車椅子ユーザーの母やダウン症の弟との日々を発信している作家・岸田奈美さん。生い立ちを話すことで苦い経験もしたという岸田さんが、「家族をおもろく書く」理由とは。(全4回中の1回)

 

「私の人生ってしんどいんだ」と気づかされて

── 岸田さんがずっと書き続けている「家族」について聞かせてください。

 

岸田さん:うちの家族ってけっこうヘビーなんだな、とあらためて気づかされたのは大学1年生のサークルの飲み会でした。

 

福祉の学部だったので、進路を決めた理由を聞かれて「母が下半身不随で車椅子の生活になったので」と話したんですよ。そこから流れで、中2のときに父が急死したこと、ダウン症の弟がいることなんかも話していったら、場がシーンとなってしまって。「なんて返したらいいかわからない」みたいな。その空気が本当に申し訳なかった。

 

そのときにはっきりと、「私の人生って、他人が情報として聞くとしんどいんだ」とわかりました。

 

岸田奈美さん
弟・良太さんと遊ぶ幼少期の岸田さん

「ひと粒の悲しみと怒り」をどうしたいか考えた結果

── そこから「家族について話すのはやめよう」とはなりませんでした。

 

岸田さん:そうですね、自分の家族に対する他人の受け取り方は自覚しましたが、でも一方で、うちの家族ってみんな「笑い」が入っていて。

 

早くに亡くなった父はサービス精神旺盛で、しょうもないことばかり言ってはみんなを笑わせてくれる存在だった。大阪出身でちょっと天然入っている母や弟は、そんな父の言葉でいつもゲラゲラ笑ってましたね。

 

母も母で、ダウン症の息子が生まれて、夫に先立たれて、その後に自分が下半身不随になって、とヘビーな人生なんですが、「どうしよ。まあ、わろてなしゃあないよな」みたいなところがあって。

 

そこは大阪出身の祖母譲りなのですが、大阪の笑いって実は切なさが根底にある。どうしようもないことは、笑いに変えるしかない。そういう切なさから生まれた笑いを母は持っているし、私にも受け継がれている部分だと思います。

 

岸田奈美さん
笑いの絶えない家庭に育った岸田さん

── 笑いの底には、紙一重の悲しみがある。岸田さんの文章が多くの人に読まれている理由がわかる気がします。

 

岸田さん:だから、私が書く文章も「一周まわっておもろいやん」って思ってもらいたい。つらいことをつらいまま、悲しいことを悲しいままに出しても、聞きたい人はあまりいないですよね。私自身もそういう話をしているときの自分はあまり好きじゃない。

 

悲しみや怒りを誰かにぶつけても、また新たな悲しみや怒りが生まれるだけじゃないですか。それに、そうした感情を持ち続けているだけでもけっこうしんどい。

 

じゃあたったひと粒の悲しみと怒りを持ったうえで、私はどう生きたいんだろう?何を言いたいんだろう?今はそんなふうに考えるようになりました。

 

話を聞いてもらうために弱さや恥を出すことが文章の説得力になるのであれば、そのことにまったく抵抗はありません。

作家としての強みは「速筆」と「弱み」

── 家族エッセイがバズって作家に転身されました。昔から「書く」ことは得意でしたか。


岸田さん:謙遜でもなんでもなくて、文章を褒められたことも、自分で得意だと思ったことも、「note」で読まれるようになるまで一度もなかったんです。というか、今も自分の文章がうまいとはまったく思っていなくて。出版社主催の文学賞やコンテストみたいなものは、絶対に通らないタイプだと自覚しています。

 

じゃあ私の強みって何かというと、2つあるのかなと思っていて。ひとつは、書くのが早いこと。もうひとつは、恥や弱みをさらけ出すことへの抵抗感がまったくないことです。

 

そんな自分がいつどこで形成されたのかと考えると、7歳のときに父がiMacを突然買ってきてくれたことにまで遡ります。当時、学校であまり友達がつくれずにいた私に「大丈夫や、これからはパソコンの時代やから。お前の友達はこの箱の向こう側になんぼでもおる」と父は言ってくれて。

 

── 90年代後半、インターネットの世界にまだアングラ感があった黎明期の頃ですね。

 

岸田さん:そうそう。現実世界では悲しみや切なさや恥ずかしさばかりだから、パソコンの中のほうがおもしろい。あの頃の「2ちゃんねる」の掲示板は、今は運営が変わって「5ちゃんねる」ですけど、そんなふうにひとりぼっちばっかりが集まっているような世界でした。

 

それで小学生だった私も見よう見まねで好きなアニメやマンガの情報を探したり、掲示板に書き込んだりするようにもなってきて。だから、小中学生の頃は、現実の友達よりもネットの友達のほうがずっと多かったですね。

 

書くスピード、タイピングが早くなったのも、掲示板に書き込んでいたからだと思います。つらいことやしんどいこと、それこそ中2のときにお父さんが突然倒れて病院に運ばれちゃったときも、「どうしよう」と不安を掲示板に書き込んだら、夜中の2時とかでも返事をしてくれる人たちがいて。

 

こんな真夜中にも関わらず、自分に言葉をかけてくれる人たちがいる。そう思ったら、やっぱり少しでも早く言葉を返したいと思うじゃないですか?

 

自分が思っていること、言えなかったことを誰かに聞いてもらうためには、話すよりも「書く」行為のほうが私にとってはずっと自然でした。

 

 

 PROFILE 岸田奈美さん

1991年、兵庫県生まれ。関西学院大学在学中に、株式会社ミライロに創業メンバーとして加入。10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」「30 UNDER 30 Asia 2021」選出。 家族について綴ったエッセイ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』は23年5月にNHKで連続ドラマ化される。

 

取材・文/阿部花恵 画像提供/岸田奈美