毎日高齢者と一緒に暮らしていると、どうしても気になるのは心身の衰えのこと。義父の加齢に向き合う、三世代同居の暮らしについて綴ります。

 

「指先が動かない、徒歩がしんどい」義父母の衰え

最近のわが家では、今までずっと元気だった義父母の身体の衰えを実感することが少しずつ増えてきました。

 

義母の指先がうまく動かなくなってきたり、義父が今までは行き帰りを徒歩で通っていた病院に、車で送り迎えするようになったり…。

 

今まで、私たち夫婦が「車で送って行こうか?」「代わりにやるから置いといてください」と手を出しそうになったときにも、頑なに義父母は「やってもらったら(衰えて)できなくなる」「できなくなるときまでは自分でやるから大丈夫!」と言い張り、なるべく子どもたちに頼らないように意識していました。

 

その頑なさが、最近になって少し柔らかく変化するとともに、生活の中で私たちが手助けをすることが増えてきた感じがあります。

 

夫婦ともに後期高齢者、特に義父はもう80代半ば。今までが元気すぎたというのは確かにあるのですが、やはり家族の衰えを目にするのは切ないものです。

 

これから私たちがサポートしなければいけない場面がどんどん増えていくのかな…と最近までは思っていました。しかし…。

ラクをしたいだけ?便利な同居嫁タクシー

ある日のことです、義父の趣味の蕎麦打ちサークルに参加するため、会場の公民館までの送迎を頼まれました。公民館までは徒歩でも10分かからないほどの距離ですが、荷物が重いからお願いしたいとのこと。

 

お安いご用、と引き受けたのですが、重い蕎麦粉の入った段ボールの箱を車に積み込むとき、ふと疑問に思いました。

 

今までは、この重い荷物をどうやって会場まで運んでいたんだろう?

 

義父に聞いてみると、「今まではキャリーカートに入れて運んでたんだけど…今日はほら、雨が降りそうだから…」と、妙に後ろめたそうな様子。

 

その後も何度か義父から、「あれ?今までは特に問題なく徒歩で通っていたのに…」という、わりあい近場への送迎を頼まれることがあり、私は確信しました。

 

これは決して歩けないんじゃない、同居嫁タクシーの便利さに味をしめただけなのでは、と。

頼みは「半分だけ」引き受ける

注意して義父の動向を見ていると、やはり私や夫が仕事でいない日は、特に問題もなく徒歩で通院したり趣味の活動に通ったりしています。

 

人間は、ついラクなほうに流されがちなものです。決して義父を責めるつもりはないのですが、このままアテにされすぎるのも…それこそ義父母がよく言っていたように、「やってもらってばかりだとできなくなる」のではないかという心配もあります。

 

しかし、あまり足腰を酷使して、かえって関節を痛めてしまったりしては元も子もありません。暑さ寒さが厳しい季節は体調面でも心配です。まったく突き放してしまうことも年齢的に無理があります。

 

そこで最近は、義父の頼みはあえて「半分だけ引き受ける」ことにしています。

 

近場の送迎なら、片道だけは車で送っていき、帰りは自分で歩いてきてもらう。自分の荷物は(明らかに無理な重さのとき以外は)カートなどを駆使してなるべく任せる。食事の際の大皿からの取り分けなども、手の震えを理由に面倒がることが増えてきたので、難易度の高いメニューは引き受けつつ、なるべく自分でやってもらうようにしています。

 

身体面だけではなく、インターネットで調べ物をすることを頼まれたときなども、私が全部やってしまうのではなく(そのほうが数倍速いのですが…)、検索ワードの入力などを可能な限りやってもらうようにしています。

 

「いざというときに頼れる」という存在であり、でも「いつでも便利に使える」存在にはならないように…なるべく自分でできることを奪わないように。手助けにもさじ加減が必要になってきたな、と思う最近です。


文/甘木サカヱ イラスト/ホリナルミ