高齢者の趣味も、時代が移り変わるにつれ、どんどんバリエーションが豊かになっています。わが家の最年長高齢者、義父の趣味はちょっと困ったもので…。

 

喉越しも風味もよい義父の蕎麦

80代後半の高齢者である義父は、もともと若い頃から多趣味な人です。エレクトーンを弾いたり家庭菜園で野菜を作ったりダーツに熱中したり…。

 

そんなたくさんある趣味のなかでも特に熱心なのが、蕎麦打ちです。地域の高齢男性が集まる蕎麦打ちサークルに参加し、立派な蕎麦打ちの道具一式も購入。農家さんから直接蕎麦粉を買いつけて、毎回汗だくになりながら家族6人分の蕎麦を打ってくれます。

 

それだけならありがたい趣味なのですが…頻繁に食卓に手打ちの蕎麦がやってくることにより、なんとも困った事態が起こるのです。

 

決して、義父の蕎麦がまずいわけではありません。習い始めの数か月こそ、麺がうどんのように太かったり、ぶつぶつと短く切れてしまうこともありましたが、義父の蕎麦打ち歴もはや数年。ここのところはすっかり腕前を上げて、喉越しと風味のよい立派な蕎麦を打ってくれるようになっています。

 

お客様が来たり、義兄が帰省で帰ってきたりすると、義父の蕎麦打ちはもはや恒例です。「今日の夜はお蕎麦打つからね!」と胸を張って宣言します。

蕎麦を食卓に並べるまでの嫁の重労働

では、何が問題なのかというと…義父の蕎麦打ちは、蕎麦を打ち終わったところで完了してしまうのです。確かに高齢者にとって重労働なのはわかるのですが、打ち粉たっぷりの生蕎麦を「はい!あとはよろしく!」と渡されるのは夕飯担当である私。つまり、打ち上がった蕎麦をゆでるのは、私の仕事なのです。

 

麺をゆでるだけなら簡単だと思われるかもしれませんが、打ち立ての蕎麦というのはデリケート。乾麺ならば6人分いっぺんにゆで上げることができますが、手打ちの蕎麦はそう簡単にはいきません。

 

まずは大鍋にたっぷりの湯を沸かして、沸騰したら蕎麦を一把、慎重にほぐして入れます。再度沸騰したらそこから1分半タイマーで計り、ゆで上がった蕎麦はまず手ざるで湯ぎりし、ボウルに入れた冷水であら熱をとり、さらに素早く別の氷水に浸けてよくもみ、キュッと締めます。そこから盆ざるに盛りつけてやっと一人前未満。この作業を10回ほど繰り返します。蕎麦粉を吸ったゆで汁は粘度を増し、油断するとすぐに吹きこぼれてコンロ周りは大惨事。片時たりとも目をはなすことはできません。夏場などは汗だくの重労働です。

 

さらに、いくら美味しい手打ち蕎麦といっても、それ単品では夕飯のメニューには物たりません。わが家ではなんとなく、義父が蕎麦を打つときは、天ぷらを必ず添える決まりとなっています。

 

しかし…料理をする方なら分かっていただけると思うのですが、天ぷらを揚げるのって、非常に面倒なのです。何種類もの具材を揃えて下処理をして新しい油を用意して…決して自分から進んで作りたいメニューではありません。

 

スーパーの総菜コーナーで買ってくることも多いのですが、それだってわざわざ当日に買い物に出なければなりませんし、人数分の天ぷらを買い揃えるとなるとけっこうな出費です。

義父への不満はグッと堪えて

そうやって、普段の夕食と変わらない、いやむしろ、よほど面倒な手順を経てようやく食卓に並ぶ義父の手打ち蕎麦。

 

そして何より納得がいかないのが、食卓での義父の「私の今日の蕎麦、どう?」という態度です。

 

いや確かにあなたの打ったお蕎麦ですよ?でもそれを手間をかけてゆでて冷水で〆て天ぷらまで用意したのは私ですが?胸を張るなら最後までご自分で担当してほしいんですが?

 

…そう言いたいのは山々なのですが、毎回グッとこらえています。高齢の義父にそこまで要求するのはさすがに酷でもありますし、私が不満を表明したことで、義父がせっかくの趣味を楽しめなくなってしまうのも本意ではありません。

 

「今日のお蕎麦もすごく美味しい」という家族からの言葉に嬉しそうにしている義父。生きがいになっているのなら、たまに手間をかけさせられるくらいは我慢しようか…でもできれば蕎麦打ちの頻度は減らしてほしい…そう願う私は、冷蔵庫の野菜室の中でいつも存在感を主張している数キロの蕎麦粉を眺め、ため息をつくのでした。

 

文/甘木サカヱ イラスト/ホリナルミ