横断歩道の先に見えた、暴力と叱責を浴びせる父親とそれを受ける3歳の子ども。「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか」。落合香代子さんが声をかけると、「関係ねぇだろ」と一蹴されます。虐待に他人は関係ないのか?落合さんが虐待予防をライフワークにするきっかけでした。

 

虐待防止プログラムの様子

3歳の子どもを蹴りつける男性を見た衝撃の現場

「15年前のある日、横断歩道を渡ろうと向こう側に目をやると、激しく身体を揺らす男性がいたんです。最初は酔っ払っているのか、踊っているのかなと思った程度でした」

 

そう話すのは、東京都江東区で子どもの虐待予防のための情報発信やイベント、コミュニティ運営を行っている一般社団法人「ママリングス 」の代表・落合香代子さんです。落合さんは、当時10か月の長男をベビーカーにのせて近所を歩いていると、異様な光景を目にしたと言います。

 

「その男性に近づいてみると、足元には3歳くらいの男の子がうずくまっていて。父親である男性が、その子の身体をかすめて地面を何度も強く蹴りつけていました。ものすごく怒りながら、『ぶっ殺すぞ』『死ね』などと、激しい言葉を子どもにぶつけてもいたんです。歩き出した父親を子どもが泣き叫びながら追いかけた瞬間、靴が脱げてしまいました。私はとっさに『待ってください』と呼び止め、靴を拾って追いかけました」

 

父親は私から靴を奪い取ると、子どもに投げつけて。真っ赤な顔で泣きじゃくりながら靴を履く子どもに、罵声を浴びせ続けていました。

 

私が思わず『そんなに怒らなくてもいいじゃないですか』と言うと『関係ねえだろっ』と怒鳴って、親子は遠くに歩いていってしまったのです。

 

長男4歳、長女2歳のころの家族写真「慣れない二児の育児に毎日奮闘していました」

「その後、近くの児童館に駆け込んで事情を話し、帰宅後も児童相談所や家庭支援センターに電話をしましたが、親子の身元がわからず取り合ってもらえませんでした」

 

同じ子どもを持つ親として、あのとき、男の子をどうすれば救ってあげられたのか。そのことが頭から離れなくなったと話す落合さん。それから地域の子育てサークルのボランティアに参加して、虐待予防の啓発イベントなどを手伝うようになります。

しつけのために「叩くこと」は必要だと思っていた

それから2年近く経ち、第二子となる娘が誕生した落合さん。2歳になった長男のトイレトレーニングに取り組むなかで、ある壁にぶつかります。

 

「そのころの私は何か大事なことを教えるときには、しつけのために子どもを叩こうと決めていたんです。いまでは信じられないんですが、当時はそれが子どものためだと本気で思っていました」

 

落合さん自身も幼いころ、親や学校の先生に叩いて注意されて育ったため、自分もいつか子どもに叩いて教えるときが来るのだろうと思っていたそうです。

 

「あるとき、長男がトイレトレーニングに失敗しました。いまだと思い、お尻を軽く叩きながら、大きな声で『こらっ!』と叱ったんです。長男は顔をうっすら赤くしながら、目を丸くして固まっていました。いま思えば、怯えていたのだと思います。ですが、そのときの私は強い態度を示すことで、親の本気を伝えられたという“手応え”を感じていました」

 

実際、それから長男がトイレトレーニングに失敗することはなくなり、オムツもすぐに外れたようです。

 

「このことが私の成功体験となり、それ以降子どもを注意するときには叩く手段を取り入れるように。 そして下の子どもがトイレトレーニングをするころには、大きな声で怒ったり、ときにはある程度の力で叩くことが習慣になっていました。いっぽう、しつけとはいえ、虐待予防の活動をしながら、子どもを叩いたり怒鳴ったりしている。そんな自分に矛盾を感じるようにも。でも、そうする以外に子どもに物事を教える方法がわからない。モヤモヤした状態が続きました」

「息子が憎い…」ようやく授かった子に抱いた不快感

また、第二子が生まれたころ、子どもに対してイライラする感情も芽生えるようになったという落合さん。2人の子育てが始まり、上の子にも下の子にも自分の理想どおりに関わってあげられず、ストレスがたまっていったのです。

 

ある日、落合さんは、小児科クリニックに行った帰りに、下の子に授乳をしようと児童館に立ち寄りました。蒸し暑かったその日、水筒を忘れて水分補給ができず、母乳が思うように出なかったために急いで帰ることに。ところが、上の子が「遊びたい」とグズり始めたのです。しかたなくそれにつきあっていると、いつのまにか夕方になってしまいました。

 

「食事も水分も摂らずヘトヘトで、授乳ができていない焦り…。そのとき、『どうしてこの子は私をこんなにも困らせるのだろう』と。腹が立って、初めて息子を心から憎いと感じたのです。そんな母親の異変を息子も察知したのでしょう。私を見て、泣きながら一生懸命笑いかけてくるんです。その様子に、さらにいらだちを感じる自分がいました。不妊治療を経てようやく授かった存在にもかかわらず、ネガティブな感情を抱く自分にとまどい、落ち込みました」

 

自分のなかに、子どもに対してコントロールしがたい怒りやいらだちの感情が存在する。そしてしつけと称して叩くうちに、感情がさらなる暴力へとエスカレートするかもしれない。落合さんはそう気づいたとき、虐待は自分の身近にも起こりうるものなのだと初めて実感します。

 

「それまでは虐待の報道を目にするたびに、なぜそんなことをするのか理解できなかったんです。でも自分の経験を通して、虐待という結果が生まれるまでの背景があることに目を向けられたのかもしれません」

子育てを「孤立させない」ために地域のつながりを

それから落合さんは、虐待が起こる背景を当事者として考えてみることに。すると、育児を担う人の「孤立」があるのでは、とも感じるようになりました。

 

当時の落合さんも夫は忙しく、親族も近くにいませんでした。誰にも頼らずひとりで懸命に育児をするなかで心が行き詰まり、子どもへのイライラが大きくなったことに気づきます。頼れる人がいない閉鎖的な家庭のなかで育児をする「孤育て」 。そこから生まれるひずみが、いちばん弱い存在である子どもに及ぶことを感じたのです。

 

「育児をする人の孤立を防ぐために、地域で声をかけあえるつながりをつくりたいと思いました。私は出産をするまで看護師として働き、高齢者の訪問看護に携わっていたんです。その経験から高齢者介護のように子育て分野でも、地域みんなで関わり合いサポートする仕組みがあれば良いと感じました」

 

それから落合さんは、 “脱孤育て”をテーマに、地域の子育て支援団体の情報を発信したり、それらの団体と親が交流できるイベントなど企画したりするように。2011年、東日本大震災の被災地にフィンランドから液体ミルクやおむつなどの支援物資を送ることをきっかけに、一般社団法人「ママリングス」を立ち上げます。

 

東日本大震災の被災地に支援物資を送ろうと、一般社団法人ママリングスを立ち上げた

住まいのある東京都・江東区とも協働し、医療従事者や大学の研究者など虐待分野の専門家を巻き込みながら、さらに活動を広げていきました。

 

「『ママリングス』という名前には、ママやパパ、そしてそれを見守る地域や社会のつながりの輪が、水に投げた小石が波紋を描くように広がってほしい願いを込めました。いま改めて、横断歩道で出会ったあの親子を思い返すと、現場には私以外にもたくさんの大人がいました。周囲が無関心でなければ、あの子を救えたかもしれない。そう感じるからこそ、子どもにも親にも、温かいまなざしを向けられる地域のつながりをつくり続けたいです」

 

PROFILE 落合香代子さん

一般社団法人「ママリングス 」代表理事。看護師として高齢者・リハビリテーション看護に従事。8年間の不妊期間と治療を経て二児の母に。一般社団法人「ポジティブディシプリン」コミュニティ理事。

 

取材・文/木村和歌菜 画像提供 / ママリングス