ダウン症の弟・良太さんがグループホームに入居し、家族それぞれが自立して暮らすようになったという作家の岸田奈美さん。今考える、家族のベストな距離感について聞きました。(全4回中の4回)

 

家族から離れたことで弟に大きな変化

── 最近の岸田家の「家族の形」について教えてください。ダウン症の弟・良太さんが自立のためグループホームに入居されたそうですね。

 

岸田さん:そうなんです。昨年からグループホームに入居したのですが、そうしたら驚いたことに弟、めっちゃ喋るようになったんですよ。

 

それまでも情報の伝達はできたんですよ。「カレーが食べたいです」「歯磨き粉がたりません」とか。でもグループホームで仲の良い友人ができたことで、「なんでやねん」「やかましいわ」みたいなボケとツッコミのレパートリーがすごく増えた。

 

彼と一緒のときは中川家のショートコントみたいなやり取りをずっと続けてるし、目の前の人を喜ばせたい、和ませたいみたいなサービストークが格段に増えましたね。おしゃべりもそうだし、LINEの文章もそう。

 

── 姉や母に守られていた環境からいったん出て、家族ではない人との繋がりができたことによって、良太さんのなかで大きな変化が起きたんですね。

 

岸田さん:やっぱり私や母は、つき合いが長いから察してしまうし、外に出たときには弟に傷ついてほしくないから先回りして通訳のようなこともしてしまうんですよ。

 

でもグループホームに入って家族と離れたことで、良太は「伝えたいことが伝わらない」状態を多分初めて味わったんですね。最初のうちは苦しかったと思います。ケンカもあったと聞いていますから。

 

でも、そこから等身大で向き合える友達ができて、自分の力で話したい、仲良くなりたいという気持ちが湧いてきて、ちょっとずつ言葉が積み上がっていったんだろうな、と思っています。

 

家を出て「会話のバリエーションが格段に増えた」という弟・良太さん

── お母さまの反応はいかがでしたか。

 

岸田さん:弟が家からいなくなることが決まって、いちばん悲しんでいたのはやっぱり母でした。障害のある子のお母さんって「外に出て傷ついてほしくない」「だけど親の自分は先に死んじゃうから自立してほしい」という不安をみんな抱えていると思うんです。

 

でもフタを開けてみたら、弟はひとりで壁を乗り越えられるようになっていた。

 

やっぱり障害って突き詰めていくと本人のものでしかないから、家族がどうにかできることには限界があるんです。逆に外で傷ついたことで、それをバネに努力や工夫が生まれて、いい方向に変わっていけることもある。

 

だから、グループホームに入居するという選択はすごくよかったなと思っています。

家族はエネルギーを蓄えられる場所

── 岸田さんも実家を離れてひとり暮らしをしていますよね。岸田家は全員がそれぞれに自立して暮らすステージになりましたが、心境や関係性に変化はありましたか。

 

岸田さん:今の岸田家は1、2週間に1回、週末に全員が集まって、「最近どうすか?」みたいに話をするような形に落ち着きました。その時間があるからエネルギーが蓄えられるところもあって、すごく心地いいですね。

 

私も弟も母も、自分の壁は自分で乗り越えるしかないし、そこは誰も代わってあげられない。でも、ボロボロになったときに戻ってこられる場所があるのはすごく幸せなことだなと感じています。愛されていると思えて、愛する人がいる。「失敗しても、まだ大丈夫だ」と確かめ合える最小の組織。それが私にとっての家族です。

 

岸田奈美さん
写真/川畑樹利佳

もちろん不安がないわけじゃない。お母さんはしょっちゅう体調を崩すので、「この先どうなるんだろう?」とよく考えますし、私が結婚することになったら家族が2つできて、また違う変化があるかもしれない。

 

でもどんなに大事でも、ずっと一緒にはいられませんよね。つらいことを言うと、私より先に母や弟のほうが亡くなる可能性のほうが多分高いんですよ。母は年齢的に、弟は基礎疾患があるので。でも私がもし先に死ぬことになったとしても、母と弟には私がいない世界でたくさんの味方と一緒に生きてほしい。

 

そうした不確定さや不安があるからこそ、未来に希望を持てるのかもしれないなとも思っています。

「家族のために」という動機で行動はしない

── 家族との向き合い方で心がけていることはありますか。

 

岸田さん:ひとつ挙げるならば、「あなたのために」という動機で行動しないこと、ですね。

 

「子どものために自分の人生を犠牲にする」「家族のためにやってあげている」と思って頑張っている人もいるかもしれませんが、今はそれが幸せでも、いつかひっくり返るかもしれない。そうなったとき、いちばん大切だったはずの人が、恨みの対象になることだって十分にある。それは全力で避けたいので。

 

── 家族に向き合うことは、自分で自分をどう幸せにしていくかを考えることと表裏一体なのかもしれません。

 

岸田さん:誰しも人生のどこかで、大きな決断をしなきゃいけない場面がありますよね。事故とか災害が突然降りかかってくることだってある。

 

そのときにできることって、自分を信じて、自分がそのときに大事だと思えるものを選ぶことしかないと思っていて。「私は、私にとって大事なものを選んだ」と言い切れる経験って、その先の自分の人生を何年も支えてくれるんですよ。あとからつらいことが起きたら、そのときにまた考えればいい。

 

自分の人生だって、1年後のことすら予想できませんよ。偉くも、有名にもなりたくないし、「世間から見た岸田奈美」も正直どうでもいい。数年後には書く場所がなくなっているかもしれない。

 

それでも、「伝える」ことに希望を持ち続けているのは、きっと変わらない気がします。「伝える」ことで自分が救われることを、もう知っているので。

 

 

PROFILE 岸田奈美さん

1991年、兵庫県生まれ。関西学院大学在学中に、株式会社ミライロに創業メンバーとして加入。10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」「30 UNDER 30 Asia 2021」選出。 家族について綴ったエッセイ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』は23年5月にNHKで連続ドラマ化される。

 

取材・文/阿部花恵 画像提供/岸田奈美