2013年に発売され話題になった書籍『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』。このモデルになったビリギャルこと小林さやかさんは、「1年で偏差値を40上げて慶應大学に合格するために必要だったものがあった」と当時を振り返ります。(全2回中の1回)

慶應はイケメンがいっぱい?動機は単純だった

── 高校2年生の夏休みから、小林さんが塾に通い始めたきっかけを教えてください。

 

小林さん:母が弟のために塾の面談を予約しましたが、グレ始めていた弟が塾なんか行かないと言い出したんです。そこで、たまたま予定がなかった私が代わりに塾の面談にいったことがきっかけでした。

 

── 高校は大学の付属の学校に通っていたそうですが、そのまま付属の大学に進学することは考えていたのでしょうか?

 

小林さん:私は成績が良くなかったので、大学の推薦はもらえそうになかったんです。かといって他の大学を受ける気もなかったし、高卒で働こうかなって思っていました。

 

── そこからなぜ塾に通うことになったのでしょうか?

 

小林さん:塾に坪田信貴先生という先生がいたんです。坪田先生と1、2時間面談で話をしただけで、世の中にはこんな面白い大人がいるんだ!って思えたんですよね。こんなに素敵な大人がいるなら、この先の人生も楽しみだな。私のこれからの人生もまだまだ捨てたもんじゃないなって、なんだか上から目線ですが。

 

最初、坪田先生は、私に東大に興味があるかと聞いてきたんです。「ない」と答えたら、慶應大学はどうかと聞かれました。ちょうど、嵐の櫻井翔君が慶應大学を卒業したばっかりだったこともあり、「イケメンがいっぱいいそう!」と答えました。坪田先生から、「じゃあ君は慶應に現役で合格する。いいね?明日から毎日塾に来れる?」と言われて、迷わず塾に行くことを決めました。

 

塾に行く前と後では、世の中を見る目がまったく違ってみえた気がしました。

慶應から逃げたくなった私に先生がかけた言葉

高校時代の小林さん。プリクラにて「さいこお」とピース

── 受験勉強を始めてみていかがでしたか?

 

小林さん:受験勉強を始めた最初のころは楽しかったです。まず、入塾したら先生が生徒一人ひとりの学力を確認します。坪田先生は、各生徒が理解できていないところまで戻って個別指導する方針だったので、私は小学生あたりまで遡って勉強をスタートしました。

 

高校2年生の夏の時点で偏差値は30程度でしたが、しばらくは勉強すればするほど成績が上がってきました。以前は10点すら取れなかった学校の定期考査も100点近く取れるようになり、もうこのままなら慶應に行けるような気がする!と思いましたね。

 

挫折しそうになったのは、どちらかというと最後のほうです。頑張って勉強して全国模試の偏差値60を超えて、だんだんと成績が上がってきたものの、慶應の合格はE判定。

 

英語は確実に伸びていたけれど、日本史は中学、高校ともにまともに授業を受けていなかったので基礎知識がゼロ。慶應受験のために初めて本格的に勉強したものの、内容が全然覚えられません。石器時代と平安時代、どっちが先かわからないくらいのレベルでした。慶應という山がどんなに厳しくて、どれだけ自分から離れていたのかを実感したときが一番きつかったです。

 

── 精神的に追い込まれていたんですね。

 

小林さん:それで、焦りと不安から坪田先生に「明治大学か関西学院大学でも合格できればいい」と言いました。すると、いつもは優しくて面白い先生が、そのときばかりは突き放すような感じで「いいんじゃない?でもこのままだとどこも受からないと思うよ」と言われて。ショックでした。先生から塾に来なくていいから、家で日本の歴史の本を5回読むように言われて、泣きながら読みました。5日ほどたって気持ちが落ち着いてきたこともあり、また塾に通うことに。

 

また、自宅がある名古屋から慶應大学の校舎を見学しに行ったんです。自分の目で直接見たことで、改めて慶應に行きたいという気持ちがわいてきて、ラストスパートをかけることができたと思います。

周囲のポジティブな言葉で人は変われる

2022年、渡米前に坪田信貴氏と行ったトークイベント

── 小林さんは、慶應大学に受かるために周りの環境に恵まれていたのでしょうか?

 

小林さん:恵まれていたと思います。まわりに自分を応援してくれる人がいるかどうか。私の場合は、恩師の坪田信貴先生と、慶應大学への挑戦を応援してくれた母の存在が大きかったと思います。

 

坪田先生は、私のモチベーションが下がらないようにメンタルや学習管理に配慮しながら、常にポジティブなフィードバックをしてくれました。おかげで勉強も楽しくなり、受験前にモチベーションが大きく落ちたときも乗り越えて、最後まで頑張ることができたと思います。

 

最初こそ嵐の櫻井翔君みたいなイケメンとの出会いを期待して受験勉強を頑張りましたが、途中から坪田先生のような博学で魅力的な大人になりたい。そのための突破口として慶應大学に行くことが必要なんだと思うようになりました。

 

── それでは、お母さんはどのように受験に関わっていたのでしょうか?

 

小林さん:母は、私が幼いころから何か挑戦するたびに応援してくれていたし、ネガティブなリアクションをほとんど示しませんでした。失敗してもそこから学べることがあるはず。私が坪田先生と出会って慶應を目指したときも、やってみなきゃわかんないでしょというスタンスで、受かった学校が最善という感じで寄り添ってくれていたと思います。

 

また、父や学校の先生、友達が、地頭が悪いお前にはムリだと笑うなか、母は借金してまで塾代を工面してくれました。分厚い封筒に入った塾代を坪田先生に手渡したとき、先生から「もう一度この封筒を持って。この重みを忘れてはいけないよ」と言われました。その封筒を持ったとき、もう引き返せないと思い、覚悟を決めましたね。

 

── ちなみにまわりに応援してくれる人がいない場合、受験は厳しいと思いますか?

 

小林さん:正直、厳しいと思います。高いパフォーマンスを発揮するためには、自分はできると信じること。親や学校の先生などまわりの大人があなたならできると信じてあげることが大切です。もちろんなかには、親や学校の先生などへの憎しみを原動力に変えて自分で頑張れる子もいるかもしれませんが、それはとてもレアなケースだと思います。自分のことを信じてくれる人が誰もいない環境でいいパフォーマンスを発揮するのは、不可能に近いと思ってしまうくらい環境は大切です。

 

1人でも信じてあげて、ポジティブな言葉をかけることによって、その子が変わってくる可能性も高い。まわりからのポジティブな言葉は、不可欠だと思います。

 

PROFILE 小林さやかさん

『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(坪田信貴著、KADOKAWA)の主人公=ビリギャル。『ビリギャルが、またビリになった日 勉強が大嫌いだった私が、34歳で米国名門大学院に行くまで』(講談社)を出版。

 

取材・文/間野由利子