば打たれることもない」と考えた八木沼さん。ふだんの練習から、ライバルがトリプルを跳べば自分も跳ぶ、というように貪欲に挑み、自分の技術を引き上げました。

 

「よきライバルの存在は大切。裏でこそこそ駆け引きをするより、正面からぶつかりあえばお互い向上します。ふだんから勝負した積み重ねが本番に出ます。もちろん負けることもありますし、負けたら本当に悔しい。泣くほど悔しければ、勝つためにどうするか、必死で考えますよね」

 

1987年世界ジュニア選手権で2位の快挙、やがて14歳でカルガリーオリンピックに出場します。

 

2019年から明治神宮外苑アイススケート場でインストラクターとしてスケート指導する八木沼さん

「大舞台で実力を発揮するためのコツですか?とにかく準備です。ケガをして練習時間が少なくなれば、不安と緊張を抱えたまま試合に臨むことになります。本人のせいでなくても、これも準備不足になります。でも、完璧な準備をしても、本番で実力を発揮できるかは別問題のところもあって…。場数をふむことも必要」

 

カルガリーオリンピック後、八木沼さんは2回オリンピックに出るチャンスがありましたが、2回とも次点で出場を逃しました。

 

「どれだけ練習しても場数をふんでもうまくいかないこともあります。どうしてうまくいかないのか、新聞にもいろいろ書かれましたが、その時は自分でもまったくわからなくて…。苦しい経験でしたが、これがスケートの奥深さのひとつかもしれません」

 

PROFILE 八木沼純子さん

東京都出身。1988年、世界ジュニア選手権2位、14歳でカルガリー五輪出場。18年間アイスショー「プリンスアイスワールド」に出演。スポーツキャスターとしてオリンピックの解説なども行う。明治神宮外苑アイススケート場でインストラクターとしても活動中。

 

取材・文/岡本聡子 画像・写真提供/八木沼純子、株式会社スポーツビズ