2023年元旦。日本武道館で火花を散らしたグレート・ムタVS中邑真輔の対戦。先駆けて年末に行われたその記者会見では、中邑真輔選手がまとっていた刺繍ジャケットが話題になりました。作り手は、刺繍作家の小菅くみさん。制作の経緯と、自己流(!)で身につけたという刺繍技術についてもうかがいました。(全2回中の1回)

 

刺繍作家・小菅くみさんの作品
小菅さん「映らないかな…と思いつつも背面にもこだわりました」

背面まで圧巻の刺繍を

── 中邑選手のジャケットは、SNSでも大変話題になりましたね。どのような経緯で、今回制作に当たられたのでしょうか?

 

小菅さん:実は、4年ほど前に中邑選手がプライベートでジャケットのオーダーをしてくださったんです。そのときからのご縁で、今回、日本で試合があることを知って応援のご連絡をさせていただきました。すると「記者会見で着用するジャケット作ろう!」と言ってくださって。急きょ、制作に入ったというわけだったんです。

 

制作にあたって、ムタ選手や中邑選手の試合の映像をたくさん見ました。最初は研究…と思っていたはずが、気づけばどんどん魅了されてしまって(笑)。あのポーズを、あの技を、刺繍に落とし込みたい…!と強く思うようになりましたね。とても楽しく刺繍させていただきました。

 

刺繍作家・小菅くみさんの作品

—— 苦労されたポイントはありましたか?

 

小菅さん:袖部分の素材がとても硬くて、針が何本も折れたり、ひと針進めるのにもとても時間と力が必要でした。だけど、やればやるほど「もっとこだわりたい」という想いが溢れてきて。記者会見で着用するものなので、背中は映らないかもしれない…と思いながらも、バックにもドーンと派手にムタ選手と中邑選手を縫おうと決意して。

 

スケジュールはタイトだったのですが、縫っている間はアドレナリンがどんどん出てきて、ご飯を食べるのも忘れて夢中で制作していました(笑)。友人であるアーティストの村上周さんにお願いしたペイントも、とてもいいアクセントになったと思います。

 

刺繍作家・小菅くみさんの作品
グレート・ムタの必殺技「毒霧」を表現

── 中邑選手はご覧になって、どのようにおっしゃっていましたか?

 

小菅さん:お渡しするまで完成したものを見せていなかったので、気に入っていただけるか、内心ハラハラしていたのですが、お渡しした瞬間、ピカピカの笑顔で喜んでくださって。ホッとしたのと同時に「頑張って良かったなあ」としみじみ喜びが込み上げてきました。

 

中邑選手は、スーパースターでありながら本当に気さくでやさしい方で、そのお人柄にも感謝ばかりなんです。

塗り絵のように始めた刺繍

── 刺繍は、「独学」「自己流」で始められたとうかがい、おどろきました。

 

小菅さん:そうですね、自己流のまま20年ぐらいが経ってしまいました(笑)。そもそも始めたきっかけは、病気でしばらく入院していたときに、暇で暇でしょうがなかったからなんです。

 

「何をしようか」とわたしにもできることを探していて、刺繍なら家庭科の授業で習った簡単な縫い物の延長でできるんじゃないかな、と考えたんですよ。

 

自分なりに試行錯誤するうちに、塗り絵の要領で本当になんとかなってしまって。その継続が「今」という感じなんです。気づけば、刺繍が大好きになっていました。

 

刺繍作家・小菅くみさんの作品
歯を食いしばる中邑選手の表情もリアル

——「大好きなこと」を仕事にされて、小菅さんの毎日は変わりましたか?

 

小菅さん:よく、「好きなことを仕事にするのってツラくない?」と聞かれることもあるんですが、わたしはとっても幸せです。秘訣を強いて挙げるとすれば、「好きなこと」をいくつか持っておくといいんじゃないかな? と思います。

 

わたしは刺繍のほかにもサウナが大好きで、刺繍を頑張ったらサウナですっきりして、またフレッシュな気持ちで向き合えるようにしています。コロナ禍でサウナが閉鎖していたときは、運動音痴なりにマラソンで息抜きするようにしていました。

 

少し忙しくはありますけど、仕事をもらえる、仕事ができる、というのは本当にありがたいことですよね。あの入院中の、暇で暇で辛かったことを思い出せば、「大変だけど働かねば」って気持ちがもくもくと湧き上がってくるんです。

 

PROFILE 小菅くみさん

1982年生まれ。 刺繍ブランド〈EHEHE(エヘヘ)〉の制作をはじめ、ユーモア溢れる刺繍作品を手がける。 著書に『小菅くみの刺繍 どうぶつ・たべもの・ひと』(文藝春秋)など。名古屋「fons」にて個展を開催予定(3月18日〜4月3日)。

 

取材・文/中前結花 写真提供/小菅くみ