「囲碁ほど老若男女平等な世界はない」そう話す棋士・小林泉美さん。生後間もない次女の発育を優先し、囲碁から離れる決意をした日について話してくれました。
最大12時間ぶっ通しで勝負することも
── 17歳でプロの囲碁棋士としてデビューされ、今年で28年目。プロ棋士の日常とは、どんな感じなのでしょう。
小林さん:対局があるかないかで違ってきますが、今年に入ってから5月末までは、週に1~2回のペースで対局がありました。トーナメントなので、成績がよければ対戦数が増えていきますが、負け続けると数か月なにもなくなったりするので、精神的には厳しいものがあります。
対局の種類にもよりますが、朝10時に開始し、終わるのがだいたい夜の6時くらい。持ち時間は1人3時間で、使い終わった後も1分の秒読みがつくので、1局につき最大8時間かかります。休憩はなく、ほぼぶっ通しです。
持ち時間が5時間の対局のときはもっと長くて、朝10時から夜の10時までかかることも。この場合の休憩時間はお昼の30分だけです。
── かなりハードな世界ですね。その間、食事はどうされているのですか?よく、将棋では「勝負めし」として食べたものが紹介され、話題になりますが…。
小林さん:昨年から囲碁AIの不正使用防止のため、対局中は外出禁止になり休憩時間もなくなりました。食事部屋はありますが、自分の持ち時間を使うことになるので、本当にパッと食べて戻るという感じで、味わう余裕はないですね。
タイトル戦やリーグ戦などの対局以外では、休みなく最後まで打ちきります。長時間、ずっと集中しなくてはいけないので、かなり体力を消耗し、終わった後は体重が1~2kg減ったりします。
── 対局がない日は、どのように過ごしていますか?
小林さん:囲碁の勉強をしている時間は長いです。棋士同士の研究会に参加したり、今だと、インターネットでの練習対局や、囲碁AIを使って研究するなど在宅でも勉強できるので、子育てと両立しやすくなりました。
ただ、トーナメントだけで食べていける棋士は、ほんのひと握りなので、囲碁教室で教えたり、大学で講義をするなど、2足3足のわらじを履きながら活動している方がほとんどです。
私の場合は、夫(囲碁界初の5冠達成で7大タイトル獲得している張栩九段)が多忙なので、結婚後は彼のサポートをしてスケジュール管理など、マネージャー的な仕事も担うようになりました。
「男性社会じゃない」囲碁は実力勝負
── 囲碁界は、女性が少なく、男性社会というイメージがありますが、大変なことはありますか?
小林さん:私の所属している日本棋院の場合だと、約350人のプロ棋士のうち、女性は2割弱くらい。30年前は1割弱でしたから少しずつ増えています。女性が少ないので、男性社会というイメージが強いかもしれませんが、実は、囲碁の世界は、女性が活躍できる機会がすごく多いんですよ。
── といいますと…。
小林さん:今、男女混合の一般棋戦は9つありますが、それ以外に女性限定の棋戦が5つあるので、男性よりも対局の機会が多いんです。それに加えて、若手限定やシニア棋戦、国際棋戦などいろんなジャンルがあり、囲碁界でいちばん忙しくなる可能性があるのは、若い女性の棋士です。実際、昨年、最多対局と最多勝利をしたのは女性でしたし、若手限定の男女混合のトーナメントで女性が優勝したことは何度もあります。
── 女性が活躍できる機会が多いうえ、勝負の世界だから対等なのですね。
小林さん:まったく対等ですね。ジェンダー的な視点でいえば、囲碁の世界ほど、老若男女が平等な競技はないと思っています。
次女がミルクを拒否するように
── ただ、長時間にわたり集中力が問われるため、女性の場合、体の問題でコントロールが難しい場面もありそうです。
小林さん:そうですね。さすがに妊娠中は眠気に勝てず、対局中に寝てしまったこともありましたし、乳腺炎などのトラブルは何度も経験しています。
── よく「妊娠中は勘が鋭くなった」という話も聞きますが、小林さんはどうでしたか?
小林さん:どうなのでしょうね(笑)。ただ、周りを見ると、私の時代では妊娠中にタイトルを取っていた先輩棋士がたくさんいました。実際、私も最後のタイトルを獲ったのは、妊娠中でしたね。だから、そうしたジンクスは、あながち間違ってはいないのかも(笑)。
── 出産後は、どれくらい育休をとられたのですか?
小林さん:長女のときは、どうしても出場したいトーナメントがあったので、産後1か月半で復帰したのですが、次女のときは、4か月で一度復帰したものの、結局、7か月目に休業届けを出して育休に入りました。
── やはり育児との両立が大変だったのでしょうか。
小林さん:実は、私が仕事で外出している間、次女がミルクを拒否するようになり、体重が増えなくなってしまったんです。このままだと子どもの発育に影響してしまう。この子にとってママである私の代わりはいないのだから、今は育児に向き合うときなんだと痛感しました。休業届を出した日は、半日くらいずっと涙が止まらなくて、そんな自分に驚きました。
── 驚いたというのは…?
小林さん:いざ囲碁から離れると決意した途端、想像していた以上に、つらく寂しい気持ちが押し寄せてきたんです。ああ、私ってこんなに囲碁が好きだったんだなと、あらためて思い知りました。子どもの頃から当たり前のように囲碁のある生活を送ってきたので、その大切さに気づかなかったんですね。
── 休んでいる間、不安はなかったですか?
小林さん:次女が幼稚園に入るまで、結局3年ほど休みましたが、不安はありました。休んでいる間に有望な若手がどんどん台頭してくる。つねに勉強していないと取り残されてしまう世界ですが、2人の子どもの育児に追われ、寝不足で学ぶ意欲も低下するし、とても勉強できるような環境ではありませんでした。
復帰して打つことはできるけれど、勝てるかどうかは別問題。勝負の場から長く離れてしまうことで勘も鈍ってしまう。焦る気持ちがないと言えば噓になりますが、ひとまず育児に集中しました。不安に思う暇もないくらい日々に追われていましたし。
── 周りのサポートを得ることが難しい環境だったのでしょうか。
小林さん:子どもが小さい頃は、ちょうど夫が大事なタイトル戦ですごく忙しい時期でしたし、私も彼には対局に専念してもらいたかったので、家ではワンオペ状態でした。実母は亡くなっているので親のサポートは得られませんでしたが、夫が「外部のサービスにどんどん頼ったほうがいい」と言ってくれたので、積極的に活用し、なんとか乗りきることができました。
正直、復帰するイメージが沸かず、このまま棋士を辞めることも頭をよぎりましたが、夫に「また打ってみたら?」と背中を押されて戻ってくることができました。
復帰後しばらくは全く勝てず落ち込みましたが、少しずつ勉強を積み重ね、一昨年には七段昇段、今年は通算500勝を達成することができました。
子育て中はいつ終わるのかと途方にくれましたが、過ぎてみると短くも感じます。現在は夫と娘たちが家事も協力してくれるようになったので、逆に助けられています。おかげさまで娘たちも棋士になることができましたし、仕事を離れて密に育児に関わったことに後悔はなく、心から良かったと思っています。
PROFILE 小林泉美さん
1977年生まれ、東京都出身。日本棋院東京本院所属。院生になると同時に父親である小林光一名誉棋聖に入門。女流タイトル獲得10回。夫の張 栩さんは囲碁棋士九段、史上初の五冠同時獲得者。長女の張 心澄初段、次女の張 心治初段と、家族4人ともプロ棋士一家。著書に絵本『いごってなあに?』(ぶんしん出版)。
取材・文/西尾英子 写真提供/小林泉美