超人気番組「いないいないばあっ!」のワンワン役として、子どもたちに親しまれているチョーさん。教員志望だった人見知りの青年が長寿番組に出演するまでの日々について聞きました。

 

目力がすごい!24歳ころの男前なチョーさん

教員試験に落ちて開けてしまった役者の道

── チョーさんは学生時代、教員志望だったそうですね。

 

チョーさん:人見知りで積極的に人前に出るタイプではなかったんです。だから、自分がテレビに出演するようになるなんて想像もしていませんでしたね。それが大学入学時に、勧誘されるがまま落語研究会に入部しました。落語のことは何も知らなかったのですが、表現するのは楽しいんだなと初めて思いました。

 

── 落語がきっかけに人前で何かをする楽しさを発見したのですか?

 

チョーさん:そうなんです。自分が高座でリアクションするたびに、お客さんが喜んでくださるのにワクワクしました。そのころ、世間では演劇研究所ブームで。演劇研究所とは、劇団が若者にお芝居の基礎を教える養成所のことです。「文学座」出身の中村雅俊さんや松田優作さんなど、各研究所の若い俳優さんがテレビに出演されるようになりました。

 

それまでテレビや映画の世界は“選ばれた人だけ”が出演できる、手の届かない場所だったんです。それが研究所に入って演劇の勉強をすると、運が良ければふつうの若者でもその世界に行ける可能性が生まれました。

 

じつは大学4年生の夏、僕は埼玉県の教員採用試験に落ちてしまいました。翌年、再受験するつもりでしたが、次の試験まで1年間あります。時間ができたから何かしようと考えていると、青年座の研究所が誰でも受講できる夜間講座を開いていることを知りました。

 

落語研究会の夏合宿の様子。まだあどけなさが残る大学1年生の頃

大学卒業までの間、軽い気持ちで通ってみたら演劇にめざめて。卒業後は文学座の研究所を受験してみることに。でも夜間講座とは異なり、数千人がオーディションに殺到し、合格するのは数十人です。だから、そこでダメだったら演劇はあきらめるつもりでしたが、運よく受かったんです。もう後には引けないと、教員試験はせずに、演劇の道に進もうと決めました。

人気番組「たんけんぼくのまち」出演も無名で

── まさに人生の転機ですね。そこから「たんけんぼくのまち」に出演するようになったきっかけを教えてください。

 

チョーさん:文学座の研究所を修了後、青年座の研究所も修了し、自分たちで小劇団を立ち上げました 。そのころ、青年座から「“天空の城ラピュタ”のドーラ役を演じた、女優の初井言榮さんの付き人兼運転手をしてほしい」と声をかけられたんです。

 

青年座研究所実習科時代「グスコーブドリの伝記」で宮沢賢治役を演じた23歳頃のチョーさん

毎日のように初井さんとご一緒していると、あちこちで顔見知りができます。それが縁で「今度NHKで子ども向けの社会科の番組オーディションがあるから受けたらどう?」と誘ってくれた方がいました。それが「たんけんぼくのまち」だったんです。オーディションを受けたら合格し、出演することに。26歳のときでした。

 

──「たんけんぼくのまち」のチョーさんの誕生ですね。チョーさんは子どもたちに大人気でした。ご自分で人気を実感されることはありましたか?

 

チョーさん:それがいっさいなかったんです。誰かに声をかけられることもなく、「人気ありますね」と言われた記憶もないですね。当時はSNSもなかったから、自分で発信することもありません。番組が始まってから数年経ち、雑誌の取材を受ける機会がだんだん増えるようになったとき、「子どもたちに人気なんだ」と、うっすら感じた程度です。

 

最近になって、当時番組を観ていた方が大人になり、「子どものころ、大好きでした」と言ってくださるから、当時の人気を実感するようになりました。

 

「たんけんぼくのまち」をしていた30代の頃

──「たんけんぼくのまち」は8年も続いた人気番組でしたね。

 

チョーさん:番組が始まって3~4年経ったときに、「やめたい」と言ったことがあるんです。もともとは俳優志望だったので、同じ番組を長く続け、特定のイメージがついてしまうのが心配で。ただ、引き留められて、結局、番組が終了するまで続けました。僕は34歳になっていました。その後は、ずっと志望していた俳優の道を歩もうと思ったんです。

 

── 番組終了後は、どんなお仕事をされたのでしょうか?

 

チョーさん:それが、俳優をめざしたにもかかわらず、まったく仕事がなかったんですよ。オーディションすらありませんでした。8年間出演した「たんけんぼくのまち」は子ども向けの番組です。いまでこそNHKの子ども向け番組に出演する方は注目されますが、当時はまれで、他の番組ディレクターさんや役者を使う立場の方は、僕のことを知らなかったんでしょう。というより、力量がなかったんです。

 

そのときに、「仕事を選ぼうとすることは、おこがましいことだ」 と身にしみましたね。自分から辞めるなんてとんでもないです。周囲に求めていただける仕事がある間は、全力で取り組もうとしみじみ感じました。俳優としての活動は、自分たちで立ち上げた小劇団の舞台に出演する程度でした。その舞台を観てくださった声優事務所のマネージャーさんに声をかけていただき、声優の仕事にも取り組むようになりました。

5年続ける目標だった「いないいないばあっ!」

── 大変なご苦労をされた時期もあるんですね。「いないいないばあっ!」に出演されるまでの経緯を教えてください。

 

チョーさん:声優の仕事もしていたとき、「今度、赤ちゃん向けの番組を試験的に制作するから、出演してみる?」と声をかけられました。話を聞いてみると、自分の顔は出さず、キャラクターとして出演するらしい。よくわからないけれど、やってみようと出演してみました。

 

最初はパイロット版として1回だけの予定でした。それが、年度が替わったら改めて放送されることになりました。それが「いないいないばあっ!」です。

 

── いよいよ「ワンワン」の誕生ですね。

 

チョーさん:放送開始当初、スタッフ全員が「5年続けられるよう頑張ろう」と言っていました。それが、10周年、20周年を迎え、僕も65歳になりました。気づいたら放送30年目前です。最初のころからは想像できないくらいの長寿番組になりました。僕も体力が続く限りずっと続けていくのが一番の目標です。


取材・文/齋田多恵 写真提供/チョー