「情報番組って、これでいいのかな」。とある挫折を機に生じたテレビメディアへの疑問。昨年末にTBSを退社、スタートアップに転職した国山ハセンさんに真意を聞きました。(全5回中の1回)

 

国山ハセンさん

TBS時代に感じた「もっとやれる」という“モヤモヤ”

── 昨年12月にTBSを退職、映像メディア「PIVOT」に転職されたのには驚きました。いつごろ退職しようと思ったのですか?

 

国山さん:「辞めよう」と思ったのは昨年6月、上司に伝えたのはその翌月です。

 

当時(キャスターを務めていた)「news23」を今後どうブラッシュアップしていこうか考えているときで、ネットメディアにも関心があったので、当時「NewsPicks」に出向していた今の同僚にダイレクトメッセージを送って話を聞きにいきました。その後、その人が「PIVOT」に移るというのでオフィスに遊びに行ったんです。

 

当時はまだオフィス移転前の、ヴィンテージマンションの一室でした。いろいろなところからメンバーが集まって、一緒に新しいメディアを立ち上げようとしているのを目の当たりにしたときに「自分に合っているんじゃないか」という直感がありました。

 

国山ハセンさん
退職が決まりサブキャスターを務めた「news23」を卒業した国山さん(写真提供/本人)

── どういうところが自分に合っているな、と?

 

国山さん:スタートアップならではのアグレッシブな感じ、というか。ゼロから1をつくっていく感覚が味わえるな、と。会社のメンバーがふえたり、売り上げが上がったりといった、組織としての成長を目の前で見られるのも決め手のひとつですね。

 

元々僕は「組織は同じ方向を向いていたい」という思いが強いんです。大企業も善し悪しがあるので、TBSはその点、モヤモヤした感覚があったんですけど、そういう思いも払拭してくれるくらいのエネルギーを「PIVOT」に感じたので、決心できました。

 

国山ハセンさん
テレビ制作のあり方に対して「モヤモヤを感じていた」と語る国山さん

── どんなモヤモヤを感じていたのですか?

 

国山さん:ターニングポイントはいくつかあるんですが、僕は元々、MCや番組の司会をするのを目標にしていたんです。結果、それができた番組もあったんですが、だんだん見える景色が変わらなくなってしまって。

 

取材をして自分の言葉で伝えるのにはやりがいも感じていましたし、スタジオで番組を回すのも楽しいんですけど「本当にここじゃないとできないのかな」と。

 

番組制作に携わる人数が多すぎると「誰に向けて、何を届けるのか」ということがクリアじゃなくなってきてしまって。やりたいことの一部は確かに実現できていたけれど「自分はもっとやれるのに」というモヤモヤが解消されませんでした。

「同じようなことを、繰り返し伝える意義って何だろう」

── MCを務めた朝の情報番組「グッとラック!」が1年半で終了したことも大きかったのでしょうか?

 

国山さん:大きかったです。「グッとラック!」のMCは、目標にしていたポジションでもありました。番組も当然もっと続けたかったという想いがあったので、番組が終了したときは、一度退社を考えたタイミングでもありました。

 

国山ハセンさん
情報番組「グッとラック!」は2019年9月から2021年3月まで放送。立川志らくさんとともにMCを務めました(写真提供/本人)

── 目標にしていたMCポジションをつかんだけれど、思い描いていたのと違った、ということでしょうか?

 

国山さん:そうですね。あとは「テレビ局という組織の大きさが自分には合わないんじゃないか」と感じたタイミングでもありました。もう少し広い意味でいうと「メディアや情報番組ってこれでいいのかな」という思いもありましたね。

 

── 情報番組は、今各局で模索が続いていますよね。具体的には、どのような点で「これでいいのかな」と思われたのでしょうか。

 

国山さん:「グッとラック!」は、番組立ち上げ当初、企画や出演者が短期間で変わるような状態が続いていました。その矢先にコロナ禍に入り、仕方ない部分もありますが、今度はコロナのニュースを中心に放送するようになりました。「同じような情報を、延々繰り返し伝えることの意義って何だろう」と。

 

あと、言い方は悪いですが、時にはワイドショー特有の煽るような伝え方をするのにも違和感がありました。それを結局、自分が最後はアナウンサーとして伝えないといけない、という。

 

── 自分の意志とは違うことを言わないといけないこともあったんでしょうか?

 

国山さん:それもありましたね。今でも覚えていますが、当時、医療従事者に対して感謝を示すことはとても大切だったと思うんです。当然、その必要性は理解しているんですが、それをパフォーマンス的に求められたことがあって。

 

そういう点は、演出に相談することもありました。

 

国山ハセンさん
ターニングポイントとなった出来事について率直な言葉で語ってくれた

メディア内のメディアリテラシーに対する疑問

── そうだったんですね。

 

国山さん:コロナ禍は未曾有の事態だったので、伝え方に正解はないと思うんです。ただ「メディアの中にいる人間のメディアリテラシーって、これでいいのかな」というのは、ずっと考えていることでもあります。それは入社5~6年目からですね。

 

アナウンサーは1つの番組が終わると、時にはレギュラー番組がなくなり宙ぶらりんな状況になることもあります。次の番組が決まるかどうかは会社次第。僕にとっては評価基準がはっきりしないと感じることもありました。スタートアップのほうが合っているなと感じたのは、自分が成果を出した分だけ評価される点。評価がクリアなほうが、僕には合っていると感じたんですね。

 

自分の働き方やキャリアに関して考えるなかで「今変わらないと、ネガティブな感情しか生まれないな」と。悩み続けた結果、いい出会いがあり転職を決断できました。

 

── メディア関係者のメディアリテラシーに対しては、今世間の厳しい目が注がれていますね。

 

国山さん:そうですね。個々のスタッフと話していると「同じ方向を向いているな」と感じることもあるんです。ただ、どうしても組織になると「これは誰が決めているんだろう」「これは誰に向けて放送しているんだろう」ということが多くて。

 

メディアは今あり方を問われていると思いますし、視聴者の目も厳しい。世間とのズレを感じる部分はありました。

 

内部から組織を変えたいと動いている先輩もいたし、そういうやり方もあると思うんです。ただ僕は、自分が外に出る姿を示すことで、メディア全体が盛り上げられたらいいな、と思いました。

 

国山ハセンさん
2018年、平昌オリンピック取材中のひとコマ

── アナウンサーのテレビ局退職後のキャリアは多様化していますね。参考にした人はいたのでしょうか?

 

国山さん:実はまったくなくて。むしろ別のロールモデルを作りたいと、違うポジションを取りにいった感はあります。事務所に入らずスタートアップにいく人は多くなかったし、作り手に軸足を寄せる前例はまだそんなにないかなと思って。

 

芸能事務所に入って芸能人として生きていくという、モデルケースはあると思うんです。ただ、今のメディアやテレビのトレンドを見ると、フリーアナウンサーとして活躍するには年齢の問題や壁があるかなと。でも、芸能事務所に行ってテレビに出るなら、局のアナウンサーのままでもいい。自分は芸能人としてずっとキャリアを歩みたいかと考えると、しっくりきませんでした。

 

フリーになることで金銭的なインセンティブがあるならいいですが、その確証もない。今はアナウンサーのスキルやコミュニケーション能力、培ってきたネットワークが、他の組織で活かせるようになってきていると思います。そういう意味で、アナウンサーのキャリアが多様化していることは、僕はポジティブにとらえています。

男性アナは「40歳前後じゃないとフリーにならない」

── 年齢の問題というのは?

 

国山さん:男性アナウンサーの動向を考えると、比較的40歳前後の方がフリーになる傾向があるかなと。男性フリーアナは、安定感がある「お茶の間の人気者」みたいな人が求められるので。まだ自分が未熟なのがいけないわけですが年功序列的に「それまで待たないといけないのかな」と。一方でフリーになって、朝の情報番組MCを勝ち取ったとして、それで何か景色が変わるのかと考えたら「それは1回やったしな」という思いも正直ありましたね。

 

冠番組があったら楽しいでしょうしやりがいもありますが、それは「PIVOT」でも出来るわけで、そこに固執しなくなった、というのはあるかもしれないです。

 

メディアが多様化して、働き方も多様化している。誰かの評価ではなく「自分がやりたいようにやって生きよう」と思えたことが、キャリア形成においてはよかったなと思っています。

 

PROFILE 国山ハセンさん

プロデューサー・タレント。1991年生まれ。2013年TBSにアナウンサーとして入社。「アッコにおまかせ!」「news23」などで活躍。2023年1月から映像メディア「PIVOT」に参画。

 

取材・文/市岡ひかり 撮影/植田真紗美