駒澤大学陸上部の寮母・大八木京子さん。95年に大八木監督が駒澤大学のコーチに就任すると、京子さんも寮母としての生活がはじまった。設備が整っていない調理場から、40人にも及ぶ、アスリートへの献立作りの日々へ。 

結婚した時点で覚悟はしていた

学生のころ、駒澤大学陸上部で知り合った、大八木監督と妻の京子さん。選手だった大八木監督とマネージャーだった京子さんは後に交際が始まり、社会人になってから結婚した。大八木監督は、ヤクルトの実業団のコーチ兼選手に、京子さんは高校の講師として勤務していた。

 

大八木監督に母校からコーチの声が掛かったのは95年。当時の駒澤大学陸上部は、箱根駅伝に出場はするものの、毎年予選会の常連校だった。大八木監督にチームの立て直しを託された。

 

寮では、毎日25〜30合の米を炊く

大八木監督がコーチに就任し、まず、意識改革のひとつとして力を入れたのが、選手の食事の見直しだった。

 

「当時の学生の食事は、自分たちで自炊することがほとんどでした。ただ、食事作りのために練習に集中できなかったり、あるいは疲れて簡単なもので済ませたり。栄養バランスが偏っていて、貧血や怪我をする学生もいたようです。大八木監督自身も、学生時代に貧血で苦労した経験があって、食事を見直したんだと思います」と京子さんは語る。

 

そこで、大八木監督が京子さんに、寮母になって学生の食事作りをお願いした。今までの生活からガラッと変わることも予想されるが、当時、京子さんはどう思ったのだろうか。

 

「結婚した時点で、いずれ彼が、そういう道に進むだろうと思っていました。自分もマネージャーをやっていたので、そこまで抵抗はなかったですね。部活の雰囲気とか、みんなで一緒に頑張っていく空気が好きだったのかもしれません」

 

ここから寮母として28年間が始まった。

40人の食事作りは初めて

選手の靴がずらりと並ぶ

寮母としての仕事は、選手の食事の献立作りと調理、食材の発注など食事まわりに関することがメイン。掃除や洗濯等は学生が行っているそうだ。

 

家族や後援会、ファンから食材の差し入れもたくさん届くため、宅急便等の対応もしている。米は1回の夕食で25〜30合、白米だけでなく玄米も届くため精米器を用意した。

 

食事作りは1日に2回あるが、京子さんの担当は夕食のみ。朝は別の人に任せ、昼食は学生が各自で用意する。しかし、下ごしらえや献立作りがあるため、1日で自宅と寮を何度か往復する。以下の時間で動くことが多いそうだ。

 

朝は、自宅で家族への朝食作りや家事。10時〜12時には寮に行き、夕食の下ごしらえをする。12時から15時はいったん自宅に戻り、献立作りや食材の調達、調理まわりで足りないものがあれば買い出し。15時30分〜18時30分は再び寮に行って、夕食作り。18時半から学生の食事スタート。18時半〜20時半に片づけを済ませて帰宅する。

 

調理担当は、京子さんと女子マネージャーがローテーションで1人か2人ついていたが、ここ数年は京子さんと管理栄養士で担当している。

 

寮母として2つの寮を経験したそうだが、ひとつ目の寮は四誓寮。どのような環境でスタートしたのだろうか。

 

「調理場は、とても古くて狭い…、家の台所が少し大きくなった程度でした。大きい鍋やお釜もなかったですし、ガス台も家庭で1個1個持ち運びができるような小さいもの。お皿もたりなかったので買い揃えたり、食材の発注先を探して交渉したり。まずは調理環境を整えて。そこからでしたね」

 

アスリートの献立作りや、40人にも及ぶ食事作りも未知だった。

 

「当時、私は30歳くらいでしたが、献立のレパートリーもまだまだ少なかったんです。そもそも、ここまで大人数の食事を作ったことがないので、自分ができる範囲のなかでいろいろ作っていきました。量の配分は、今もそうですけど特に測ったりせず、目分量です」

 

四誓寮で4年間過ごした後、道環寮に移ると、調理場も以前に比べて作業しやすくなった。その頃には、献立のレパートリーも増えていた。

好き嫌いは特に聞かず

ある日の夕食。全て美味しそう…!

献立を考えるうえで意識していることを聞いた。

 

「基本は、皆さんが作っている家庭料理とそんなに変わりません。肉と魚なら、どちらかというと肉が多いですね。それにプラス、疲労や骨折予防のために、カルシウムが多い食材も意識してとり入れています。学生自身で、牛乳やヨーグルトなど、明らかにカルシウムが多いとわかるものは、自分でもとってると思うんです。でも、たとえば豆腐や小魚、乾物など、学生がみずからとることが少なそうなものは、献立のなかに組み込むようにしています」

 

大会前は、試合に向けた献立もあるのだろうか。

 

「箱根駅伝のときは、朝食は選手のリクエストに応じて作りますが、他の大会は基本的にいつも通りです。ただ、大会では体力を消耗するので、炭水化物を多めに食材に加えたり、タンパク質や疲労を回復しやすい栄養素もいれるようにはしていますね」

 

学生のなかには、好き嫌いや偏食、アレルギーを持った人もいそうだが。

 

「好き嫌いは特に聞かずに作っています。好き嫌いがあっても、食べてって感じです(笑)。やっぱりバランスよく食べないと、自分の体のエネルギーにはならないので、なるべく食べてって。アレルギーの子は対処しているので、その子に合わせて作ることもありましたが、そこまでアレルギーが激しい子がいなかったような気がします」

 

取材当日の晩御飯には「豚キムチ」を準備していた。ちなみに学生に人気があるメニューを聞くと「普通にカレーライスです(笑)。月2回くらい、出していますね」。

 

28年間食事作りを続けた京子さん。2023年3月で大八木監督の陸上部監督勇退に伴い、寮での食事作りも終了する。

 

今まで、たくさんの選手が京子さんの食事でエネルギーを蓄え、体を作り、大会での結果を残してきた。京子さんへの感謝は尽きないだろう。

 

取材・文/松永怜