AYA世代や小児がんの患者会を運営する多田詩織さん(27歳)。2歳半の頃、がんが見つかった右目を摘出し、物心がついたときにはすでに義眼をつけての生活を送っていました。

 

見た目の違和感のせいで、幼少期にはいじめにも遭い「ずっと外見にコンプレックスを抱いていた」と語る多田さん。しかし3年前、がん患者を撮影する“キャンサーフォトセラピスト”の西尾菜美さんが企画した“振り袖無料撮影会”に参加して、少しずつ自分の見た目を「個性」として受け入れられるようになったそうです。

思春期から約10年にわたり眼帯生活に「自分の“本当の顔”を撮りたい」

多田さんは2歳半の頃、目の奥の網膜にがんができる「網膜芽細胞腫」という小児がんを右目に発症しました。両目が見えていたという記憶はなく、物心がついたときにはすでに義眼をつけていたといいます。

 

「見た目が周りと違うことに気づいたのは、小学生になった頃だったと思います。遠くから見ても目がくぼんでいて、違和感がある見た目だったので、道を歩いているとジロジロと見られることも多く、わざわざ覗き込まれることもありました。見た目のせいでいじめにもあい『私の見た目は普通ではないんだ』と周りの目をずっと気にして過ごしていました」

 

また、中学2年生の頃からは治療の影響で義眼を着けられなくなりました。修学旅行や卒業式など青春時代の写真はすべて白い眼帯姿。その治療は多田さんが24歳になるまで約10年にわたり、成人式でも振り袖は着たものの、素顔の写真を残すことはできませんでした。

 

白い眼帯姿で成人式に臨んだ多田さん(左端手前)。「眼帯が目立つので集合写真は苦手だった」と振り返ります(画像の一部を加工しています)

13歳から始まった長い治療のなかで、多田さんはある目標を持っていたといいます。

 

「治療を終えて眼帯のない姿になったときに『ちゃんとした写真を撮りたい』と思っていました。卒業写真も含めてずっと眼帯姿だったので、自分の“本当の顔”が写真として残っていなかったんです。3年前にようやく義眼をつけられるようになり、記念写真が撮れる写真館や撮影プランなどを探し始めました」

 

ところが当初、問い合わせをした写真館からは「義眼の方にメイクをしたことがないから難しい」と撮影を断られたのだそう。「義眼だと記念写真も撮れないのか…」。困り果てていたとき、西尾さんが企画したAYA世代向けの振り袖無料撮影会の情報に辿りつきました。

外見のコンプレックスを「個性」として受け入れられるように

そして迎えた2021年7月6日、多田さんは桃色の振袖姿で撮影に臨みました。背景やセットを変えながら100枚以上のカットを撮ってもらい、多田さんは「夢のような時間だった」と振り返ります。

 

普段はモノトーンの洋服を選びがちだという多田さん。撮影当日は桃色の華やかな振袖に身を包みました

「西尾さん以外は初対面の方ばかりでしたが、何を話してもとても受容的に受け止めてくれて『この場所ならさらけ出していいんだ』と妙に安心感があったのを覚えています。西尾さんとの打ち合わせの際に『片目が見えないからアイメイクが苦手』との話をしていたからか、メイクを担当してくれたご本人にメイクをする方法まで教えてもらって。もちろん緊張はしていましたが、すごく温かい雰囲気に包まれながら過ごすことができました」

 

のちに届いたアルバムに映る自身の振袖姿を見て、多田さんは「10年間治療を頑張ってきたんだなといろんな思いがめぐりました」と振り返ります。念願だった記念写真の撮影を終えて、自身の外見に対する気持ちの変化は生まれたのでしょうか。

 

「撮影を申し込んだもうひとつの理由でもありますが、私はずっと外見にコンプレックスを抱いていたので、その気持ちを少しでも変えられたらとの思いがありました。思春期の私にとって写真は避けたい存在でした。写真でも違和感が残るのであえてカメラと違う方向を向いたり、ふざけて変顔をしたりして、普通の写真を撮られることにすごく抵抗感がありました。

 

どうしても周りと自分を比べて『自分の見た目はダメなんだ』とふさぎ込んでいた部分があったのですが、撮影を終えて少しずつ『もうちょっと自分を認めてあげてもいいんだ』という気持ちが芽生えてきました。すぐに切り替えられるものではないですし、まだまだ時間はかかりますが、自分の見た目を個性として受け入れられるようになってきたかと思います」

 

白い花々を背景に柔らかく微笑む多田さん。家族にも内緒で撮影会に参加したそうです

多田さんは現在、同じように義眼の悩みを抱える患者やその家族のために「まもりがめの会」という患者会を主催しています。患者や家族同士の交流会を開くだけでなく、一般の人々に対して義眼の勉強会なども定期的に開いているそうです。

 

「義手や義足に比べて義眼は認知度が低いため、どう扱っていいのかわからず、なかには幼稚園の入園などを拒否されるケースもあるそうです。私自身は義眼だからといって特別な配慮は必要なく、ゴミが入ったらコンタクトレンズのように洗うだけなので、すごく扱いが難しいわけでもありません。ただ、知らないからこそ『難しい』とレッテルを貼られてしまうので、患者会での活動を通して、少しずつ理解を広めていきたいと思っています」

今もがんの後遺症に向き合う「AYA世代の課題を広めていきたい」

多田さんはもうひとつ、関西のAYA世代や小児がんの経験者に向けた「きゃんでぃの会」という患者会も開いています。20〜39歳までを指すAYA世代の患者は、治療が就学や就職、結婚や子育ての時期と重なり、心理的・経済的に大きな負担を余儀なくされています。

 

多田さん自身、がん自体は完治しているものの、幼少期の治療が原因とされる成長ホルモンの不全による体調不良や難聴などの後遺症に悩まされており、病院とは今も縁を切れずにいます。

 

「私にとっていちばんの悩みは体調面とやりたい仕事のバランスですね。本当はもっと仕事を頑張りたいのに身体が追いつかず、エネルギーを費やせずにいます。でも、周りからは『若いからまだ大丈夫でしょ』と言われることもあり、その期待とのギャップには悩んでいます。

 

また、治療費の不安も大きいですね。私の疾患は難病指定を受けているため医療費補助はありますが、遠方の病院に通院する際の交通費の負担は大きいです。私よりもっとさまざまな苦労を感じているサバイバーの方は多いでしょうし、他にも目に見えていない課題はたくさんあると思うので、こうした現状を発信していきたいと思っています」

 

2021年の撮影会を「夢のような時間だった」と振り返る多田さん。昨年はお手伝いとして参加したのだそう

同じような悩みを抱えるAYA世代の患者を勇気づけるひとつの手立てとして、多田さんは自身が参加した振袖無料撮影会に期待を寄せています。今年の夏には3回目の撮影会を控えており、現在運営費を募るクラウドファンディングを実施中。多田さんは撮影会による心理的なケアの可能性について、このように語ります。

 

「写真を撮ってもらうことはもちろんですが、ヘアメイクをしてもらったり、きれいな振袖を着せてもらったり、特別な体験をすることは心のケアにつながると思っています。また、AYA世代向けの撮影会という位置づけもあり、自分が治療を頑張っていることへの“ご褒美”として参加するのもよいのではないでしょうか。私自身、何らかの形で今後も撮影会に携わっていければと思っています」

 

PROFILE 多田詩織さん

1995年、大阪府生まれ。2歳半で小児がんの一つである「網膜芽細胞腫」と診断され、右眼球を摘出。抗がん剤と放射線による治療を受けた。幼少期に義眼生活になったことから、学生時代に義眼の患者会「まもりがめの会」、AYA世代や小児がん経験者の「きゃんでぃの会」を立ち上げた。

 

取材・文/荘司結有 写真提供/多田詩織