東日本大震災で現地取材をした農家の方から言われたひと言から、テレビ報道のもどかしさや難しさを実感した堀さん。NHKを退局する覚悟を振り返ってもらいました(全3回中の2回)。

 

若い!NHK時代の初々しい堀さん

念願の報道番組で「若造に何ができるか」と数か月スルー

── 入局5年目の2006年、岡山放送局から抜擢され東京アナウンス室へ。局内の不祥事続きの雰囲気を一新する『ニュースウオッチ9』を担当することになりました。思い描いた報道は実現できましたか?

 

堀さん:それが、最初数か月はまったく声がかからなかったんです。「26歳の若造に何ができるか!」と周囲の目は厳しかった。とにかく仕事がない。待っていてはダメだと、デジカメ片手に現場へ。共同通信社からの事件の第一報が入ると、警察より早く犯人を捕まえてやる、くらいの勢いでした。

 

『ニュースウオッチ9』では同じ局内の『ニュース7』をライバル視するほど、独自の情報にこだわっていました。事件や社会問題など、さまざまな現場で当局の情報隠蔽を暴いたり、光の当たらなかった被害を掘り起こしたり、特ダネを連発して取材特賞を毎年受賞しました。4年後には、23時台に新番組として立ち上げた経済・スポーツニュース『Bizスポ』のメインキャスターを任されることに。

福島の農家から「何か知っていたんだったら」と言われ

── 取材への情熱が認められたんですね。『Bizスポ』は、東日本大震災をはさんで2年間続きました。堀さんがノーネクタイのときがあり、寝る前の時間にちょうどよいリラックスした雰囲気も感じました。

 

堀さん:それは東日本大震災後の節電対策の流れですね。思い返すと震災のときは、いろんな理由でニュースでは伝えられないこともありました。福島のお母さんたちから「テレビは本当のことを言ってくれない。私たちは何を信じればよいのかわからない」という言葉を投げかけられました。学生時代、僕も同様に世の中やメディアに強い不信感を抱いていたので気持ちはよくわかります。

 

── いままで経験したことのない出来事を前にして、メディアも事実確認を含めて慎重にならざるをえなかったのかもしれません。

 

堀さん:パニックを避けるためなど、理由はさまざまですが…。僕は、震災前からTPP関連で福島の農家さんや銀行の方々に取材を続けていました。震災後に現地で彼らに再会したとき、穏やかな口調でこんなことを…。

 

NHK時代、雨の中現場中継をする堀さん

「あの日、震災が起きて、子どもを連れて外で給水車に並んでいたんですけど、雪が降ってきて子どもと一緒に空を見上げていたんですよね。雪が降ってきたねー、なんて。でも、そのときにはもう原発で事故が起きてたんですよね。メディアの方も何か知っていたんだったら、早く教えてほしかったなぁ」

 

同じ行動をとるにしても、知っていて選択するのと、知らずに行うのはまったく違う。僕は胸をつかれました。

上司からの批判「本当のことを伝えるために退局」

── 取材相手と心を通わせつつ、政府やメディアとしての方針により伝えられない苦しさ…。かつてはメディアへの不信感が強かった堀さんですが、苦労しつつも“本当のことを伝える”情熱はどこから?

 

堀さん:やはり、取材で出会った方々とのやりとりが力になります。最初に配属された岡山放送局時代、山間部に暮らす高齢者の方々を取材したとき、手を合わせながらお礼を言われたんです。「わざわざこんな遠くまで来て、私たちを取材してくれてありがとう」って。そして、放送された番組をDVDに入れて持って行くと、「ありがたい、死に形見にする」とまで…。

 

ああ、この人たちを裏切ることはできないと心から思いました。政府やメディアにとって都合のよい情報や文脈に偏っていては、世の中は変わらない。本当に必要な情報を、必要とする人たちに届けるのがメディアの役割ではないでしょうか。

 

── ということは、実際は必要な情報を届けられなかったこともあったのでしょうか?

 

堀さん:もちろん努力はしました。「これは出せない」と言われても、一生懸命理由を説明して各方面を説得して報道する。でも、毎回こんなプロセスを踏んでいたら、体力も気力も失ってしまう。何よりも、次に大きな災害や事件が起きたときに間に合わない。このまま大きなメディアにいたら、自分の目指した報道はできないんじゃないか、と感じはじめました。

 

伝えたい内容を伝えられない状況にいらだちを隠せない僕でしたが、2012年、NHKの制度を使って、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に客員研究員として留学しました。このとき、50年間隠蔽されていた米国の実験原子炉事故を取材し、『ニュースウオッチ9』に企画書を提出し、採用されたんです。

 

しかし、国際部の記者と取材し撮影が進んでいましたが、放送日を決める段階で上層部から注文がつき、このテーマはお蔵入りに。上司からは取材映像の発信はできないと言われて抗議をしましたが、それはかないませんでした。

 

そこで、「本当のことを伝えたい」と懸命に取材を受けてくださった方々の思いを裏切るわけにはいかないと思い、NHKを退局。自由の身になって、映画という形で取材映像を世の中に発信することにしました。

 

再びロサンゼルスに戻り、追加の取材や撮影を行い、その年の暮れに新宿の映画館で発表会を行い、翌年から全国での劇場公開が始まりました。フリーランスになってからは上司からストップをかけられることもなくなり、まっすぐ、好きなだけ伝えられるようになり、未来が開けたと実感しました。

 

PROFILE 堀 潤さん

NHKで「ニュースウオッチ9」リポーターや「Bizスポ」キャスター等、報道番組を担当。2012年、市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、現在はTOKYO MX「堀潤モーニングFLAG」のMC等、報道・情報番組に出演、国内外の取材や執筆など多岐に渡り活動中。YouTubeチャンネルで配信中の時事問題を視聴者と共に学ぶ「堀潤のニュースのがっこう『週末報道』」では、双方向の学びを実践。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/堀潤、株式会社ノースプロダクション、8bitNews、幡野広志、Orangeparfait