竹下製菓の竹下真由社長 
竹下製菓の竹下真由社長

累計で10億本以上を出荷し、九州では絶大な知名度を誇るアイスクリーム「ブラックモンブラン」。カリカリのクランチがまぶしてある商品を50年以上作り続ける「竹下製菓」(佐賀県)の5代目社長を務めるのは、41歳の竹下真由さんです。3児の母親でありながら、事業拡大を続けるそのバイタリティーに迫ります。

社内の“安心感”への危機意識 

「ブラックモンブランがあるから、つぶれないよね?」。竹下さんが家業の現場を経験するなかで気になったのが、社内に漂うそんな“安心感”でした。

 

「ブラックモンブランというロングセラー商品があるからこその危機感でした。

 

この雰囲気を変えるために、従業員たちのやる気やパフォーマンスを最大限に引き出すために、“自分の頭で考えてもらう”ことを方針にしました」

 

竹下製菓の竹下真由社長は、34歳の若さで5代目のトップに就任しましたが、そんな察知能力は“跡取り”としての意識が、幼いころからあったからかもしれません。

 

ブラックモンブランの生みの親である祖父の小太郎さんと竹下真由社長
ブラックモンブランの生みの親である祖父の小太郎さんと幼いころの竹下社長

祖父や父と一緒にアイスを作りたい

竹下さんが幼少のころは、佐賀の製菓工場はまだ実家の隣にあり、会社と自宅の玄関は同じで、お菓子を作る機械の音がガッシャンガッシャンと聞こえてくる毎日。

 

学校から帰れば家族よりも先に、事務員さんから「おかえりなさい」と出迎えてもらっていました。

 

「気づいたときには、うちはお菓子やアイスを作って、お店に並べて買ってもらって生活しているんだな、と感じていました。

 

ひとり娘でしたし、祖父や父と一緒にお菓子やアイスを作りたいな、とずっと思っていたので、竹下製菓を継ぐのは自分しかいないだろうと自然に思っていました。

 

機械からお菓子が次々と生み出されていく様子がとても楽しくて、工場に行っては夢中になって何時間も眺めていましたね」

 

そんな環境で機械が大好きになった竹下さんですが、小学2年のときにたまたまみたテレビ番組で、“ロボット”に目覚めます。

 

「アメリカのマサチューセッツ工科大学や東京工業大学の学生などがチームとなって、競い合う『ロボットコンテスト大学国際交流大会』の様子が放送されていたんです。

 

からくり的要素が強いロボットを、各国の大学生が集まった多国籍の即席チームで一緒に作りあげていく臨場感や高揚感が、もう、たまらなくかっこよくって! 

 

自分も将来、絶対にこの大会に出るぞ、と夢が決まった瞬間でもありました」

 

ロボコン出場時に立ち寄ったケネディ宇宙センター

大学院卒業後は実家に戻らず

その後、東京工業大学に合格。在学中に、マサチューセッツ工科大学で行われたロボコンへの参加という夢も叶えた竹下さん。

 

「念願の世界大会に出場して感じたことは、まさに“多様性”。

 

いろいろな国の人とチームを組み、ロボットを一緒に作り上げていく中で文化の違いや考えの違いでぶつかることも多く、ものの見方はひとつではないことを身をもって体感できました。

 

このときの経験は、今のビジネスにも大きく役立っています」

 

大学では機械について学び、さらに会社経営を学ぶため大学院にも進学。卒業後はすぐに家業には就かず、外資系企業に就職しました。

 

「大学や大学院で学んだことを、すぐに家業に活かせるかどうかの疑問がありました。

 

外の組織で経験を積める機会も、このタイミング以外にないこともありましたね。

 

さらに、自分が将来、採用に関わるときに、自分の就職活動の経験があれば、就活する人の気持ちがより理解できるのではとの思いもありました」

 

コンサルタント時代はスキューバダイビングにも打ち込んでいた竹下真由社長
コンサルタント時代はスキューバダイビングにも打ち込んでいた

家業を継ぐまでのもうひとつの“使命”

当初はメーカーか商社への就職を希望していましたが、就活の練習のため、選考が早い外資系を受けたのが、世界最大の経営コンサルティングファームのアクセンチュアでした。

 

「大学院卒業後に、すぐに家業に就いてもらいたがっていた父に頼み込んで、5年の約束で就職することになりました。

 

限られた時間で何かをつかむためには、自分を徹底的に厳しい環境に追い込むようにしました。

 

性格的に、自分が易(やす)きに流れる人間だということはわかっていたので(笑)、もし定時で退社できる会社だったら、絶対に遊んでいたはずです。

 

実際にはとても忙しく、急なプレゼンも日常茶飯事。

 

クライアントの経営幹部など、年上の人と話す機会も多く、物怖じせずに話せるようになったことは、佐賀に戻り社長になってからもおおいに役に立ちましたね」

 

超多忙なアクセンチュア時代、実は竹下さんにもうひとつ大事な“使命”がありました。

 

「私と一緒に佐賀へ帰り、家業を手伝ってくれるパートナー探しです(笑)。ひとり娘の私にとり、これもかなり重要な“ミッション”でした」

 

簡単ではなそうな仕事でしたが、会社の同期だった雅崇さん(現・副社長)との出会いがありました。

 

実は初対面のときから、ことあるごとに「実家が会社なら一緒にやろうよ! 結婚しよう(笑)」と言ってくれていたそう。

 

相談ができる友人としての関係が何年も続いていましたが、雅崇さんの言葉が本気であることがわかってからは、とんとん拍子に話はまとまり、2010年に結婚。

 

丸4年でアクセンチュアを退職し、Uターン。’11年に竹下製菓に入社しました。

 

ブラックモンブランの工場で、商品に目を光らせる竹下真由社長
ブラックモンブランの工場で、商品に目を光らせる竹下社長

ひとりひとりに自発的に考えてもらいたい

入社して配属されたのは、新設された「企画経営室」。

 

4代目の父親はホテル事業も手がけていたので、ホテルのレストランでの給仕と製菓部門での仕事を半々ずつすることになりました。

 

そこで肌身に感じたのは、冒頭で紹介したような、絶対的なブランド力を背景にした会社内の“停滞感”。

 

「社員ひとりひとりに自発的に考えてもらうために、“どうすればいいですか?”の質問には、“これを達成するにはどうしたらいいのか”と考えを聞くようにしました。

 

年に1回、社員全員が集まって行う経営発表会でも、昨年からは全員に意見を言ってもらうようにしています。

 

これはコンサル時代に、“会議の場にいるのに意見を言わなかったら、いる意味がないよね”と先輩に言われたのがきっかけです。

 

ですから、意見を言いやすい環境、みずから進んで一歩を踏み出せる環境をつくるように心がけています」

 

現場で働く従業員の声も聞くように心がけている

夫を弟と勘違いされて…

そのようなリーダーシップもあり、今でこそ竹下製菓の女性社長と、認知されるようになってきましたが、当初は戸惑うことも。

 

「社長に就任後はしばらく、副社長の夫と一緒に名刺を渡すと、みなさんはまず副社長と交換しようとするんです。

 

“社長はこちらです”と夫が私を紹介すると、夫は“弟さんですか?”とよく聞かれていました(笑)。

 

副社長は“トップを支えるのは、コンサル時代と同じ”と、世間に顔出しもしない徹底ぶりで、黒子に徹してくれています。

 

おかげで私は社長としての職務、夫は投資判断や新規事業企画などの経営基盤、会長である父は地元の経済界などの人脈面など、仕事面の分業もできています」

 

PROFILE 竹下真由さん

1981年、佐賀県生まれ。東京工業大学大学院卒業後、アクセンチュア勤務を経て、実家の竹下製菓株式会社に就職。製造ライン改善や新商品開発に従事。2016年より代表取締役社長。副社長の夫との間に3児。

取材・文・撮影/西郡幸子 写真提供/竹下真由