祖父、両親がプロ棋士という家庭に育った小林泉美さん。自身も棋士であり、2人の娘も14歳と12歳でプロ入りし話題になっています。囲碁一家の子育てについて聞きました。

天才赤ちゃんから碁会所に入り浸る幼稚園児へ

── お祖父さまは木谷實九段、お父さま小林光一名誉三冠、お母さまは小林禮子七段と、プロ棋士の家系です。やはり子どもの頃から囲碁の英才教育を受けてきたのでしょうか?

 

小林さん:いえ、まったく(笑)。両親に「囲碁をやりなさい」といわれたことは一度もないんです。ただ、やはり暮らしの中に囲碁が自然にありましたから、「気がついたらいつのまにか打っていた」感じです。両親いわく、1歳の誕生日の前には、意思を持って基本のルールを理解していたとか。

 

── 漫画に出てきそうな天才赤ちゃんですね(笑)。

 

小林さん:母は囲碁をやらせたかったみたいですけど、父は反対したそうです。夫婦とも棋士で、子どもまで囲碁を始めたら家でリラックスできないと思ったのでしょうね。ただ、母も最初のルールこそ教えてくれましたが、あとは完全に放任だったので、幼稚園の頃から「碁会所」(地域の人が囲碁を楽しむ場)に入り浸り、近所のおじさんたちと囲碁を打つ子どもでした。

 

父と碁盤に向かう1歳の小林さん

── どんな子ども時代でしたか?

 

小林さん:モノづくりと本が大好きで、紙芝居や着せかえ人形などを自分で作って遊んでいました。小学校時代は、放課後はいつも碁会所へ行き、友達と遊んだ経験はほとんどないんです。別に強要されたわけではなく、とにかく囲碁が楽しかったんです。

 

でも、5年生くらいの頃、「みんなは放課後、何をやって遊んでいるんだろう」と気になりだして。囲碁以外のこともやってみたいと思うようになり、母に気持ちを伝えたら、「囲碁をやめるのはいいけれど、中途半端なままだと後悔が残るから何かをやり遂げてからにしたら?」と言われ、1か月後の都大会にエントリー。そこで優勝してからは、これが自分の道だと心が決まり、囲碁ひと筋になりました。6年生の2月にプロの養成機関である「院生」に入門し、同時に父の門下生になりました。

「全員中卒」我が家は超低学歴一家

── 中学卒業後は、高校に進学せず、囲碁の道に進まれました。

 

小林さん:私立の中高一貫校に通っていたので、エスカレーター式で高校に行くこともできたのですが、プロを目指すならできるだけ早いほうがいいと思いました。棋士のプロ試験の年齢制限は23歳までですが、院生でいられるのは17歳まで。限られた自分の時間とエネルギーを囲碁に「全振り」したかったので、そこに迷いはなかったですし、両親もまったく反対しませんでしたね。

 

── プロ棋士になられた長女の張心澄(ちょうこすみ)さんも、高校進学を選択されず、プロの道を進まれています。親として迷いはなかったですか?

 

小林さん:私の時代と違い、今プロ棋士を目指す娘と同世代の子たちは、学歴も身につけるようになっています。通信制高校を選択したり、大学に行ったり。だから、思うところがなかったわけではありません。でも、娘の行きたい道を応援しようと決めていたので、彼女の意思を尊重しました。

 

わが家は、現役中学生の次女以外は、全員中卒という、いまどき珍しい「超低学歴一家」です。ただ、厳しい囲碁の試験や目の前の対戦に向けて、つねに研鑽しつづけ、心身を鍛えてきたという自負はあります。ですから、この先、もしも娘が大学に行きたいと思ったら、そのときに頑張ればいい。囲碁で鍛え抜いた集中力があれば、どうにでもなるだろうと信じています。

 

正月は家族で小林さんの実家へ。祝宴もそこそこに囲碁がはじまる

「ストップウォッチ片手に」棋士夫婦の子育て

── 囲碁は、思考力や集中力が養われそうですね。

 

小林さん:囲碁は、ロジカルな思考と直感的な思考を同時に働かせるので、脳が鍛えられると思います。重要なのは、「先を読む力」です。対戦相手の打つ手から思考を読み取り、先の展開を予測します。心理面も想像しながら、勝つために相手が一番嫌がることをやるのが戦術です。

 

このとき大切なのは「相手の立場になって考える」ことで、これは日常生活にも役立ちます。囲碁のように相手が嫌がることをやると人間関係が崩壊しますが(笑)、いい方向に活かして、「これをしたら喜んでくれるだろうな」と思うことをする。相手の喜ぶ顔を想像するのがすごく好きですね。

 

相手の気持ちを想像する習慣があれば、感情的なケンカにはなりづらいし、自分のこともコントロールしやすくなる気がします。

 

── どんな子育てをされていましたか?

 

小林さん:私はモノづくりが好きで、おもちゃを作るのも好きなのですが、それで遊ぶのはあんまり得意じゃないんです。だから、娘のおままごとは見守るだけで参加はしませんでした。でも、読書が大好きなので、毎週図書館へ行ってたくさん本を借りては、ひたすら読み聞かせをしました。娘たちも集中力が養われ、3歳までにそれぞれ2000冊くらい読みました。おかげで、今でも娘たちは活字が大好きです。

 

夫は頭を使うことが大好きなので、子どもと遊ぶときはストップウォッチ片手にジグソーパズルをしたり、トランプをひたすら記憶したり。私は、早々にリタイアしましたが、子どもたちはどんどんついていくからすごいなあ、と。子育てにおいて親自身が楽しむことが、夫婦に共通しているところかもしれません。

 

長女が1歳半の頃「お金の概念を教えたい」と夫に言われ小林さんが自作したお買い物カード 「実際使い出したのは3歳過ぎ。夫は先を読むのが習慣になっているので、育児はちょっぴりフライング気味でした」と小林さん

夫と出会って深まる囲碁への思い

── 昨年、次女の張心治(ちょうこはる)さんが12歳で当時現役最年少の棋士になり、姉の心澄さんに次いで、プロになりました。家族全員プロ棋士の日常はどんな感じなのでしょう?

 

小林さん:みんなでワイワイ言いながらリビングで囲碁を打つ時間が楽しいですね。囲碁では、圧倒的にパパが実力者で尊敬しているので、みんなでパパに囲碁を教わっています。夫と娘たちは師匠と弟子という関係ではありますが、家族単位では「囲碁を研鑽する仲間」という感覚が強いです。

 

結婚前は、「囲碁は、人間性を磨くもので厳しくもやりがいのあるもの。一生かけて行う修行」といった神聖なイメージがあったのですが、夫と結婚してからは、「もっと自由に楽しんでいいんだ!」と思えるようになりました。もちろん試合では真剣勝負ですが、苦しむ必要はない。大切な囲碁がますます大好きになり、夫には感謝しています。

 

2022年秋、家族で六義園を散歩したときの1枚

── 今後、どんなふうに囲碁と向き合っていきたいですか?

 

小林さん:子どもたちはまだ10代ですが、2人ともプロ棋士として社会人になったので、私のなかでは子育ては終了した気持ちでいます。今後は、囲碁の楽しさをたくさんの人に知っていただき、囲碁界を盛り上げるために尽力していきたいです。それは、囲碁4代家系の私だからこそできることであり、使命だとも思っています。

 

そうした思いから、『いごってなあに?』という絵本を出版したり、昨年の夏からは大好きなシルバニアファミリーをアレンジした「イゴマニアファミリー」を作ってわが家の様子を再現し、SNSで発信したりしています。いろんな角度から囲碁の魅力を伝えていきたいですね。

 

PROFILE 小林泉美さん

1977年生まれ、東京都出身。日本棋院東京本院所属。院生になると同時に父親である小林光一名誉棋聖に入門。女流タイトル10回獲得。夫の張栩さんは囲碁棋士九段、史上初の五冠同時獲得者。長女の張心澄初段、次女の張心治初段と、家族4人ともプロ棋士一家。著書に絵本『いごってなあに?』(ぶんしん出版)。

 

取材・文/西尾英子 写真提供/小林泉美