「服を着せてもすぐ脱いじゃうような、やんちゃな子だったみたいです(笑)」と笑顔で子ども時代のことを話す小芝風花さん。ドラマ『転職の魔王様』(カンテレ制作・フジテレビ系)では、多くの人に共感されるヒロイン・未谷千晴役を演じています。フィギュアスケート選手として励んだ時期や2度の手術、芸能活動のため競技を離れる決断をした理由など、お話を聞きました。
人見知りだけど活発だった子ども時代
── 小さい頃の小芝さんは、どんなお子さんでしたか?
小芝さん:自分では覚えていないですが、母の話では2歳くらいが一番やんちゃだったようです。タンクトップとパンツ一丁で、キックボードをワーッて漕ぎ回るとか(笑)。
小学校低学年のころは学校の休み時間、外で遊ぶよりお絵描きしたり、先生とおしゃべりしたりしていた記憶があります。中学年から高学年では、ドッジボールや鬼ごっことか、割と走り回って遊ぶのが好きで…。
中学生になっても、まだ大阪に住んでいたときは仲の良い4人で、学校の校舎全部を使った鬼ごっことかしていました(笑)。
── 過去のインタビューでは人見知りのイメージが強く、おとなしい感じを想像していましたが、かなり活発だったんですね。
小芝さん:活発だけど、人見知りは人見知りで…。仲良くなると、すごくしゃべります。でも最初はめっちゃ緊張してしまうし、そういうところは昔も今も変わらないです。
成長期の膝に負担がかかり2度の手術を経験
── 小学3年生から今の仕事を始めるまでの5年間、フィギュアスケートに打ち込んでいました。習得するのに苦労した技や、達成感が大きかった技は?
小芝さん:私はジャンプが好きで、ジャンプばっかり練習していたんです(笑)。ジャンプって達成感がわかりやすいし、「3回転が飛べるようになった!」とか、嬉しいからどんどん練習する感じでした。
でもスピンとかステップとか、もっとバランスよく練習すべきだったと思うし、「基礎をもっと丁寧に、しっかりやっておけばよかったな…」と、今ごろになって反省しています(笑)。
── 有望選手として練習に励むなか、オスグッド・シュラッター病(膝に痛みや腫れが出るなど、成長期に起こりやすいスポーツ障害)で手術を経験されたそうですね。
小芝さん:左右の膝両方で2回、手術しました。最初の手術では症状の重いほうの軟骨だけ取り、もう片方はドリルで穴をあけて出血させ、固める手術をして3週間の入院。でも結局もう片方も痛みが出て、そちらの軟骨も除去する形になって…。
主治医の先生から「成長期のものだから、何年かすれば痛みはなくなる。女の子だし、手術で傷つけないほうがいいのでは?」と言われましたが、私ちょっと頑固なところがあって(笑)。「今、練習したいんです。今、練習できないと意味がないから、手術してください」ってお願いしました。
とても優しい先生で、傷跡ができるだけ残らないように、すごくきれいに切って縫ってくださって、感謝しています。
周囲から「復帰は無理」と思われていた
── 手術自体もですが、リハビリもかなり大変です。
小芝さん:最初の手術で3週間入院したときはギプスで固定して、退院してからギプスを外したら脚がもうガリガリで、腕くらい細くなって…。「写真を撮っておけばよかった!」って今なら思うんですけど(笑)、そのときは母も衝撃が大きかったみたいです。
スケーターの脚は筋肉がすごいから、元はムキムキだったのがコンプレックスでもあったので、筋肉が落ちて細くなったのを「スタイルが良くなった~(笑)」って、能天気に笑っていました。でも写真を残さなかったのは、私もどこか、筋肉が一切削ぎ落ちて骨だけみたいな太さの脚に、びっくりして怖かったんだと思います。
── ケガでギプス経験があるので、筋肉が落ちてしまう感じはわかります。筋力が落ちて以前はできたことが、急にできなくなるジレンマもありましたよね?
小芝さん:スケートができる状態になり、手術後に初めてリンクへ行ったとき、私の脚を見たほかの練習生の親御さんから「たぶん復帰は無理だろうな…」と思われていたみたいで。それくらい、筋力がなくなっていました。
── そこからまた競技に復帰するレベルになるのは、相当な努力が必要だったと思います。
小芝さん:スケーティングから、徐々に徐々に回復する感じですね。同年代のライバルから取り残されたような感じで、一から上がっていかないといけない状況がすごく悔しくて…。けっこう負けず嫌いなので、頑張りました(笑)。
周りからは「無理だろう」と思われていたようですが、へこたれない性格だし、自分では割とすぐ元に戻って練習できるようになった印象です。
── 10年前に元フィギュアスケート選手役を演じた際、「2年前までできていたことができなくなっていて、ショックだった」という経験もされています。
小芝さん:あのときも、悔しかったですね。大人の身体に変わる時期で、滑っていても身体がすごく重くてスピードが出ないし、前みたいに身軽に飛べない。有望視されている選手の役なのに、現役の滑りができない。「こんなスケーティングを見られたくない」という恥ずかしさと、作品として残ることもあって必死でした。
共演した本田望結ちゃんは現役スケーターで、私は彼女に憧れられる存在の役。時間ができたらリンクに行き、できる限り練習して「やれるだけのことはやった」と思えるように努力しましたが、納得できるレベルには全然戻らなかったですね…。
徐々に芽生えた競技を離れる決断
── フィギュアスケートではバッジテスト7級。大きな競技会に出場し、オリンピックを目指すレベルです。芸能界入りという転機があっても、14歳で競技から離れる決断をするのは難しかったのでは?
小芝さん:スケート選手としての目標や、先生になりたいという夢もありました。オーディションに応募したのは本当に軽い気持ちで、最初はスケートを辞めるとは考えていなかったんです。
グランプリをいただいたのが11月で、事務所の会長に「12月には上京してほしい」と言われたときも、「わかりました。よろしくお願いします」という感じで(笑)。当時シングルとアイスダンスをやっていて、「シングルを続けるのは難しくても、アイスダンスは東京のコーチに習えるといいな」と思っていました。
── そこから引退を決断できた理由は?
小芝さん:上京して右も左もわからない状態で、とにかく言われた通りの時間に行ってお仕事をして。お芝居やダンスの練習が週6日くらい入っていました。スケートも毎日練習しないといけない競技で、どちらも片手間じゃできない。私は器用なタイプじゃないので、「ひとつに集中しないと厳しいな」と思ったんです。
でも一気に決断したというより、オーディションで審査が進むうち「たくさんの人のなかから、選んでいただいている」という気持ちが芽生えていました。目の前のことに精一杯の状態だけど、芸能界のお仕事に取り組むなかで少しずつ「この世界でやっていきたい」と、気持ちが固まった感じでしたね。
PROFILE 小芝風花さん
1997年大阪府出身。女優として映画やドラマ、バラエティなど幅広く活躍。7月より『転職の魔王様』(カンテレ制作・フジテレビ系)に未谷千晴役で出演。12月より放送のNHK BS時代劇『あきない世傳金と銀』で主演を務める。2024年には主演映画『レディ加賀』公開予定。
取材・文・撮影/鍬田美穂