普段、演歌を聞かない人でも、「けん玉を披露しながらこぶしをきかせる歌手」だったらピンとくるはず。そんな三山ひろしさん(42)も新型コロナの蔓延で仕事が減ってしまいましたが、持ち前のポジティブ志向を発揮。仕事でも家庭でも、新しいチャレンジに成功しました。(全3回中の1回)
母子家庭で母は働きづめでした
── いつも明るく生き生きとされています。そういう風でいようと、心がけているのですか?
三山さん:そうですね。尊敬する三波春夫さんが自伝のなかで「舞台に立っている側はいつも明るく、お客さまを照らし出すような心がけが大事だ」という意味のことをおっしゃっています。それを読んで、すごく感銘を受けたことが大きいですね。
もっと昔は、歌うという職業に、人々を鼓舞する役割があったのでは、とも思っています。それを実践しようと思って歌っています。
── その心がけで三山さんの歌声は「ビタミンボイス」とも呼ばれていますが、持続するのは大変ではないですか?
三山さん:大変なことは大変です。でも、もともとそういうものが備わっていたのかもしれないです。僕は母子家庭で育ちましたが、母は朝、仕事へ行って夜に帰ってきたらまた内職と、一日じゅう働いていました。
それでも、いつもはつらつと前向きで、グチもいっさいこぼさないような人でした。そういう姿を見ていて、見習わなければと思っていました。
また弟に対しても、示しがつくようなお兄ちゃんでいなければと、子どもながらに思っていました。
自分の感情はあまり表に出さず、常に明るく振るまおうとするクセが自然と身についていたような気がします。
子どもたちに「今日も休み?」と
── コロナ禍で自粛が厳しかった時期は、いかがでしたか?
三山さん:コンサートが延期や中止になり、半年くらいできなかったのは、寂しかったです。最初の2週間くらいはよかったんです。それまで休みがあまりなかったぶん、家族と出かけたり、ゆったり楽しくやっていたりしました。
そのうちあれもキャンセル、これもキャンセルという話が矢継ぎ早にくるようになり、不安になってきました。
家にいることを喜んでいた子どもたちに「今日も休み?」と言われるのが、つらかったです。「仕事をしていないお父さんてってどうなの?」って(笑)。
誰もそんなことは言わないのに、そういう風に聞こえちゃうんですね。何とかしないといけないと思っていました。
この状況だからできることは何だ?
── どうやって乗り越えましたか?
三山さん:できないことばかり考えるのではなくて、この状況だからできることは何だろうと考えるようにしたんです。
そうすると、できることがたくさん降ってきました。たとえばYouTubeの動画。忙しいときはなかなかできないから、この時期にしっかりやろうと決めました。
僕もスタッフもみんなが編集の勉強をして、それぞれ動画を作って、コロナ禍でも元気にやっていることをファンのみなさんに発信する。
みんなで協力して作れば、それだけコンテンツも増えるし、ファンのみなさんも飽きないで見られるかなと思ったんです。“動いていない”という状況をなくそうと必死でした。
ミリ単位の細かい作業を
── プライベートでも、やりたかったことができましたか?
三山さん:いちばん熱中したのは、プラモデルです。デビューしてからずっと動き続けていたのですが、時間ができたことでふと立ち止まって、故郷のことや子どものころのことを考えました。
そういえば子どものころ、プラモデルを作ることが好きだったな、また作ってみようかなと思ったんです。
僕は車が好きなので、車のプラモデル。基本は説明書通りに組み立てますが、オリジナルを完全に再現したくて、カタログなどの資料をインターネットで調べて作り込みました。
開かないドアを開くように改造するなど、ミリ単位の細かい作業をぎゅーっと集中してやりました。
気がついたら夜になっていても、まぁいいかって、またやり始めるくらい夢中でしたね。
そのうちコロナで仕事が延期・中止になってモヤモヤしていた気持ちが、ちょっとずつ解きほぐされていきました。
気がついたら子どもがいなくなって…
── お子さんとの時間は、どのように過ごしていたんですか?
三山さん:下の男の子(7)とは、幼稚園の提出物を一緒に作りました。アルミホイルを使って何か造形を作るという課題があったんです。
まず「何を作ろうか?」って話をして。息子は恐竜が好きだから、「ティラノサウルスを作りたい」ということになりました。
それで恐竜の図鑑を用意して、息子の隣で教えてあげながら一緒に作りましたが、だんだん自分のほうが真剣になってしまうんですね。
息子がやっているのを「そうそうそう」と指導しながら、自分の恐竜のディテールにこだわってしまい「足はやっぱり3本で、後ろは1本かぎ爪で…」なんて言いながら作っていたんですよ。
そうやって一生懸命作っているうちに気がついたら、子どもがいなくなってしまい。完成して去っていったのに、気づかなかった(笑)。
── 夢中になりすぎてしまったんですね(笑)。
三山さん:そうなんです。子どもの日の時期は、かぶと飾りを折り紙で作る宿題も手伝いました。
ただ折り紙で作っても面白くないから、実際にかぶれるものを作ろうと思い立ちまして。新聞紙を折りたたんでかぶとを作って、紐もつけました。
ブラッシュアップになった
── 現在、10歳の上の娘さんとは、どんなことをしましたか?
三山さん:小学校に上がって間もないころだったので、学校の宿題をみてあげました。お菓子の材料でお寿司を作るおもちゃがあるんですが、それを一緒に作ったりもしましたね。
コロナの前までは休みがあっても、仕事のことを考えたり、次の仕事の準備をしたりするのに忙しくて、あまり子どもと触れ合う時間がありませんでした。
以前から、何とか捻出したいと思っていたので、そういう機会をもつことができたのは本当によかったと思います。
── お子さんもうれしかったでしょうね。
三山さん:そうだといいですね。発想の転換から始めたことが、自分のブラッシュアップにもつながりましたし、心の栄養がとても摂れたコロナ禍でした。
PROFILE 三山ひろし さん
1980年、高知県生まれ。高校卒業後は地元のガソリンスタンドに就職。歌手を目指し上京後は作曲家の中村典正さんのもとで3年間修業。2009年に『人恋酒場』で歌手デビュー。’15年からNHK紅白歌合戦に連続出場。著書に『はじめてでも絶対できる!三山ひろしのけん玉教室』
取材・文/原田早知 写真提供/三山ひろし