東京五輪のサーフィン競技でみごと銀メダルを獲得した五十嵐カノア選手。その活躍を陰で支えるのが、母・ミサさんです。「サーフィンだけの人になってほしくなかった」という思いで厳しく接した面もあったといいます。
選択肢を広げるため「サーフィンを続けたいなら勉強も頑張れ」
── カノアさんは、サーフィン以外にもたくさん習い事をされていたそうですね。
ミサさん:子どもの好きなこと、やりたいことを見つけるには、できるだけたくさんのものに触れさせたほうがいいなと思っていました。どこに可能性があるかは、やってみないとわからないから。親として、できるだけ環境は整えてあげたいと考えました。スケートボードやプール、極真空手にバスケ、ビリヤード…。勉強系では、公文(KUMON)にも通わせました。
── 運動系だけでなく、公文にも通われていたのですね。
ミサさん:当時からサーフィンに対する熱量がすごかったのですが、「サーフィンだけの人」にはなってほしくなかったんです。この先、プロのサーファーを目指すとしても、もしケガをして道が閉ざされてしまったときに、まったく勉強をしてこなかったら、選択肢が狭まってしまう。それだけは避けたいと思いました。
ですから、カノアには、「大好きなサーフィンを続けるためには、勉強もしないといけないよ」と、つねに伝えていました。
── それだけたくさんの習い事をしていると、送り迎えも大変だったのでは?
ミサさん:大変でしたね。アメリカでは、「自分の子どもは自分で守る」という意識が強いので、友達の家に遊びに行くにも親が送り迎えをするのが当たり前。カノアの場合、習い事をいくつもかけもちしていたので、送り迎えも大変でした。「次の場所にはどうやっていくのがいちばん早いか」といつも考えていました。できるだけ効率的によく過ごすために、スケジュールを立てながら、時間管理を徹底していましたね。
サーフィンでも、いろいろな場所に連れていきました。ロサンゼルスは、ビーチブレイクといって、比較的乗りやすい波が多いんです。もっとパワフルな波にチャレンジしたり、違った練習をさせるために、いろんな国や島を一緒にめぐることも多かったです。
SNSでの悪口も「認められてるんだ」と言える息子
── できるだけ良い環境でサーフィンができるように、二人三脚でサポートしてこられたのですね。
ミサさん:先日、当時の話をカノアとしていたのですが、「ミサもよく頑張ったよね!」と、労ってくれました(笑)。うちは、親子ではあるものの、私たちのほうがカノアに教えられているような部分も多く、「チーム」というほうがしっくりくる気がします。私自身、自分の子どもだけれど、「私がいちばん最初のファン!」と思っています(笑)。
── いちばん間近なところで、「推し活」できるなんて幸せですね(笑)。カノアさんから「教えられる」部分というのは、例えばどんなことですか?
ミサさん:彼は子どものころから考え方がしっかりしていて、すごく芯が強いんです。だから、私が余計な心配に傾いているときには、「そんなふうに考えちゃダメだよ」と、諭されることも。
── ミサさんのこれまでの道のりを伺っていると、ネガティブな発想をされるイメージが浮かばないのですが…。
ミサさん:私もそう思っていたのですが、子どもに関しては、悪い想像をして不安になることもあります。でも、「心配するより、良いことだけを考えるほうが楽しいよ。自分にストレスをかけちゃダメだ、ポジティブシンキングが大事」と言われ、確かにそのほうがハッピーだなと。
カノアが18歳くらいのときには、SNSで悪口を書かれているのを見ていたら、「こんなふうに言われるのは、自分も一流選手として認めてもらったってこと。どうでもいい相手なら悪口も言わないから」と言われたことも。
── 18歳にしてネガティブな「雑音」をエネルギーに変えるとは、強いですね。さすが、世界で活躍するメンタリティだと実感します。
ミサさん:私もそれを聞いて「慎重になりすぎても仕方ない。何かあったらそのときに考えればいいや」と、吹っきれました。
12歳くらいから単独で海外にサーフィンに行く機会も多かったし、5〜6歳でスポンサーがついて大人に囲まれてきたせいか、精神が鍛えられたのかなと思います。カノアは泣き言をいっさい言わないのでわからなかったのですが、昔のことを笑い話にして話すのを聞くと、「知らないところで修羅場をくぐってきたんだな」と感じます。
ドラッグやアル中の実態もあえて隠さなかった
── 幼少期から才能を認められ、スポンサーもつくような生活を送っていると、なかには、チヤホヤされて天狗になったり、いろんな誘惑に負けて道を踏み外し、ダメになっていく人もいます。親として、どんなことに気をつけていましたか?
ミサさん:「ドラッグなどはもってのほか。タトゥーやピアスも絶対ダメ」と小さなころから言い聞かせ、道を踏み外さないように目を配ってきました。
なぜダメなのかを自分の頭で考え、納得してもらうために、ホームレスやアルコール中毒者など、親としては見せたくないような光景も、あえて隠さないようにしました。もしそうなってしまうと、私たち家族がどれだけ悲しい気持ちになるか、周りにも迷惑をかけてしまうんだよと説明していましたね。
──「社会的にダメだから」と頭ごなしに言うのではなく、「家族がどれだけ悲しむか」を想像してもらうのは、なによりの抑制力になりそうです。
ミサさん:家族思いの子なので、そうしたことを真剣に伝えることがいちばん響くだろうなと思っていました。
子どもたちには「自分の頭で考えて行動できる子」になってほしい。そうした思いから、何かを伝えるときには、「これはこういうものだから」と一方的に押しつけるのではなく、「あなたはどう思う?」といつも意見をたずねてきました。親が自分の考えに耳を傾けてくれると感じられると、子どもの心も安定するし、自分の意見をしっかり持って、伝える習慣が身につくと思うんです。
子どもへのサポートも、先回りして世話をするのではなく、「私にどうしてほしい?」と、その都度、意見を求めました。「目配りや気配りは怠らず、でも、先回りして手を貸しすぎない」のがわが家の方針です。
── 子どもは、親が思っている以上に、自分の意見を持っていたりしますよね。でも、誘導しすぎてしまうと、大人の顔色をうかがって感情にふたをしてしまうことも…。
ミサさん:今の子は、すごく礼儀正しく、しっかりしている子が多い反面、感情を抑えがちで、子どもらしくないなと感じてしまうこともあります。もっと自分の感じたことをそのままを表現していいと思うんです。それが、その子なりの意見や考え方を養っていくはずです。
うちでは、「思ったことは、とりあえずなんでも言ってみる」がルール。そうでないと、親子といえども本心がわかりませんよね。同じような環境で育てた兄弟でも、性格や考え、モノのとらえ方も違います。人それぞれ考え方が違いますから、自分の考えをおしつけたりしないで、常識を教えつつ子どもの意見に耳を貸すことが必要だと思います。どうしてそう思うか聞くことによって、理解できることもありますから。
とはいえ、社会で生きていくには、協調性がないとダメだし、相手の意見を尊重することも大事。それを理解したうえで、自分の意見を持って表現することが大切だと思います。
PROFILE 五十嵐ミサさん
1963年生まれ。東京出身。2021年東京オリンピックのサーフィン競技日本代表・銀メダリスト五十嵐カノア選手の母。高校生の時にサーフィンに出会い、トレーニングのために始めたエアロビクスにも魅了。20歳から4年間の海外留学を経験。1990年に結婚し、95年に夫婦でアメリカに移住。弟のキアヌさんもプロサーファー。日々の出来事やカノアさん、キアヌさんの活躍を定期的にインスタグラム(@misa_igarashi)で発信中。
取材・文/西尾英子 写真提供/五十嵐ミサ