深夜までオンラインゲーム、学校では寝るばかり。ゲームのやりすぎで突然の嘔吐や強烈な頭痛に襲われ…。「誰も助けてくれない」と絶望した16歳の三森みささんを救ったものとは(全2回中の1回)。

「死にたい」感情に襲われてゲームへ逃げていた

「深夜までオンラインゲームをして、学校ではずっと寝てました。なんとかしなきゃ!と気づきながら、それでもゲームやりたくて、自分ではどうしようもありませんでした」

 

三森さんは幼いころから宗教3世として信仰を強要され、父親から「お前はダメな子だ」「何をしてもダメだ」と虐待を受け、つねにおびえる日々を送ってきました。そして中1のとき、両親の別居がきっかけでパソコンゲームにのめりこみます。

 

「プレイそのものよりも、話し相手を求めてオンラインゲームのチャットにハマった感じです」

 

沖縄で大学生活を送った三森さん。友人たちとくつろぐが、飲酒はしない主義

別居後は、父親と弟との3人暮らしに。家庭環境のストレスから、カバンの開閉を何十回もたしかめるなどの強迫神経症の症状や不眠症、「死にたい」感情に襲われ、ゲーム内の人間関係に逃避したのです。

 

「ゲームをすると父は怒るけど、やめさせられはしません。私はある意味、放置されていました。当時、そこまで自分がおかしいとは感じませんでしたが、自力でゲームをやめることはできずに成績はみるみる低下。ゲームを削除しても、すぐにダウンロードして再開…」

 

ゲーム中は楽しくやっているつもりでも、「今日こそやめよう」「あぁ、またやめられなかった」と自己嫌悪を繰り返したそうです。

 

「授業中は寝ていたけど、学校には毎日ちゃんと行っていました。家にいるとおびえてばかりで、家から出たかったので」

突然のめまいや嘔吐…でも病院さえ行けなかった

三森さんは大好きな絵を勉強するために、高校は美術科に進学。「絵を描きたい」情熱により、ゲームからは少し距離を置けました。ところが、16歳の秋、食事中に突然、猛烈な嘔吐、めまい、頭痛に襲われます。

 

「トイレで吐きまくって…。ゲームをするたびに肩こりや頭痛、冷えに悩まされていたので、これは長年のゲームのやりすぎによる体調不良だな、と。あまりにもつらいから病院に行きたいと父に頼んでも『うちにはお金がないから』と、行かせてもらえませんでした」

 

このときの苦しさが、三森さんがゲームを断ち切る“底つき体験”となりました。

 

「自分のやったことは自分に返ってくる。誰も助けてくれないし、自分ひとりでなんとかするしかない」

 

病院に行きたい三森さんは、かねてから別居中の母親を頼って通院させてもらいました。しかし、そのとき、より大きなショックを受けることに…。

 

「母がほんとに嬉しそうに『やっと離婚できた!良かったー!』って言うんですよ。そのとき初めて、離婚したと知ったのでショックでした。女友だち相手みたいに、父のグチをたくさん私に聞かせて…」

 

すると、三森さんの精神状態はさらに悪化。ゲーム依存症からは抜け出しましたが、今度はネット掲示板依存へと移行しました。

 

『だらしない夫じゃなくて依存症でした』(三森みさ作)
『だらしない夫じゃなくて依存症でした』(三森みさ作)より

「匿名で思う存分、発言してうさ晴らしをして、ネット仲間と盛り上がるのが唯一の息抜きに。それでも、中学時代ほど深刻な依存には陥りませんでした。高校の同級生の約4分の1がシングル家庭だったり、摂食障害などメンタルに症状を持つ生徒もたくさんいて、劣等感や孤独を感じずにすんだからです」

 

絵というやりたいことを見つけ、日々の課題に忙しく取り組む環境にいたため、現実逃避する時間はなかったといいます。高校卒業後、三森さんは「苦しさしかない家から遠く離れたい」と、奨学金を得て沖縄の大学に進学。そして、絵に集中するために、大学のパソコン以外は6年半ネットを断ち切りました。

味噌汁を飲み続けて「塩分依存」にも

ストレスの元凶だった実家からは離れましたが、ひとりの時間が長くなるにつれ自分のこれまでを考える時間が増え、過去の苦しみを思い出し、うつ症状が出始めます。そして、買い物、塩分、恋人などへの依存症状があらわれます。

 

「何かに依存するたびに没頭してしまう、依存だと気づいていてもやめられない。目の前の現実から逃れた後に深い落ちこみが来ました」

 

あまり聞き覚えのない“塩分依存”という言葉ですが、過剰な塩分摂取を続けるうちに生活習慣病や腎臓病を招く恐れがあると指摘されています。三森さんの場合、塩を飲むかのような高塩分濃度の味噌汁を作って飲み続けているうちに、腎ネフローゼにかかり数か月入院しました。これでも、本人いわく“ゲームに比べれば軽めの依存”。

 

「大好きな絵のため、そしてひとりで生きていく覚悟をしていたので、なんとか深みにハマらずにすみました。それに依存経験が豊富なため(笑)、依存状態のときは徐々に自覚できるようになり、自制心も人一倍つきました」

 

依存症になるリスクを高めるものは一般的に、ストレスや困難の多い環境、依存対象と出合う年齢、遺伝子的なかかりやすさ、依存物質を入手しやすい社会の仕組みなどさまざまな問題が関係しています。三森さんの場合は、親子関係がきっかけでした。

 

「父親から、お前はダメな子だと言われ続けたのが忘れられなくて、何をしていても“自分はダメ”という考えにとらわれて、苦しかったです」

教授のひと言で号泣「自分のために生きよう」

宗教三世として育った過去も、三森さんの人格形成に影響を及ぼしました。宗教自体は悪くないとわかっていても、“他人への奉仕”“自己犠牲”を父から強要され、つねに他人の顔色をうかがって生きてきたそうです。

 

そんな三森さんの生き方を変えたのは、「他人がどう言おうと、自分は自分でいいと自信を持ちなさい。他人のためでなく自分のやりたいことをやりなさい」と話してくれた教授の言葉。

 

「教授は作品の話をしていたけれど、私には生き方そのものに聞こえて。本当は両親から聞きたかった言葉です。母が出て行った日から抑えていた感情が爆発して、人前で大号泣しました」

 

この日を境に、自分のために生きる決意をした三森さん。飲食店で働きながら、夢だったイラストやデザインの仕事を増やすことに。二度と経験したくない依存症経験が誰かの役に立てばと、この依存・離脱の体験をSNSで発信したところ、予想以上の反響があり、後に依存啓発漫画を描くきっかけとなりました。

 

PROFILE 三森みささん

イラストレーター、デザイナー、漫画家。1992年生まれ、関西出身。高校で美術・デザインを、大学で染色を学ぶ。厚労省監修の依存症啓発漫画『だらしない夫じゃなくて依存症でした』(ウェブ上で12話中8話まで無料公開)や『母のお酒をやめさせたい』を出版。依存症啓発・予防講演会も実施。

 

取材・文/岡本聡子 画像・写真提供/三森みさ