テレビの生放送でアナウンサーが台本にないことを突然しゃべり出したら…。番組が始まるやNHKの不祥事を謝罪した堀潤さん。周囲も仰天!堀さんのなかで芽生えていたものとは(全3回中の1回)。

 

「ロック」なスタイルの堀さん!大学時代はバンド活動に燃えていた

就職でテレビを希望したのはメディアへの不信感から

──『ニュースウオッチ9』リポーターなどで広く知られた堀さん。笑顔でアドリブも飛び出すスタイルに、いい意味でNHKらしくないなぁと好感を持ちました。昔から、明るくて話すのが得意でしたか?

 

堀さん:いえ、僕は逆にしゃべらない子どもでした。そもそも世の中に期待せず、むしろ冷めていたような。

 

── 意外です、アナウンサー時代のような“明るくて親しみやすい堀さん”とはちょっと違うタイプだったんですね。世の中に期待しなかったのはなぜ?

 

堀さん:バブル崩壊など世相の影響が大きいですね。大会社が次々につぶれ、社会に出ようとすると就職氷河期で、希望がもてなかったんです。けれど、テレビは「なぜこんなことになり、これからどうなるのか」、本当のことを伝えない。メディア側に都合のよい表面上の話ばかり一方的に流している。僕のなかでは、メディアや世の中は信用できない思いが強まりました。

 

── 根強い不信感を持ちながら、メディアに興味を持ったのはなぜでしょうか?

 

堀さん:大学でドイツ文学を専攻して、第二次大戦中のナチスドイツと日本のプロバガンダについて学んだんです。ドイツ留学もしました。そこで、西ドイツは戦時中の行いを戦後しっかり分析して現在に活かしているのに、日本ではそんな動きはなく、改善や進歩につながっていない、と気づきました。

 

テレビは本当のことを伝えない。当時、僕のなかでマスメディアへの不信感は本当に強くて、大学時代はすべての週刊誌に目をとおして事実を追い求めていました。この状況を少しでもよくしたくて。

しゃべらなかった幼少期「塾講師で伝える力を身につけた」

── メディアや世の中への不信感が、かえってメディアへの興味に結びついたんですね。NHK入局のときはどんな気持ちで?

 

堀さん:僕が大学生のころは、インターネットが本格的に広がり、テレビでは言えないことがネット上にあふれていて「これはおもしろいなぁ」と。いっぽうで、テレビではデジタル放送開始も予定されていました。デジタル化が進めば、テレビでも視聴者と双方向で意見交換できるはず。「いままではメディア側が一方的に発信してきたけど、これからは双方向だ!」と、NHKの面接で熱く語って合格しました(笑)。

 

── 新しいメディアのかたちを模索するにあたって制作側にまわる方法もありますが、最初からアナウンサーを志望されたのでしょうか?

 

堀さん:はい、アナウンサー志望で入りました。アメリカの映画『アンカーウーマン』を観て、キャスター自身が企画を出し、自分で取材して伝えるイメージを持っていたんです。じつはNHKでは、制作以外でも、誰もが企画を提案できるんです。カメラマンでも総務部でも企画を出して通れば、実際に動きます。

 

小さいころはあまりしゃべらない子でしたが、塾講師のバイトなどでプレゼン力を鍛えて、得意なのは伝えることかもしれない、アナウンサーなら力を発揮できるのでは、と思えるまでになりました。

 

父親の転勤により、転校が多かった小学生時代

── アナウンサーにならなければ、どんな人生を?

 

堀さん:ずっと真剣にバンドをやっていて、渋谷のライブハウス「shibuya eggman」でライブをしたり…。最後は、就職か音楽かの二択でした。まったく違う世界に見えますが、ロックからも世の中を変えてやろうという反骨精神を学んだとも言えます。

「申し訳ありませんでした」台本を無視して視聴者へ謝罪

── そんなロックな堀さん(笑)は、2001年のNHK入局後は岡山放送局へ。自由な雰囲気で放送されていたと聞きます。

 

堀さん:夕方の生放送の情報・報道ワイド番組を担当しました。僕も含め、現場の取材をしたみんなが自分の言葉で本当に伝えたいことを伝えられる番組にしたかったんです。だから、生放送なのに打ち合わせや台本にない情報を入れたり…。

 

── どういう意味でしょう?

 

堀さん:取材者が必死で集めたいい取材要素があっても、放送局としては「このストーリーにこの事実を混ぜるとわかりづらくなるからカット」「このネタはいろんな事情に鑑みて使いたくない」と取捨選択するケースも多いです。そんな状況が続けば現場の士気も下がるし、何よりも視聴者のためにならない。でも、僕はキャスターもしていたので、生放送でいきなり話してしまったり、取材者に自由に質問したりもしていました。

 

NHK『ニュースウオッチ9』時代、新型インフルエンザの取材をする堀さん

── 現場は混乱しませんか?おそらく上司に相当怒られますよね…。

 

堀さん:まったく怒られませんでした。逆に「もっとやろう!いけ堀潤!」と応援してくれるスタッフばかりでした。公共放送だからこそ自分の言葉で語る、プロパガンダにならない、学生時代の想いを形にしようと当時、懸命でした。

 

ですから、番組制作費着服事件などNHKの不祥事が続いたときも、これは最初に謝るべきだろうと。「今日も新鮮なお野菜が届いてまーす、岡山のみなさんお元気ですか?」で始まるはずが、「今回の件、本当に申し訳ありませんでした!ダメですよね、こんなことして」と真っ先に自分の言葉で謝罪しました。同僚や先輩たちも同じような気持ちだったようです。

 

──「視聴者に必要なことを第一に伝えよう」と考える仲間が増えたんですね。

 

堀さん:その後も、あまりに不祥事が続くので、NHK改革の機運が高まりました。東京に各地から人材を集めると聞いて、岡山放送局の上司が東京まで行って「堀をよろしく」と頭を下げてくれたんです。2006年、僕は東京アナウンス室に移動し、花形である改革肝いりの21時のニュース番組を担当することに。「今度こそメディアのあり方を変えられる!」と意気込んで東京に向かいました。

 

PROFILE 堀 潤さん

NHKで「ニュースウオッチ9」リポーターや「Bizスポ」キャスター等、報道番組を担当。2012年、市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、現在はTOKYO MX「堀潤モーニングFLAG」のMC等、報道・情報番組に出演、国内外の取材や執筆など多岐に渡り活動中。YouTubeチャンネルで配信中の時事問題を視聴者と共に学ぶ「堀潤のニュースのがっこう『週末報道』」では、双方向の学びを実践。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/堀潤、株式会社ノースプロダクション、8bitNews、幡野広志、Orangeparfait