新婚3か月で乳がん発覚。その後に右胸を全摘出。出産する一方で、乳房の再建手術、乳がんなどの専用下着の開発まで行ったボーマン三枝さん(41歳)に話を聞きました(全2回中の2回)。
ホルモン療法を行わない妻の決断を支えた「夫の言葉」
2013年、31歳のとき、イギリス人の夫と結婚後、わずか新婚3か月で乳がんと診断されたボーマン三枝さん。右胸を全摘出したのち、着心地のいい下着が見つけられないことに気づき、起業後、乳がん経験者専用の下着「Kimihug(R)キミハグ)」を作りました。「下着屋Clove(クローブ)」というネットショップを立ち上げて商品を販売しています。
「夫はつねに私を支えてくれました。乳がん経験者専用の下着で起業しようとしたとき、私自身が当事者であることを公表しようと思ったんです。
でも、当時はまだ、乳がん経験者だと公表する人はほとんどいませんでした。夫に相談すると、“You should be proud of it(病気と闘った経験は誇りに思うべきだ)”と言ってくれて。つらい経験を乗り越えたのは本当にすごいことだよ、闘病したからこそ、新しい視点で物事をとらえられるんだと思う、と彼はいつも背中を押してくれました」
ボーマンさんは起業前、乳がん治療のひとつであるホルモン療法を行いませんでした。乳がんになったのが31歳と若く、将来、子どもを持ちたいと思っていたからです。ホルモン療法は5~10年と長期にわたります。治療期間中に妊娠すると、胎児に悪影響を及ぼす可能性もあり、妊娠をめざすなら治療後からになります。そのため、加齢による妊孕性の低下が心配になりました。
「ホルモン療法を行わない選択は、決して一般的ではなく、誰でもこの方法を選んでいいわけではありません。主治医や夫とも相談し、治療をしないデメリットもよく理解したうえで決断しました。夫も私の決断を理解してくれました。それに彼は『万が一、妊娠しなくても養子縁組をすれば子どもを持つことができる』と、私にはなかった考え方を示してくれ、気持ちが楽になりましたね。ホルモン療法をしない決断については、主治医も私の選択を尊重してくれました」
3人の子どもを育てながら乳房の再建手術を経て
右胸全摘出後、ホルモン療法をせずに妊活をした結果、無事、妊娠・出産したボーマンさん。2人目の子どもを出産後、乳房の再建手術も行いました。
「胸がない生活は不便なこともありましたが、それだけで、自分の幸せを邪魔することはありませんでした。ただ、患者会に行って乳房再建をした人と話したり、実際に見せてもらったり触らせてもらったりするなかで、だんだんと興味をもつようになりました。そこで、私もやってみようかなと考えるようになりました」
手術なので身体への負担は覚悟していましたが、想像以上の痛みで最初は少し後悔しました。胸のことだけでなく、術後の後遺症や本当に自分にとって必要だったかなど、自分の価値観を確認する必要があったと感じています。さいわい、いまは痛みも違和感もなくなり、ホッとしています」
ボーマンさんは子どもたちにも乳がんを経験したことを伝えています。「“世の中には、身体の一部がない人もいる”ことを間近で見て育つのは、子どもたちにとってもいい教育になるのではないかと思っています」
再建手術後、三女を出産。現在は下着の製造・販売の仕事を行いながら8歳、5歳、2歳の3人の娘とともに、にぎやかな毎日を送っています。
「がんで会社を辞める」社会であり続けるのはおかしい
ボーマンさんには今後、やりたいことが3つあるといいます。
ひとつめは、現在は専門店やネットでしか取り扱いのない、乳がん経験者や障がい者用など、一般用と形状が異なる下着をショッピングセンターなどでも気軽に購入できるようにすること。
「ふたつめは、がんを経験した当事者が、社会のなかで疎外感を感じず、生活ができる社会にしていくことです。いまボランティアで、若年がんサポートグループを運営しているのですが、多くの患者さんのお話を聞いていると、当事者や家族をサポートするだけでは解決できない問題がたくさんあります。
たとえば、がん患者の当事者の方が、『がんになったから会社を辞めます』と自分から退職されてしまうケースも少なくありません。本人が退職を望んでいなくても、会社を辞めざるを得ない状況になる場合もあります。がんに対する理解は、まだ一般的には浸透しているとはいえない気がします。
仕事は経済的な理由だけでなく、社会とつながり、やりがいや生きがいとなりえるものです。仕事を辞めるどうかの大切なことは、あわてて決断せず、落ち着いたときにしっかりと考えてから決断してほしいと思っています」
社会も少しずつ変わり始めています。厚生労働省もがん患者が治療と仕事を両立でき、就業を継続したり、休職後に復職できたりできる働きかけを始めています。がんに関する教育はすでに始まっているのです。
がん教育は健康教育の一環として、がんについての正しい理解と、患者や家族などのがんと向き合う人たちに対する共感的な理解を深めることを通して、自他の健康と命の大切さについて学び、共に生きる社会づくりに寄与する資質や能力の育成を図るものです。
ボーマンさんは、現在、がん研修会や講演でみずからの経験を伝えています。
「がん経験者=誰かに支えられる存在、だとは思ってほしくない気持ちがあります。だから、がんになっても、誰もがふつうに生活できる社会をつくっていくことが目標です。壮大な夢かもしれませんが、できることからコツコツ続けていきたいです。
3つ目の目標は50歳のお祝いに、富士山か屋久島に行くことです。毎日あわただしく生活していると、つい自分のことはおろそかになりがち。でも、私はこれまでたくさんの人に支えられてきました。今度は私が恩返ししていく番です。そのためには、健康管理も大切だなと。こうした目標があれば、自然と健康に気をつかうし、体力づくりにも力を入れられるかなと思います」
取材・文/齋田多恵 写真提供/ボーマン三枝