高1のとき母親が下半身不随になり、当時は「家族のいろんなことを抱えてしまっていた」という岸田奈美さん。デビュー作のドラマ化はそんな彼女の後悔も救ってくれました。(全4回中の2回)
底から浮上するときにいろんな目線で考える
── 外から見ると悲劇的に思える出来事でも、岸田さんが書くと必ず笑いの要素がありますね。
岸田さん:「なんで私がこんなことにならなあかんねん」とか嘆きたくなるようなつらいことでも、いったん底の底まで行ってタッチすると、1周回っておもしろくなってくることってありますよね?底まで行けば、もうあとは浮上していくしかない。
その浮上の過程で、私の場合はいろんな目線で考えるんですよ。ダウン症の弟の目線、車椅子ユーザーのお母さんの目線、友達や今まで出会った人の目線。そうした違う目線で捉え直すと、自分の怒りがおもしろく見えてきたり、全然違う感情に変わったりする。
もちろん、渦中にいるときは生きるのに精一杯だからわからないんだけど、ちょっと時間が経つと、見え方も変わってくる。『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』も『もうあかんわ日記』を書いたときも全部そうですね。悲劇には絶対に喜劇も入っているので。
ドラマのなかの過去に今の私が救われた
── ユーモアで包むからこそ、届く言葉や感情もあります。著書がドラマ化されますが、自分の家族がドラマになるのはどんな気持ちですか?
岸田さん:最初は「この日記的なエッセイ、物語としておもしろいのかな?」と思っていたんですよ。特に伏線等もないし。
でも、台本を読ませてもらったらすごく救われた気持ちになったんです。
私が「note」に書いてきた文章は、いつだって本音のつもりなんですよ。でも、そのときの自分では気づけなかったこと、書けなかったこともたくさんあって、2、3年経ってから初めてそのことに気づくんですね。自分のつらさで精一杯で、優しくしてくれた人への思いやりがたりなかったな、とか。
私が中2のときにお父さんが心筋梗塞で亡くなったのですが、高1のときに今度はお母さんが病気で下半身不随になったんです。そこからお母さんは車椅子の生活を送ることになるし、弟はダウン症で、祖母は高齢で、といろんなことを抱えてしまって、夜も眠れないし、高校に行くのがすごくしんどかったんですよ。
そのときに「ミスド行こうよ」とちょいちょい声をかけてくれた友達がいたんですけど、当時の私は「大丈夫だから、気にせんといて」みたいに強がって突き放すことしかできなくて。自分みたいな境遇の人は周囲に全然いなかったし、「どうせ話してもわかってもらえないだろうな」という諦めの気持ちが強かった。
── そのしんどさを言語化して誰かに伝える作業は、10代でなくとも相当なエネルギーが要る、難しいことだと思います…。
岸田さん:高校時代がそうだったせいで、当時の友達関係が希薄で。そういう過去を「私、友達いないんです」と自虐で笑っていたこともあるんですけど、心のどこかには「あのときの自分はすごく嫌な奴だったろうな」という後悔もずっとあって。
でも、ドラマのなかの私にはちゃんと友達がいたんです。
大変だったあの頃の岸田奈美、ドラマのなかでは岸本七実ですが、七実に何とか寄り添おうとしてくれて、ケンカしたり仲直りしたりしてくれる、尊い友達がいた。
「ああ、高校生だった私はこれがやりたかったんだ」と強く気づかされましたし、私にとっての“if”の過去をドラマで描いてもらったことで、「そっちの七実も本当によかったね」と思えたことが嬉しかったし、自信にもなった。
あとから脚本・演出の大九明子さんや脚本家の市之瀬浩子さんに話を聞いたら、「岸田さんのエッセイを読んで、そこに書かれていないことを想像して、別の物語として岸田さんに見せたかった」と言ってくれたんですね。もう本当に「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。
願っていた理想を形にしてもらえて
── 自分とは異なる他者の視点やフィクションを通じて、「あの頃の自分」が救われるような経験は誰しもあるかもしれません。
岸田さん:もうひとつ、私とお母さんが「こうだったらいいのにな」とずっと願っていた理想があるんですけど、自分たち以外は誰にも言ったことがなかったその願いが、まさにドラマのなかで描かれていたんですよ。
撮影現場の見学でちょうどそのシーンを見せてもらったのですが、見ていたお母さんは泣き崩れていました。「よかったね」って言いながら。
見学の後でプロデューサーさんに「ドラマの根幹に関わるようなこんな大事なシーンを、なんで見させてくれたんですか?」と思わず聞いてみたら、「家族が揃うところがいいなと思って調整したのですが、結果岸田家のみなさんにこのシーンを見ていただけてよかったです!」と教えてくれて。
愛のある制作陣にドラマ化してもらえて、本当に幸せです。
PROFILE 岸田奈美さん
1991年、兵庫県生まれ。関西学院大学 在学中に、株式会社ミライロに創業メンバーとして加入。10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」「30 UNDER 30 Asia 2021」選出。 家族について綴ったエッセイ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』は23年5月にNHKで連続ドラマ化される。
取材・文/阿部花恵 画像提供/岸田奈美