末期の大腸ガンで闘病していたBL漫画家のひるなまさん。昨年12月に亡くなる前、献身的にひるなまさんを支えた夫さんには、今も後悔していることがあるそうです。

 

闘病記『末期ガンでも元気です38歳エロ漫画家、大腸ガンになる』第2話より
闘病記『末期ガンでも元気です 38歳エロ漫画家、大腸ガンになる』第2話より

BL(ボーイズラブ)漫画家として活躍していたひるなまさんは38歳で大腸ガンを患い、その闘病記をポジティブに漫画に描きWEBコミックで連載。書籍化された作品や自身のX(旧Twitter)は、12月に亡くなった後も多くの人に読まれています。闘病する患者家族の目線で経験したことや感じたことをブログで発信している、ひるなまさんの夫さんにお話を伺いました。

「サポートできるのは自分しかいない」

── 病気が発覚してから昨年12月に亡くなるまでの3年ほど、どのように支えていらっしゃったのですか?

 

ひるなまさんの夫:まずはできることからと思って、家事の水仕事からはじめました。妻が水の寒冷刺激によって、手が痺れないようにと、食器洗いや洗濯干しなどを。私はもともと家事とは無縁だったので、結婚当初から家事をもっとしておけばよかったと思いました。特に料理は大変でした。

 

あとは病院の付き添いです。私の職場の理解もあり、検査や抗がん剤治療のたびに、休みの日を調整して病院に付き添えました。先生の話もひとりよりふたりで聞くほうが心強いでしょうし、私も大事な話を直接聞きたいという思いがありました。

 

闘病記『末期ガンでも元気です38歳エロ漫画家、大腸ガンになる』第2話より
闘病記『末期ガンでも元気です 38歳エロ漫画家、大腸ガンになる』第2話より

抗がん剤治療では副作用の吐き気やだるさが強く、それを抑える薬を飲んでいました。しかし、妻の場合は、その薬の副作用もまた、ひどかったんです。その薬を飲むことで、急激な眠気にも襲われていました。ぼんやりとした意識のなか、先生の話を聞けない状態で受診することもありました。そんなときは、本人が先生に聞きたかったことを、私が代弁したり補足したりしました。そのうえで先生の指示は聞きもらさないように努めました。サポートできるのは自分しかいなかったと思うし、できて良かったと思います。

 

──「家族の協力は闘病に欠かせない」と著書にも書いてありましたが、サポートしてくれる、ひるなまさんの夫さんの存在が心強かったのではないでしょうか?

 

ひるなまさんの夫:妻ははっきり要望を言う人だったので助かりました。普段、僕はそういうところが鈍く、気づけないタイプなので。あと、1日の初めに「今日のご予定は?」と妻に必ず聞くようにしました。やはり、毎日妻に「体調はどう?」って聞くと、闘病という現実を思い出すようで嫌になるかなと思ったので…。

 

「今日のご予定は?」と聞くと、妻も「今日はね、あれをしたい、どこに行きたい」って言うんです。それに合わせてその日の動き方を考えてスケジュール組んだり提案したり。本人の希望を普段通りのように聞くルーティンはよかったと思います。

闘病で気づいた「当たり前の日常」の大切さ

── 日々の要望に応えてあげられたことで、ご自身も「やれることはやった」というお気持ちで看取ることができたのではないでしょうか?

 

ひるなまさんの夫:病気に関しての治療とか入院とか、そういうサポートはある程度はできたと思えるのですが、闘病前の日常生活で、ふたりの時間をもっと大切にしていたらよかった。その点を一番後悔しています。コロナ禍ということもありましたが、もっと海外旅行に行っておけばよかったとか、おいしいごはん屋さんにも連れていけばよかったとか…。

 

もともと出不精な僕は「明日でいいんじゃない?」と後回しにすることが多かったんです。「なんでもっと早く連れてきてくれなかったの?」と、昨年妻に怒られたこともありました。今も、思い出すたび心の中で謝っています。

 

──きっと誰もが、元気なときほど当たり前の日常のありがたさに気づきにくかったり、次があると思って後回しにしがちですよね。

 

ひるなまさんの夫:本当にそう思います。元気なときに、その大切な時間に気づいていたらなと思います。先日、妻が料理に使うため育てていたローズマリーが花を咲かせまして、なんだかすごくうれしかった。本当は、花が咲く前に剪定しないといけなかったみたいですけど。きっと、自分が知らないところで妻は、ローズマリーの世話を一生懸命やってきたんだろうなと。私もこれから勉強しなくちゃ!と素直に思えたんです。亡くなった妻と今でも繋がっていると思えて、本当にうれしかったです。